45.つまりはそういうこと
「ですので、登録そのものを阻止するか、あるいは登録の形を我々に有利な条件で通すか。そのどちらかを昼までに選ぶ必要があります」
エイは新しいペンを走らせながら、淡々と選択肢を並べ立てた。目は紙面に落ちているが、頭の中では瞬時に別の文章が組み上がっていく。
「前者であれば、カナさんが王国の法の及ばない存在であると枢密院に認めさせる必要があります。しかし、これには前例がありません」
エイは言葉を区切った。カナが聞いているか確認しながら、ゆっくりと続ける。
「後者なら、騎士団付きの特別顧問とか、適当な肩書きをつけて実質的な自由を確保する手もある。だが肩書きをつけた時点で、体制の中に組み込まれることになる」
朝の光が次第に強まっていく。窓からは表通りの賑やかな声が聞こえてくる。昨夜の英雄譚を語る声。騎士と森の主の恋を囃し立てる賑やかな声。彼らはまだ知らない。その英雄譚の続きが、今この小さな部屋で綱渡りのように編まれていることを。
カナがメアを見上げた。メアがカナを見下ろした。
「登録?私に聞かずに勝手に登録するの?」
部屋が静まり返った。
三人の男が、それぞれ異なる沈黙を抱えていた。ディートは顎に手を当て、エイは手を止め、メアは腕を組んだまま目を伏せた。
カナの問いはあまりにも単純だった。だが、単純であるがゆえに、この場にいる者たちの急所を正確に射抜いていた。
「……仰る通りです」
エイが最初に口を開いた。穏やかな声だったが、ペンを握る指は白く強張っている。
「本来であれば、登録には本人の同意が必要です。ですが白梟師団長の親書は、カナさんを人ではなく超常存在として分類しています。王国法上、魔物や精霊は所有と管理の対象であり、意思の主体ではないのです」
エイの声が僅かに掠れた。自分が口にした言葉の醜さを、彼は正確に理解していた。
「つまり、あんたが何を言おうと、向こうは聞く義務がないと思ってるわけだ」
ディートの声は淡白だったが、椅子の肘掛けを掴む指の力が木を軋ませていた。
メアが動いた。壁から背を離し、カナの隣に立つ。見下ろす黒い瞳には、静かで硬い怒りが灯っていた。カナへの怒りではない。この不条理な仕組みそのものへの怒りだ。
「だから枢密院で覆す。お前が人と同じ意思を持つ存在だと、認めさせる」
簡潔だった。政治の駆け引きも法の抜け道もない、真正面からの宣言。エイが顔を上げ、ディートが眉を上げた。正攻法。最も困難で、最も時間のかかる道を、この男は迷わず選んだのだ。
「隊長。それは……」
「できるかどうかは聞いていない。やるんだ」
「人ならいいの?」
メアの口が開き、そして閉じた。
カナの問いは、鋭利な刃物だった。メアの言う、人と同じ意思を持つ存在。ならば、人でなければ意思を認めないのか。人であると証明しなければ、その声を聞かないのか。それはつまり、人でないものには何をしてもいいということなのか。
メアは答えられなかった。答えを持っていなかったからではない。その残酷な答えこそが、この国の法そのものだったからだ。
ディートが天井を仰ぎ、苦い響きの混じる、長い溜息を漏らした。
「正直に言う。この国の法は、人を守るためにできてる。人じゃないものを守るようにはできていない。魔物は討伐するもの、精霊は管理するもの。それが前提だ」
エイのペンが机の上に置かれた。インクの染みた指を組み、金色の瞳がカナを見つめる。穏やかな顔の下で、彼もまた痛みを噛み締めていた。
「ですから、カナさんを人として認めさせるのではなく、既存の分類に当てはまらない存在として新たな法的地位を設ける、という道もあり得ます。ただ、それには……」
「年単位かかるな」
「はい」
再び沈黙が落ちた。昼までに方針を決めろと言ったのはディート自身だったが、目の前の選択肢はどれも短時間で片付くものではなかった。
メアが拳を握りしめた。治ったばかりの骨が僅かに軋む。
「……俺の管轄下に置く」
低い声だった。全員の視線がメアに集中する。
「第三部隊隊長として、森の主の管理責任を俺が負う。登録先を師団ではなく騎士団にする。その上で、俺がカナの意思を代弁する。法が本人の声を聞かないなら、聞ける立場の人間が間に立つ」
首輪の代わりに、鎖を自分の手で握ると彼は言った。カナを守るために、カナを所有するという形を取る。その矛盾を、メアの黒い瞳は正面から見据えていた。
「……お前、それ、自分が何を言ってるか分かってるか」
「分かっている」
「メア、メア。ちょっと聞いて」
カナが声をかけた。硬い表情のまま、メアは反射的に反応する。それはもはや身体に刻まれた条件反射のようなものだった。
「……何だ」
カナの顔に浮かんでいたのは、王国の法体系に挑む森の主の顔ではなかった。何かいいことを思いついた子供のような無邪気な顔だった。ディートの眉が片方上がり、エイのペンを持つ手が止まる。
この部屋にいる三人の男は、それぞれの経験と勘から、同時に同じことを感じ取っていた。それは紛れもない、嫌な予感だった。
メアの目が僅かに細まる。カナの、いいことを思いついた、が、本当にいいことだった試しがあるだろうか。少なくともメアの記憶には、ひとつもなかった。
「言ってみろ」
声は平坦だったが、メアは無意識に半歩カナへと近づいた。何が飛び出しても対処できる距離。騎士の本能が、隊長の習性が、そして彼女の隣にいたいという衝動が、彼を突き動かしていた。
「結婚しよ」




