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改訂版 魔法科学の最終定理  作者: 団丸


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3/5

雨と火花と魔女の名

 わたしは、ただ茫然ぼうぜんと天を仰ぐことしかできなかった。

「そんな……バカな……っ」

 視界が急速にゆがんでいく。熱い塊が瞳の奥から溢れ出し、頬を伝って流れ落ちた。それが激しく降り注ぐ冷たい雨なのか、それとも自分自身の涙なのか、もう判別することすらできなかった。

 ギィ、ギィ、ギィ――不快な摩擦音が響き渡る。ゆっくりと、だが確実に、こちらとの距離を詰めてくる。その禍々《まがまが》しいたたずまいは、獲物をじわじわと追い詰める狂気そのもののような、圧倒的な絶望感に満ちていた。

「ゴーレムがこっちに向かって来てるのにどうするんだよ!」

 れんの声が遠くに聞こえる。

「……そんな。ここまで積み重ねてきたのに。あと一歩が届かないなんて」

 震える手で泥をぬぐい、わたしはもう一度、空を仰いだ。雨音だけが世界を支配する中、指先が、ポケットの中にある冷たい硬い感触を捉えた。

 『お守りだから持ってなさい』

 母の声が、雨音の向こう側で聞こえた気がした。

 「お守り」だと笑って持たせてくれた、あの気の抜けたデザインの防犯ブザー。本体からは、一本の紐がだらりと垂れ下がっている。引き抜けば最後、けたたましい大音響を響かせ、ピンを再び差し込まない限り絶対に鳴りやまない、昔ながらの単純な構造の防犯ブザーだ。

「お母さん、ごめんなさい。もう、会えないんだね」

 涙がほおを伝う。しげしげと、母がくれた『お守り』を見つめた。

 いたずらに抜いて遊ぶの流行ったな。

 ――そういえば。理科の実験で、誰かが間違えて紐を抜いて大騒ぎになったこともあった。

 可燃性ガスを扱う前、先生が「防犯ブザーを持っている生徒は提出するように」と言ったのだ。

「なんでですか?」誰かがそう聞いた。

「スイッチを入れる瞬間に、火花が飛ぶ場合があるからだ」先生は面倒そうに答えた。

 ――火花。

 わたしは手の中の防犯ブザーを見た。息が止まる。 (もしかして、静電気?)

 すべてが繋がった。ゆっくりとゴーレムに視線を向ける。

 怖い。それでも、この仮説が正しいのか確かめたいという衝動が、恐怖を押しのけていた。

「なにやってる! 早く戻れ!」というれんの叫びも聞かず、わたしは走り出していた。よろめきながら、確実にゴーレムの前に立ち塞がる。

(対峙したとき必ずといって咆哮する。その時なら……)

「グルァァァァァッ!!」

 やっぱり狙った通り。紐を抜いた。キィィィィィンッ! 金属音の高い音が響きわたる。

 わたしはゴーレムの口に向かって『お守り』を投げつけた。小さな火種が、怪物の口内へと吸い込まれていく。

「煉、耳を塞いで伏せて!!」

 ゴーレムの口から白煙が漏れた。巨体がぴたりと動きを止める。長い沈黙が続く。

(まさか、失敗した……?)

 一瞬、絶望が駆けめぐる。ゴーレムがゆっくり向かってくる。一歩。また一歩。

 地響きがわたしの鼓動を速くする。

 ピタリと止まった。巨大な岩の腕が、ゆっくりとわたしへ伸びる。

(ダメだ。間に合わない……)

 キィィィィィンッ! 突然、防犯ブザーの音が途切れた。岩の隙間から強力な光が漏れる。

 これまでの魔法の比ではない、世界を白く染めるほどの規格外の閃光。眩い青白い光が岩の隙間から噴き出す。

 次の瞬間――

 ドォォォォォォォン!!!

 大爆発の余波で、荒野には白い粉塵がもうもうと舞い上がった。

 雨の勢いが一段と激しくなる。

 やがて吹き抜ける風がその煙をぎ払うと、徐々にゴーレムの全容が見えてくる。

 完全な沈黙だった。不気味に発光していた青いクリスタル(核)は、跡形もなく粉々に砕け散っている。おぞましい命が宿っていた巨石のゴーレムは、まるでただの屍みたいに、微動だにせず横たわっていた。もう二度と、再生を始める気配はない……はずだ。

「やった……よね?」

 パズルのように再生してたのが動きも無くなった。

「やった……やった、やった、本当に倒したんだわ!」

 やっぱり、私の仮説は間違ってなかった。

 煉が近づいてきた。

 あまりの緊張からの解放感に、わたしは煉の手を掴んで叫んでいた。煉も興奮を隠せない様子で、顔を上気させて応じる。

「ああ、信じられねえ……! あんな不死身の化け物を、本当にお前、止めちまったんだな! やったーーーっ!!」

 二人の歓喜の声が、誰もいないかのような荒野に響く。

 母のクイズにいつも勝っていた時と、同じ顔で笑っている自分に気がついた。あの朝、母にマウント取るために言った『積み重ね』が、まさかわたしを助けるなんて。

 残った紐を見つめ母親との別れのようで少し悲しかった。(本当にお守りだったんだ)

 わたしはふと肌を刺すような違和感に気がつき、動きを止めた。

(……なんで?)

 おかしい。あんなに苦戦していた怪物を倒したのだ。それなのに、周囲にいる討伐隊からの「空気」が、さっきまでとは決定的に違っていた。歓声も、拍手もない。

 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていた彼らは、いつの間にか足を止め、遠巻きにわたしたちをじっと見つめていた。武器を握る手が、じりじりと強張っていくのが分かる。槍の穂先が、雨に濡れて鈍く光っていた。誰も口を開かない。ただ、後退る足音だけが、ザッ、ザッと湿った土を踏む。

「この威力……なんだ、あれは」 「見たこともないぞ」 「ゴーレムを一撃で……?」 「人間が出来ることなのか……?」

 ザワザワと、不穏な囁き声が波のように討伐隊の間に広がっていく。

「こんな力、どこから出てきた」 「魔女の力だと聞いたことがある」 「魔女だ……」 「魔女の仕業だ……」

 彼らがわたしに向けているのは、明らかな敵意と怯えの混じった視線だった。

「魔女は人を喰らうって話だ」 「北の森に住んでいるとか聞いたぞ」

「おい、待て! こいつはただ――」

 煉が慌ててわたしの前に立ち、討伐隊をなだめようと両手を広げる。けれど、一度膨らんだ集団の恐怖は止まらない。男たちは槍の穂先を鋭く突き出し、じり、じりとその輪を狭めてきた。

 煉がわたしを庇うように立ち塞がった。圧に押されどんどん逃げ場がなくなる。

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