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騎士と泉の境界線  作者: 長島月海
第二章 森の子
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48.秘めたる想い

「武装って、かっこいい?」

 カナは正門の方を指差して、何かを思案しているようだった。

「せっかくなら、みんなで一緒に行こう。盛大に。お嫁さんのドレスも着てみたいし」

「…………は?」

 メアの思考が、わずかに遅れて追いついた。

 カナの言葉はひどく無邪気だ。だが、その裏にある光景を想像し、メアの背筋に冷や汗が流れた。

 白梟師団の武装した使者を、あたかも自分たちの婚礼の護衛として従え、王都の大通りを堂々と行進する。昨夜の「森の主と騎士の恋物語」に沸き立つ民衆の目の前で、間髪入れずに婚姻という名の決定的な続編を叩きつけるのだ。

 白梟師団が身柄確保のために送った武力は、民衆の目には祝福の列にしか映らなくなる。

 正気の沙汰ではなかった。だが、正気の沙汰でないことだけが、この事態をひっくり返す唯一の鍵だと、メアの直感が告げていた。

「あの、隊長……使者が門を叩いてます……」

「聞こえている」

 メアは書類を丁寧に折り、懐に仕舞い込んだ。インクの乾いた二つの名前が、布越しに胸へと押し当てられる。

「ビィ。エフィを呼べ」

「え?」

「ドレスの見立ては俺にはできん」

 ビィの目が丸くなった。扉の隙間からメアの顔を覗き込み、それからカナの顔を見て、机の上の白紙と散ったインクの跡を確認する。何かを悟ったように、ビィの口が戦慄いた。

「た、隊長、まさか……!」

「走れ、ビィ」

 ビィが弾かれたように廊下を駆けていった。「隊長が結婚する!」という叫び声が遠ざかっていく。廊下の角でイーガの「は?」という驚愕の声がぶつかり、続いてガルドの爆発的な笑い声が宿舎全体を大きく揺らした。

 メアは額を押さえ、静かに、深く、溜息をついた。

「……俺の正装は黒い礼装だ。騎士団の紋章入りの」

 カナに向けられたその声は低くぶっきらぼうだったが、決して逃げてはいなかった。

「きっと、かっこいいね」

 メアはただ背を向けて扉へと歩み、手をかけた。カナに表情を見せまいとしているのが丸わかりだった。

「支度しろ。時間がない」

 扉が閉まった。廊下を去るメアの足音と入れ替わるように、別の足音が近づいてくる。速い。それは明らかに怒っている足音だった。

 扉が勢いよく開く。

「聞いた」

 赤い髪の美女、エフィが腰に手を当てて立っていた。昨夜の激闘による疲労など微塵も感じさせない凛とした姿勢で、その鋭い瞳がカナの頭のてっぺんからつま先までを一往復する。裸足。ボロボロの服。髪は寝癖なのか元々なのか判別がつかない。エフィの眉がぴくりと動いた。

「……ビィから聞いた話が本当なら、問題が山ほどある」

 エフィが部屋に入り、扉を閉めてカナの前に立ち塞がった。長身の女騎士が見下ろす視線には、戦場で敵を値踏みする時と同じ冷徹さが宿っている。

「靴がない。髪が酷い。肌は……悔しいけれど問題ない。サイズは私より二回りは小さい。宿舎にドレスなんて置いてあるはずがない」

 指折り数えながら問題点を列挙していくエフィの目が、ふと窓の外を見た。正門の方角。武装した使者が門を叩く音が、微かに響いている。

「時間は」

「あんまりない、かも」

「でしょうね」

 エフィが腕を組んだ。数秒の沈黙の後、彼女は赤い髪を掻き上げ、何かを決意した顔をした。

「私の私物に一着だけある。丈は合わないけれど、応急処置はできる。白じゃなくて淡い青。文句は言わせない」

 ディート一筋のこの女騎士が、なぜドレスを一着隠し持っているのか。その理由を問う者は、この宿舎には一人もいなかった。問えば即座に剣が飛んでくることを、全員が知っていたからだ。

