「龍王」(『化物怪奇譚』)⑤
* * *
ホールに戻ると、三枝さんが口を開いた。
「明治の凶作の事なら、私も聞いた事がある」
正午を回り、まだ午後一時にもなっていない時刻だったが、雨雲は一層暗鬱に垂れ込め、夜のように真っ暗になった。ホールの電気が点き、黒々とした窓が際立って見えた。山の天候は変わりやすいというが、この丘のような山ですらそれを忠実に体現しているようで、訳もなくいらいらした陰気が漂った。
「岩手、宮城、福島の三県の作付面積を合わせて収穫量が例年の一割に満たない、なんて状況で、三枝家の始祖は市外から辰巳の森界隈に移住したの。口減らしに子供が山に捨てられるような状況の街に移住するなんておかしな話だと思うけど、その頃親戚が森の近くに住んでいてね、幾らか蓄えがあるから助けて貰おうって事になったみたいで」
「その人もよく、快く引き受けたな。家族は他に居なかったんだろうか」
櫛引は言いながら、またもやトランプを取り出した。三枝さんは話を切り、不満そうな顔になった。「またババ抜き?」
「飽きるよな。でもポーカーは賭けるものがないし。大貧民でもする?」
「私のこの話し中に大貧民は不謹慎じゃない?」
「別名は『大富豪』だけど?」
「ならいいや。せっかくだし、最後まで残った人が次に何か面白い話してよ」
「俺はもう話したじゃないか」
津篭が、両手を降参するように上げる。
「じゃあ、民俗学縛りで。ね、お願い。そうじゃないと、言い訳出来ないから」
三枝さんが言うので、僕たちは何の話だ、と首を傾げた。
「龍神信仰の謎を解くって事だから、この山小屋宿泊のお金もサークルの経費で落ちるよね、って思って。後輩たちに内緒でお金使っちゃったの」
「ヤバいじゃん」津篭が顔を引き攣らせると、彼女は「だって」と言った。
「櫛引だって、それでいいって言うから」
「え、俺?」櫛引は目を丸くした後、あー、と言葉を探すように上を向き、それから開き直ったように言った。「まあ、雨は想定外だったけど、成果がゼロだった訳じゃない。活動が遊びで終わらなければ何とかなるよ」
話は終わりだ、とばかりにカードが配られたので、僕たちは何も言えなくなった。
ダイヤの三を持っていたらしい連が場にカードを出し、三枝さんに話の続きを促した。彼女は、心なしか声の調子を変えて先を続けた。
「その親戚の家族は、誰も居なかった。名字も三枝じゃなかったしね、何て読むのか分からないような名字で、お祖父ちゃんから聴いたはずだけど覚えてないや。多分、三枝家以前に小暮に移住した人なんだと思う。
辰巳の森から昔の加苅神社、また森を挟んで量仁寺へ抜ける木立ちの道があるでしょ? そこに面した国道が、その頃はまだ整備されていなかったの。だからあの辺りにも家が沢山あって、森の中の方までちらほら建物が建っていた。親戚の家は森を少し入った所にあったらしいけど、お祖父ちゃんが大人になってからは没交渉だし、今どうなっているのかは分からない。
とにかく、その人からお米や野菜を少しずつ分けて貰いながら凶作を乗り切ったみたい。そんな遠い親戚に気前が良すぎるんじゃないか、って私も疑問に思ったけど、勿論ただじゃなかったみたいでね。私の曾お祖父ちゃんの妹、お祖父ちゃんの叔母さんに当たる人を定期的に家に寄越すように三枝家に要求した。
お祖父ちゃんの叔母さん……ああ、ややこしい言い方。名前覚えてないから、便宜上A子さんとでも呼ぶよ。A子さんはその頃まだ十七、八の娘だったんだけど、別に嫌らしい想像しないでね。彼女も時々親戚の家に行くのを楽しみにしていたみたいだったし、色々ご馳走して貰ったり、楽しい話を聴かせて貰ったりしていたんだって。お祖父ちゃんが生まれてからも兄夫婦と同居していたから、時々その話をお祖父ちゃんにも聞かせたりして。それが私にも伝わったって訳だから、伝承ってこういうものなんだ、ってつくづく思うね。
A子さんが聞いた話も色々あるみたいだけど、彼女から聞いた中でお祖父ちゃんが特に印象に残ったのは、福島県の狐にまつわる怪談でね」
話しながらも、彼女は自分の番が来るとカードを出す事を忘れたりはしなかった。僕たちは口を挟む事なく彼女の語りに聞き入っていたが、それはやがて次のような話になった。
人を化かす狐が棲むと言われる村外れの竹藪を、夕暮れに一人の若者が通った。狐の脅威はその辺りで人口に膾炙していたが、その若者は頭から信じていなかった。若者が歩いていると、薄暗い藪の中を若い女が赤子を背負って先を行く。その着物から狐の尻尾が出ているように見えた彼は後を尾け、やがて一軒のあばら屋に出る。
あばら屋には老婆が住んでおり、女は老婆に帰宅を告げた。若者は慌てて家に飛び込み、老婆に、騙されるな、それは娘ではなく狐で、背負っているものは赤蕪だ、と告げた。そして徐ろに赤子を取り上げ、囲炉裏の火の中に投げ込む。目の前で孫を殺されたと思った老婆は怒り狂い、包丁を手に若者に飛び掛かった。
若者は、自分の勘違いで取り返しの付かない事をしてしまったと思いながら、恐れを成して逃げた。老婆は何処までも追い駆けてきて、若者はたまたま通り掛かった寺に駆け込み、住職に一切を話した上で匿ってくれるように言った。住職は若者を寺の中に匿い、人を殺したあなたは僧になるしかないと言って彼の頭髪を剃り落とした。
