「龍王」(『化物怪奇譚』)⑥
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午後四時頃、山小屋を攻撃し、僕たちを閉じ込めるかのように篠突いていた雨は嘘のようにぴたりと止んだ。しかし風は止む気配がなく、半ば肝試しになりつつある僕たちの会話の内容に奇妙な臨場感を与えていた。話は連の後、櫛引、三枝さん、また櫛引、津篭と続き、僕の番はなかなか回ってこなかった。
民俗学縛りはもうやめないか、と誰もが言い出したいに違いなかった。僕以外は皆ここが地元であるし、新しい話にも限りがある。誰かが話を始めては皆で「それは知っている」と言い、白ける事もあった。
六回目の大貧民はやっと僕になり、僕は地元に伝わる話を披露する事になった。リクエストされた訳ではないが、四人から「やっと新しい話が聞ける」というような期待の詰まった視線を向けられ、裏切れなかった。
「昔々、庄内に一つの村があった。いつから始まった事かは分からないが、十二月の丑の日になる度に村では何処かの家が必ず火事になった。村人たちはこれを恐れ、山の神様の祟りではないかと話し合った。
彼らは、村でいちばん物知りだった長者にこの推論を打ち明けた。それを聞いた長者が言うには、如何にもその通りのようだ、この村は山の神様の怒りを買っているらしい、鎮める為には若い娘を生贄として差し出すしかない、との事だった。
村に、貧乏な父親とたった二人で暮らしている娘が居た。村人たちは彼女を騙し、山の神様のご神体とされるご神木まで連れて行った。そして、山の中のその木に彼女を縛り付け、放置して殺してしまった。
そしてその年の十二月丑の日、村では火事が起こり、大風が吹いて火の手を村中に回した。村中の家が焼け、逃げ遅れた長者は焼け死んでしまった。そしてその大火が収まった時、生贄にされた彼女の家だけが焼け跡にぽつりと残り、無傷でそこに建ち続けていた」
村に居た時代、町内会か何かの集まりで子供たちに紙芝居の朗読などが行われ、この話を耳にした覚えがある。庄内地方に伝わる民間伝承で、小学生だった当時は怖いと感じたが、今ではありがちな昔話というような気がする。
「それは、何かの寓話かな?」
三枝さんに問われ、特に何も考えていなかった僕は面喰らった。
「分からないけど、山の神様の祟りだと思われていたものがいつの間にか村娘の祟りみたいに置き換わっているんだよな。仏教の話じゃない事は確かだ」
「人間が、そんな神意を振るうものかな」
「神道の死後の世界幽世は、大自然の霊威が宿る世界だ。人間が神々の世に行くっていう考え方は、人間も自然の一部なんだっていう事の示唆じゃないのかな」
櫛引は、僕よりも具体的な解釈をした。「昔話って、大抵『昔々』から始まるだろう。古典まで遡っても『今は昔』と来る。伝承の発端って、人間が自然の一部として暮らしていた時代まで遡れるんじゃないか。だから、未開の頃の観念を色濃く反映しているんだ。人は技術を高めて、それ故に自然の力を失った」
「そこまで深い話なのか、これ?」
「俺の近所に、小暮新報の編集長が住んでいるんだ。その人が、伝承は常に人の手で創られている、って言うんだよ」
「それって、当たり前の事じゃないの?」
「違う。現代でも、根も葉もない噂が出回るに連れてどんどん大きくなり、大事件になったりするだろ? 民間伝承もそれと同じで、作られた観念は人を支配しやすい、有り得るはずのないものまで現実に呼んでしまう、って言うんだ。伝承の存在がそうして目撃される事になって、それが新しい証拠として信憑性を高める。小暮は特にそれが顕著だから、ジャーナリストっていう世情を動かしやすい立場の自分たちは、常日頃から気を付けないとって話だった」
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「幽霊を信じるか?」
いつの間にか、話の主導権は櫛引に移っていた。僕は、これ以上話を引き伸ばす術が見出せなかったので少しほっとした。
「微妙なところだな。普段は信じない、居る訳がないって思うけど、研究会とかで心霊スポットに行ったりするとやっぱり怖いって思う」
津篭が言い、他の者たちも同意するように肯いた。
「幽霊も、科学的に存在が証明されている訳ではない。でも、目撃情報は古代からずっと絶えない。それもきっと、見間違いとかじゃないんだろうな。小暮新報の編集長が言っていたように、世情を動かしやすい人たちが招き寄せた。連もさっき言っていたが、宗教的指導者っていうのは昔、そのまんま村社会の指導者だったからな。卑弥呼が神からの言伝があったって言えば、皆そうだと思っただろうし。
ジャーナリズムは、人間と自然の霊威が近しい関係だった頃の名残りなんだよ、きっと。湊が話したさっきの話も、人間に本来山の神様と同じ力が授けられていた事の暗喩なんだろうな」
「幽霊が居るって、心の何処かでは信じているのも?」
「そう。そして今俺たちは、彼らの世界に最も近い場所で合宿をしている」
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後に、僕はこの合宿中に櫛引の発した「幽霊を信じるか」という問いを、そう遠くない過去に師匠からされていた事を思い出した。