「お嫁さんのドレスって、どんなの?」

 カナが尋ねると、彼女の手の動きに沿って青い水がドレスらしき形を成していく。

「……」

 エフィの手が、無意識に腰の剣の柄から離れた。代わりに宙に浮かぶ水の造形へと伸びかけ、途中で止まる。女騎士の目が見開かれた。鉄壁の表情に、初めて亀裂が入った瞬間だった。

 水はカナの指先から糸を紡ぐように伸び、朝の光を通して美しく揺らめいている。ドレスの形はしているが、細部がまだ曖昧だった。袖の有無や、裾がどこまで伸びるべきか。カナ自身がお嫁さんのドレスの正解を知らないまま、感覚で手を動かしているからだ。

「裾。もっと長くして」

 気づけば口が動いていた。エフィがカナの横に立ち、水の造形を鋭く睨みつける。戦場で隊列の乱れを正す時と同じ、真剣な眼差しだった。

「胸元はもう少し詰めて。花嫁が肌を見せすぎると品がなくなる。袖は……そう、肘の下まで。レースがあればいいけれど、水でどこまで再現できる?」

 エフィの指示に従って水が形を変えていく。カナが手を動かすたびに水面に光が走り、薄い虹が浮かんでは消えた。裾が床に届く長さまで伸び、袖口には細かな波紋が重なってレースのような模様が描かれた。

 エフィが一歩下がり、全体のバランスを確かめる。

「腰にもう少し絞りを入れて。あと背中も」

 声色が変わっていた。命令口調こそ変わらないが、その奥には別の熱が混じっている。この女騎士が、ずっと鎧の下に隠し続けてきたもう一つの顔。

 水のドレスが完成に近づいていた。朝陽を受けて青と金に煌めき、まるで泉そのものを纏っているかのような姿が、部屋の中に浮かび上がる。

「……悪くない」

 それはエフィの語彙における最上級の賛辞だった。赤い髪の女騎士が腕を組み、唇の端が僅かに持ち上がっている。笑っていた。この宿舎の誰も見たことのない、柔らかな笑みだった。

 カナの指が再び動き、水が足元に流れて踵を包むように立ち上がった。透明な雫が寄り集まり、硝子細工のような靴の形を取る。ヒールの高さが定まらず、ぐらぐらと揺れた。

「低くして。歩けなきゃ意味がないでしょう」

 カナが頷くと、踵が縮み、足の甲に沿って水が薄く張りついた。光を受けるたびに色を変える、まるで泉の底を覗き込むような靴だ。

 アクセサリーの調整は難航した。カナが首元に水を集めたが、首飾りなのか襟なのか判別できない曖昧な塊が喉元に張りついている。エフィが額を押さえた。

「違う。見て」

 エフィが自分の首に手を当て、鎖骨のラインをなぞった。

「ここに細い鎖が一本。飾りは小さく、一粒だけ」

 そう指で示しながら教えるエフィの声は、僅かに柔らかくなっていた。

「花嫁は飾りすぎないほうがいい。本人が一番綺麗なんだから」

 言ってから、エフィはハッと口を閉じた。自分の台詞に自分で驚いたような顔をして、誤魔化すように咳払いを一つ。

 カナの手元で水が形を変えた。細い鎖が鎖骨に沿い、中央に雫が一粒、泉の光を閉じ込めたように淡く輝いた。耳元にも同じ雫が一対、静かに揺れる。

 エフィは黙って全体を見渡した。水のドレス、泉の靴、雫の飾り。朝日の中でそれらが揺らめき、部屋の壁に無数の小さな虹を散らしている。

「髪がまだ。座って」

 エフィが椅子を引いた。その手には、自室から持ってきたらしい象牙の櫛が握られていた。使い込まれたその櫛が、カナの黒髪に触れる。

 丁寧だった。戦場では容赦のないその手が、一房ずつ絡まりを解いていく。窓から差し込む光の角度が変わり、時間が過ぎていくのがわかった。正門の向こうで使者が苛立ちを募らせているであろうことも。だが、エフィの手は決して急がなかった。

「動かないで」

 短い命令だった。だがその声は、カナがこの宿舎で聞いたどの声よりも優しかった。

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