なまくらの小刀で頭を剃られる痛みに耐えながら、若者は鐘を打ち、念仏を唱え続けた。そして気が付くとそこは藪の中で、頭は髪の毛が弾き毟られて血だらけになっていたという。
「内田百閒の『短夜』っていう小説がそんな感じじゃなかったっけ?」
「『冥途』が出たのは大正末期だよ? 元ネタっていうか、原拠はこっちだと思う」
「よくそんな話、子供に聴かせられたものだね、しかし?」
櫛引が「革命」を起こし、次に構えていた連が頭を押さえて「パス」と言った。
「それを言うならA子さんもでしょ? お祖父ちゃんが小さい頃に同じ話を聴かせたんだから。まあ、彼女の感性もちょっとずれていたみたいでね。その二十何年後かにまた東北凶作、昭和の農業恐慌があった時、毎晩『神様が呼んでるんだ』とか言ってふらっと出掛けていく事があったらしいの。皆気が狂いそうな程お腹が空いていた時だったから、A子さんが特別おかしくなった訳じゃないのかもしれないけどね。
で、最期も異様だった。近所のガリガリに痩せた子供を抱き締めて、田んぼの畦道で夜の間に死んでいたみたいよ。喉に、動物の噛み痕が残っていた。飢えて街中に下りてきた獣から子供を守って、身代わりに死んだって思われたみたい」
* * *
雨は増々激しくなり、時折樹間を吹き抜けた突風が窓をガタガタと揺らした。ごうごうという風の音は獣の唸り声のようで、もしかすると宵啼山の由来はこの風なのではないか、とすら思った。
何度か、天井の電気がバチッという音を立てて明滅した。未だにLEDではなく白熱電球を使っているらしい。一度長い事点かなくなったので櫛引が主人を呼びに行ったが、彼が戻ってくる頃にはまた点いていた。
「すみませんね、古い小屋ですから……」主人は頭を下げながら謝り、いざとなったらと言いながら僕たちに懐中電灯を一本ずつ配ってくれた。
大貧民は一回戦で連に決定し、彼は渋々というように話し始めた。
「二十年近く前、加苅神社に落雷があって社殿が全焼した。連家は元々その神社の神主を世襲する家系で、俺の家はその分家だった。神社の裏手の量仁寺は江戸時代からある古刹だが、神社はそれよりも昔、事によると東北平定の頃からあると言われている。
『連』っていうのは八色の姓で、皇室以外の神々の子孫だとされる豪族に与えられる姓だ。集権的な村社会の指導者、それは古神道の影響が根強い時代、宗教的な意味での指導者でもあったんだろう。それは、朝廷に下って神社を経営する事になって尚先住民の信仰にも関わった」
「龍神信仰? やっぱり、起源は蝦夷?」
目を輝かせながら、三枝さんが身を乗り出した。連は肩を竦める。
「それが分かったら、合宿なんてする意味ないだろう。でも、龍神はその頃から小暮の地に居たはずだ。『小暮民俗資料集』では、古墳時代の地方豪族だった土蜘蛛が九州から日本海を渡って陸奥に移り、龍神の傘下に入ったとされている。
……それで、当時の始祖から始まって量仁寺建立まで続いた連家の龍神信仰への関わりは、神社の裏手、戌亥の森に棲んでいた蜘蛛の化け物の監視だったと言われている。蜘蛛は人を食い、異界の創世の力を得て歴史を改変する。強力な力ではあるが万能ではなく、自分より力を付けた蜘蛛には改変が通用しない。だから、小暮で彼らの縄張り争いが起これば、歴史の遷移が秩序を失い、混沌を招く。
ある蜘蛛の時代、実際にそれが起こった。神社の連家はそれに介入する事が出来なかった。何故なら、この伝承を守っていた本家の血筋が絶えてしまっていたから。神社が落雷で燃えて、神主の一家が全員死んでしまったんだ」
「時系列がおかしくない、それ?」
「これから混乱が収まるから安心してよ。……小暮に住む龍神の眷属は、この蜘蛛と肉食獣の姿をしたもう一派があるって事は知っているよな。民俗資料集最終巻の表紙は、その構造を表している。二種類の眷属は龍神が力を取り戻す百年ごとに、次の百年間の支配者がどちらになるかを決める。
その時間軸に於いて小暮を支配していたのは蜘蛛の方だったんだが、それがどうもお人好しというか、人間に友好的な蜘蛛だった。人を喰らう事は最小限に留め、力も弱かった。だから小暮の外から来た別の蜘蛛に支配権を奪われそうになり、世界に対して荒療治を行った。自分より力の強い者は過去を改変しても変化しないという事を逆手に取り、その外敵を殺してから時を巻き戻した。
彼は自分に資格がないと思ったのか自ら小暮を去り、龍神は異界による支配から解き放たれた人間が増長する事を恐れた。だからまた別の蜘蛛に次の『荒療治』を行わせ、百年前の話し合いの記録そのものを書き換える事とした。次に小暮を支配するのは蜘蛛ではなく、もう一方だと」
「なるほどね。それでこれ以降、また神社全焼が起こる訳だ」三枝さんは、はたと膝を打った。「でも、随分凝った話だね。連の自作?」
「いや、何年か前のお盆に父さんの実家に行った時、親戚から聴いた。でも多分、作り話だろうな。本当に連の本家がそんな役割を持っていて、本家が潰れたから蜘蛛の縄張り争いを止められなかったなんて、じゃあ何であなたは知っているんですか、って話になるもんな」




