「龍王」(『化物怪奇譚』)②
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山元町というバス停で降り、現地集合のメンバーと合流してから、麓の施設でハイキング用のグッズをレンタルした。登山経験者は一切居なかったが、僕たちの目的は山頂を目指す事ではなく、鎌倉時代に作られたと言われる中腹の洞窟にある龍神社を訪ねる事だ。最低限山登りに必要な知識の収集や、山小屋の手配などはメンバーの一人である三枝さんという女子がしてくれた。
「山小屋宿泊の経験、皆ないと思うから言うけど、『旅館』ではないんだからね」
山道を歩きながら、彼女はそう言った。研究会の三年生の中でまとめ役のような立ち位置の彼女は今回のメンバーの中で紅一点で、勿論全部員の中には他にも女子は居るが、男子にぐいぐいと働きかける積極性を備えていた。
「山小屋は基本的に避難場所みたいな性格が強いから、当日宿泊でも断られる事はない。富士山とかだと完全予約制になっているみたいだけどね。勿論私がちゃんと予約しておいたけど、旅館とは違うこの性格から、定員はそんなに多くないし、部屋って区切りもないみたい。多くなったらスペースを譲り合って、詰めて、って事でしょ。狭かったら雑魚寝になるから宜しく」
「いや、俺たちは大丈夫だけど……三枝さんはいいの?」
津篭という天然パーマの男子学生が、気まずそうに発言した。
「いいよ、全然。ベッドが一緒でも気にならないくらいだから。……というのは冗談だけど。出来ればもう一人女子が居て欲しかったかなあ。湊、どうなの?」
「どうって?」急に話を振られ、僕はたじろぐ。
「あんたの仕事場に可愛い子居るでしょ? 一つ年下の」
「雛乃? ああ、一応俺が出掛けるって話はしたけど、着いて来たいとも何とも言わなかったしな」
「誘わなかったの? いいじゃん、お泊まりデート」
「誘える訳ないだろ! 変な勘違いされたら困るし……」
三枝さんの口調に面白がるような要素を感じ、僕は早口になった。第一例の妹弟子には、本人は気付いていないだろうが、明らかに彼女に想いを寄せているであろう同級生が居るのだ。花火大会で打ち上げた謎の透明な玉を確保してきてくれた彼で、頼まれて小暮の花火の歴史にまつわるレポートなどを見た事もあったが、僕は彼には敵わないと思っている。
「……そっか、ちょっと残念。友達になりたかったな」
「個室じゃないって事は、風呂も洗面所もなし?」
五人のうち最後のメンバーで、小柄な男子の連が話を軌道修正する。三枝さんは肩を竦めた。「トイレがあるくらいじゃない?」
「不便そうだなあ。まあ、野宿よりはマシなんだろうけど」
「その野性味溢れるところに夢があるんでしょ」
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山小屋に到着すると、経営している初老の夫婦から、今晩宿泊するのは僕たち五人だけだと説明された。市民センターの遊戯室のような杉のホールに案内され、自由に使用して良いとの事だったが、三枝さんがマナー上密集した方がいいと言い出し、結局隅の方に並べて布団が敷かれた。
貴重品を残し、レンタルした登山用品を含む荷物を夫婦に預けると、昼までの時間はここで過ごす事になった。
「半端な時間になっちゃったねえ……お昼まではちょっとあるのに、龍神社まで行ったら間に合わない。どうせなら、来る途中で寄れば良かった」
櫛引が持参したトランプでババ抜きをしながら、三枝さんが呟いた。
「と言っても、俺たちが登ってきたのはこの山小屋までの、車も通れる舗装された道だったじゃないか。靴も履き替えていないし、あのまま森の中まで入っていく訳には行かなかっただろう」櫛引が言う。「俺が調べた地図によると、若干入り組んだ所に入口があるらしいんだよな。途中で四十五度近くある岩の斜面を、山肌沿いに進まなきゃいけない場所があって。大荷物を持ったままじゃ無理だった」
「ひゃあ、それじゃ場所が移される訳だ。『小暮民俗資料集』の龍神信仰の歴史にさ、何回だっけ、龍神社が移転された回数?」