今年の花火大会での打ち上げを終え、帰る途中だった。師匠と、妹弟子とその同級生の男子、それから祭りの少し前から工場を訪れていた元加苅神社の氏子総代という面々で夜道を歩いており、僕は妹弟子が同級生男子と親しげに談笑しているので少々やっかむような気持ちを抱えていた。そんな中で、師匠が「湊君」と不意に声を掛けてきた。
「君は、幽霊が居ると信じるかね?」
初めての打ち上げに対する評価を告げられるのかとばかり思っていたので、僕はやや拍子抜けすると同時に、師匠が疲れているのではないかと疑った。
「いきなり何ですか?」
「いや、さっき慎平君が奇妙な事を言ったものだからね」
師匠は、少し先で妹弟子と並んで歩く後輩を見つめた。彼らと師匠は、大会の前に顔を合わせて何やら話し合いをしたようだったが、僕にその内容は分からない。出所不明の透明の花火玉についてもだが、今年の花火大会は分からない事だらけだった。それでも、僕は初の大仕事を終えた満足感を得ていた。
「打ち上げの場に、彼のお母さんが居るように見えたらしい。慎平君のお母さんは彼を出産した時に亡くなっているんだがね」
「幽霊、ですか?」
「私には分からない。だけど、彼がそう見えたなら多分、な」
師匠はその顔に、ほっとしたような微笑を湛えていた。その表情は、かつて師匠が語った、彼が立ち会ったという恩師の今際に浮かんでいたものと似ているような気がして、僕は何だか感傷的な気分になった。
街灯の下を通過し、また影の道に入った時、不意に僕は背後の路傍から何者かの視線を感じて振り返った。
だが、そこには人影にも似た背高草が、今し方僕たちの通った街灯の光を浴び、濡れたような影を黒々とアスファルトの上に伸ばしているのみであった。
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鹿嶋氏が生まれたのは昭和二年だというので、今年で九十五歳だった。それでも現役で花火を作り続けていたのだから年より若く見えたが、昔より体力が衰えている事は否めない。病院へは定期検診で通う事しかなかったが、それは幸い持病がなく、気も張っていたという事が大きな要因だったのだろう。今年は特別だったらしい花火大会の後から、実際彼は元気がなくなってきたようだった。
彼は戦後、一年遅れで大学に通い、僕と同様学問と並行して花火作りを学んだ。彼の師は、鹿嶋氏が誕生する少し前から胃潰瘍を度々発症するようになっており、それでも尚、花火作りをやめようとはしなかった。そして、鹿嶋氏が弟子となり、初めて一人で打ち上げを行った三年生の夏に息を引き取った。
このような話を聴いているだけに、僕は花火大会以後師匠が段々元気をなくしていく事に、非常に表白しがたい不安を抱いていた。今思えば、彼は今年の花火大会を終える為だけに、気を張っていたのではないか。その反動、ツケ払いにしていた疲労の借金が、一気に返済の時期になったのではないか。
夏休みの終わりから初秋にかけて、師匠は「人生の節目」という言葉をよく使うようになった。生を受けたからには、これを成さねば死ねないという事が誰にでもあるのだ、それに気付けた人こそが、年を取っても気力で頑張る事が出来るのだ、という旨の事を、僕は繰り返し聞いた。
鹿嶋氏の師匠にとってそれは大正十一年の打ち上げであり、鹿嶋氏を弟子として一人前に育てる事だった。また鹿嶋氏自身にとっては、それは今年だった。彼の師匠は今から百年前、最初の義務を成し遂げた。だが、跡継ぎが居なかった事が、その後の二十六年を追加で付与した。
他方、鹿嶋氏には僕や妹弟子が居た。それに僕は今年、大会での打ち上げに成功した。だからこそ、彼の世代交代は既に近づいていたのかもしれない。
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花火師には誰でもなれる訳ではない、という話は既にした。
鹿嶋氏の師匠、僕の大師匠には息子が二人居り、大師匠は彼らを工場の跡継ぎとする予定だった。だが、彼らには才能がなかった。繊細な作業を行う才能も、忍耐力も欠如していた。やがて二人とも出奔し、彼は弟子を探さざるを得なくなった。
鹿嶋氏自身は大学卒業後、見合い結婚をして男女の子を一人ずつ儲けたが、五年目にして離婚し、親権はどちらも妻に渡った。仕事熱心だったのが行きすぎたのか、というのは彼自身の言葉だが、再婚の機会も新たな見合い話もなく、結局弟子を持たないまま九十代まで来てしまった。
このような話を聴き、僕の大学卒業後の進路は大きく揺らいだ。父の期待通り地元に帰り、地方公務員となるか。花火工場を継ぎ、それを天職として完全に小暮へ移住するか。
ここ一ヶ月近く続いているこの葛藤が、この宵啼山合宿の夜に起こった奇怪な出来事への伏線だったのか否かは、もう少し時間が経たねば分からないだろう。だがこの年を越した時、就職内定を取るか否かの選択を迫られる四年生へ進級するのを待たずして、僕を急がせるかのように師匠が急死を遂げた事は、小暮を支配する運命の存在が馬鹿に出来なくなったきっかけの一つだった。
師匠がくも膜下出血で何の前触れもなく亡くなったのは、正月三箇日を過ぎた新年四日目の白昼の事だった。あたかも、正月の鬱勃とした空気を僕たちから奪わないようにしたかの如きタイミングだった。
これを僕は、小暮の伝承の受容の一環として受け止めかけているのだが、それは話を先取りしすぎる事になるので割愛する。




