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「龍王」(『化物怪奇譚』)③


          *   *   *


 津篭は、次のように語った。

「その儀式っていうのは、何か占いみたいな事をしながら年越し蕎麦なんかを食べたりする行事だったらしいが、その様子が子供ながらに怖かったらしい。熊の毛皮を着たマタギ、東北地方の狩人のようなものだが、そういう男とか、イタコの白装束を纏った女性とか、秋田のなまはげの衣装を着た人々とか、東北の伝統に携わるありとあらゆる人が集まったみたいでな。

 宴会場のような広い座敷に、黒地の屏風が立てられた。絵は例の龍神と、それに平伏す鼬のような動物と蜘蛛で、そのいずれも鬼の面を被ったような顔をしていた。丁度、そうだな、俺の想像通りなら、『小暮民俗資料集』の最終巻の表紙みたいだな。その座敷から見える中庭に大きな池があって、そこには薄紅色の和紙で作られた灯籠が浮かべられた。

 雰囲気は非常に殷賑(いんしん)を極めるものだったが、実際は物凄く静かだったんだと。後から祖父ちゃんは、祖母ちゃんの母親、俺の曾祖母ちゃんに、この儀式は何だったんだって聞いた。そしたら、神様の話し合いの場を作ったんだ、って返されたそうだ。ほら、十月は神無月って言って、出雲大社に神々が集まって会議をするっていうだろ? あれと同じような事が、小暮では百年ごとの大晦日に行われるんだそうだ。『津篭』って名字は『晦日(つごもり)』に由来するらしくて、この時に話し合いの場を用意する家、って事らしい。

 祖父ちゃんはその時まだ三、四歳くらいだったが、この儀式については婿入り後、何度も何度も教えられたらしい。伝統であり、未来に継承すべき事であるから、ってさ。何について話し合うのかは分からないし、集まった人々は(ほとん)どずっと無言だったようだけどな。

 小暮に住む大勢の人々は、皆何かしらの役割を生まれながらに持っているというのが、昔からの考え方らしい。イタコの家、マタギの家、自然から怒りを買わぬよう常に異界と交信する為の職業に、人の世にやって来た神々を守り、時が来るのを待つ風習。考えた事はないか、小暮に生きていると、自分はこれをする為に生まれてきたんだ、って思えるものに出会う事があると?

 神社に合格祈願をする時とか、皆科学の事を忘れている。そういう、ああ神様、って思う瞬間は、小暮に付き物なんだ。遺伝子が自分の全てを支配しているって考え方は好きじゃないけど、超自然的なものを受け入れるルーツは、誰の中にも生きていると俺は思う」


          *   *   *


 僕の花火の師匠・鹿嶋氏が若かりし頃、花火作りの教えを乞うていた人物が、大正十一年に遭遇したという資産家の年越しの話を思い出した。

 その資産家というのは新井一帯を管理する地主で、戦後の農地改革により地主・小作制が廃止されてからは屋敷の広さにその財力の名残りを見せる程度になったが、(くだん)の年越しが行われた時はまだ力を持ち、人脈が広く屋敷に様々な人々が出入りしていた。

 儀式とは言え、知己の内で催された極私的な行事だったので、特に記録が残っている訳ではない。だが口伝によると、鹿嶋氏が彼の師匠から聞いた話は、僕の先入観かもしれないが今津篭から聞いた内容を想起させる。鹿嶋氏の師匠は、百年という節目に於いて何かとても重大な役割を果たした為、首尾の報告も兼ねて招かれたのだという。

 小暮市民の多くが役割を持ち、それが代々継承されるというのなら、鹿嶋氏は彼の師匠から全てを明かされているのかもしれない。真相は未だに定かではないが、それは天命を全うし、成すべき事を成して自然に還る為の儀式だったのではないか、と、断片的な話から僕は考える。

 鹿嶋氏の師匠はその話をした翌年、百々目川花火大会の夜、鹿嶋氏が花火の打ち上げを終えて工場に帰ってくると、布団を顎の下まで掛けて亡くなっていた。川岸で上がる花火を眺めていたかように窓は開き、微かにそちらを向いた彼の口元には満足げな笑みが浮かんでいたという。


          *   *   *


 ババ抜きが櫛引と三枝さんの一騎討ちとなり、三枝さんが上がって終わった時、丁度昼になった。主人が僕たちを呼びに来、五人でホールを出た時、山小屋の外の雲行きが怪しくなっている事に気付いた。

 昼食を摂っている最中に雷が鳴り始めた時は、既に皆絶望的な気持ちになっていたのだが、それから間もなく土砂降りになり、分かっていたとは言え溜め息を()かざるを得なかった。

「まあ、何世紀にも渡る謎をたかが一泊二日の野外活動で解ける訳がなかったし」

 引き攣った顔で三枝さんが言ったが、皆笑わなかった。下山しようにも車に乗ってきた訳ではないし、雷が鳴っている中歩くのは危ない。浮かない顔でホールに戻ろうとすると、気の毒そうにこちらを見ていた奥さんが話し掛けてきた。

「あなたたち、龍神様の洞穴に行こうとしていたみたいね」

「そうなんです。農商大の民俗学研究会で」

 櫛引が答えると、奥さんは「つまらないお話かもしれないけれど」と前置きをした上で言った。

「せめてもの収穫になるといいんだけど、ここが宵啼山って呼ばれるのも、龍神様の言い伝えに由来しているのよ。この山小屋が出来たのは明治だけれど、それ以前にもマタギの人たちが、山で寝泊まりする事があってね。夜になるとあの龍神様の洞穴がある方から、きりきり、きりきり、っていう音が聞こえてくるのよ。途中に崖があるし、洞穴もその時はまだ天然のものだって思われていたから、重要な扱いはされていなかったんだけれどね、それがどうも、日光東照宮の鳴き龍の声に似ているみたいなの」

「夜になると龍が鳴くから、宵啼山ですか」

「そうそう。きっと昔の人たちが、龍神様の声を聴く為に洞穴の天井にむくり、曲線を付けたのね。動物の鳴き声に応じるようにそのきりきりって音が聞こえるから、この辺りの動物は自然の神様だ、っていう言い伝えとも相俟って、誰もが今でもそれを龍の鳴き声だって思うのよ」

 なるほど、と僕は肯いた。

 栃木県、日光東照宮で柏手を打つと、天井から龍の鳴き声がするという話は多くの人が聞いた事があるだろう。この仕組みは、天井に付けられた「むくり」という曲線により、音波が拡散せず天井と床の間で多重反射を起こすからだそうだ。

 遮蔽物の多い山では、それが洞穴から出た後も反射を繰り返しながら続くのかもしれない。また夜に広域に聞こえるのも、放射冷却によって音の屈折が連続的に起こるからだろう。

「本当に、宵啼山の龍の鳴き声の話と龍神信仰最古の洞穴の発見は不思議な符合だと思うのよ。洞穴が見つかっていなかった時代から、人々はこの山で聞こえる音を龍だって言った訳だから。何かきっかけがあるんだとすれば、それは多分悲しいお話になると思うわよ」

「どういう事ですか?」いつの間にか、三枝さんはメモを取り出していた。

「この山の鳴き龍の話は私が小さい頃、お父さんのお母さん、父方のお祖母ちゃんから聴いたお話なんだけどね。山の名前が宵啼山に変わった頃は、丁度明治の大凶作と同じ時期なのよ」

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