「記録にある限りでは十三回。まあ、資料が昭和二十年だし、江戸時代以前まで遡ると大分記録も曖昧になるからな。最古の龍神社の史跡って言われているものも、その資料集ではここじゃなくて薙刎沢付近になってるし」
「実際には、鎌倉時代まで遡ればもっとあるかもって事か……」
「でも、鎌倉時代からまた信仰が活発化するまで、大分空白があるよね。鎌倉時代は神仏習合だっけ? で、真言宗が両部神道に影響を与えたり、神道が鎌倉仏教の影に隠れがちというか、歴史書でも鎌倉時代は神道が表にあんまり出てこない印象があるから、龍神信仰もまだ名前がちらほら見られるだけでさ。そのまま記録は減っていって、江戸時代の頃からやっとまた見られ始めるの。龍神信仰の記録が江戸時代以前から続いていたっていうのも、昭和から知られ始めた事だからねえ。『遠野物語』みたいな昔話に口伝されるだけでさ」
「移転かあ……でも、そんなに場所を変えていいのかな?」
「稲荷社の中には『屋敷神』として扱われているものもあるみたいよ。土地じゃなくて、個人の家と敷地を守る神様で、家が移れば移動するの。あるでしょ、時々庭にお稲荷さんがある家。それにああいうのって、買った土地が狭かったりすると置けないし、別な一箇所にまとめるみたいな理由で移しもするらしいよ」
「小暮の龍神は個人じゃなくて、小暮と重なっている異界を統率するみたいな扱いだから、土地は大事なんじゃないの?」
「小暮全域を支配する神っていう扱いだからこそ、全ての土地に宿っているって言える訳。龍神社みたいな社は、龍神信仰では”神様のお家”じゃなくて、異界との交信の窓口っていう扱いなのかもね」
すらすらと口に出す三枝さんと櫛引を見ながら、僕は頭が痛くなってきた。
実を言えば、花火師の仕事との両立の為、僕がサークルに顔を出す頻度は他のメンバーたちよりも少なかった。故に、自分が所属する班で調べた事でも把握しきれていない、という事が僕はしばしばある。
「移転させられている社は、今でもこの山にあったオリジナルなのかな?」
津篭が、僕にカードを差し出しながら言った。僕は一枚引き、持っていた一枚と合わせて布団の上に捨てる。何となく、タイミング的に僕が答えねばならないような気がした。
「それだったら、後の時代の龍神社にも何かしらの年号が刻まれていてしかるべきじゃないか? そしたら信仰の起源もこの山が最古の史跡だって一発で分かっただろうし、多分何度も作り変えているんだろうな」
「交信の窓口扱いなら、それもありか。結局、二十年くらい前の雷で最後の移転先だった加苅神社が燃えてから、撤去されて新しく出来たっていう話も聞かないしな。噂じゃ、祀られていた龍神が近くの寺の裏手に移動したって話もあるけど、扱い的にそれはないか」
僕は肯き、連にカードを差し出す。彼は遠慮がちに、「本気で異界が実在するなんて考えている人も、早々居ないだろうしね」と言った。
「そうかな? それはまた、話が別だと思うけど」三枝さんが言った。「湊、雛乃ちゃんだっけ、花火工場の後輩ちゃん? 多分その子と同じゼミ生だよね、写真サークルの、休学中の……」
「あいつか。最近大学にも顔を出すって聞いたよ」
「うちのゼミの後輩に写真サークルの子が居るんだけどさ、その男子から『この街にはな、化け物が居るんだよ』とか何とか言われた事があるんだってよ。その時は冗談交じりだったみたいだけど、何だか最近、その男子の様子が尋常じゃないとか何とかって言うの。憑き物があるみたいだとか何とかって」
「憑き物?」
「その男子曰く、化け物は実在するとかって。その子は小暮新報編集部でバイトしているらしいんだけど、その同僚たちが本気で異界を信じていて、自分も今接触しているかもしれないって」
「おかしいんじゃないのか、それ?」
櫛引が口を挟んだが、津篭が「いや」と言った。
「よくある事なんだよな。さっき『遠野物語』って言ったけど、ああいう地域に根差した信仰って、科学とはまた違った次元だから。実際小さい頃、大晦日になると死んだ祖父ちゃんが俺によく言ったんだ。祖父ちゃんは婿に来たんだが、小さい頃は家が新井の方にあって、祖母ちゃんとは小さい頃から親戚同士で知り合いだったんだと。だから当時の津篭家に行く事もあったんだけど、ある大晦日に特別な儀式に招待された事があるとかって」




