「神」(『化物怪奇譚』)④
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第二回目の聖域巡りには、何故か吾平編集長も着いて来た。僕は、一ヶ月のうち二回も芙美さんとデート出来るという状況に心を躍らせていたのだが、急に社内旅行みたいになってしまったな、と少々落胆した。
「編集部はいつも戦場みたいな状態なんでしょう? どうして編集長が俺たちに着いて来る事になるんですか?」
「労働基準法では、四週間を通して最低四日は休まねばなりません。違法になって責任を問われるのは社長です。私は別にそれ程休みたい訳でもないので、あなた方の社外での仕事ぶりを見ておこうと思いましてね」
臨済宗の寺院「寧園寺」に向かう道中、吾平編集長はそう言った。
「でも私たちの旅費は両サークルの費用から捻出されているものなんですよ。しかも個人的に飲み食いするお金は自腹ですし。編集長は関係者でないのですから、お金は全部自腹で出して貰う事になりますよ」
「構いません。旅行とは元来そういうものです」
中年男と若い男女二人、という構図で街を練り歩く事になった僕のときめきはかなり減殺される事になったが、吾平編集長が同行してくれた事にメリットはあった。
まず、僕が紹介ページの構成を練っている時、本職の彼にアドバイスを貰えるという点。それに、職場では常に事務的な彼と井戸端会議のような話が出来るというのも貴重な機会ではあった。
「久しぶりなのでなかなか楽しいものですね。妻や子供たち以外とこうした休日を過ごすのは、以前主計さんとの一回きりですよ。もう五年以上前ですね」
情報整理の為に寄った喫茶店で、芙美さんがお手洗いにと席を外した際、編集長が不意に話し掛けてきた。彼の方から仕事以外の話を振ってくるのはこれが最初だったので、僕は最初本気で彼の独り言かと思ってしまった。
「非行少年だった主計さんを、編集長が更生させたんですよね」
「そう、その時の事です。ですから厳密には、彼がまだ社員ではなかった頃の話ですね。五年前と言えば、彼はまだ中学生ですよ」
編集長は彼について「愛すべき不良」のような部分がある、と語った。その上で、無論人様に迷惑を掛けるような非行は感心出来ないが、と付け足した。
「主計さんとの出会いは、彼が我が社の新聞連載小説の書籍を窃盗しようとしたところを、私が捕まえた事ですね。その場でお灸を据えました」
「芙美さんから聞きましたよ。盗んだ本を新古書店で売る、という行為は昔から中高生の間であったみたいですけど、彼の場合自分で読むつもりだったって」
「それを知っているのなら話が早い。彼は、曲がっていても根が腐ってはいなかったのです。夢だってあったのですから。それがきっかけで私たちは知り合い、一年程度現場を見学させたり、書物について談義したりしました」
吾平編集長はそれから彼との思い出についてあれこれを語って下さったが、僕の話にそれを全て取り入れたら長くなるので割愛する。しかし最後の方で、重要な事が彼の口から語られた。
「彼はなかなか更生しませんでしたね。私とも度々衝突しましたし、悪友との付き合いもなかなかやめようとしませんでした。最も衝撃を受けたのは、彼がいわゆる『闇バイト』に関わっていた事でした」
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「窃盗、恐喝、標的の弱みを握る為の盗撮・盗聴、闇業界への物資や情報配達、特殊詐欺、特定の人物の籠絡、なりすまし、擦り替わり、或いはそれらの濡れ衣を着せる事……主計さんから語られた闇バイトの内容は、大まかにはそのようなものです。彼は主に恐喝を専門に行っていたらしいですね。かつあげ、というと軽佻浮薄な子供の非行のようですが、実際には他者の尊厳を土足で犯し、財産を奪う行為ですね。私と関わりを持つようになってからも、彼はそれを行っていたようです。
彼は家を飛び出した後、仲間の家を転々としていたそうですが、時にはそれが出来ない事もある。そうなると金が要る訳です。彼自身も、いつまでもそのような生活をしている訳にも行きませんしね。酌量の余地があるのかと問われれば、あまりにも自己中心的で身勝手な行為と言わざるを得ませんが。
とは言え、彼も良心が痛んだようです。私と付き合い、段々不良行為に対して罪悪感が生まれてきたのでしょう、喧嘩や暴走はもうやめにしたいと、彼自身も仲間に申し出たのだ、と後日語りました。ですがそのまとめ役、ガキ大将のような存在は、今辞めたら主計さんの生活は危うくなる、と彼の弱みに付け込み、仕事を行わせ続けていたそうです。ある日本当にやめにしたい、と強く迫ったら、その人物は『最後の仕事』と言い、彼に条件を提示したそうです。
それは、ある標的に大怪我を負わせる、というものでした。それをやり遂げられたら、グループを抜けていいという訳です。その標的というのは、我が社の社員の一人でした。不良たちは主計さんの動向を監視し、彼には絶対に出来ないような事を言い渡したのです。主計さんは、自分が逃げ出すような事があれば、リンチを加えるつもりだったのだろうとも言っていました。
彼は私に相談するつもりだったようです。闇バイトの事もその時全て明かすつもりだったのだ、と言いました。私であれば、そのような相談にも乗ってくれるだろうと信じてくれていたのです。しかし、帰路に就こうとしていた私が社の近くで目撃したのは、折り畳み式のナイフを手に”標的”の社員に斬り掛かろうとする彼でした。隙を突くつもりだったのか、私より先に退社して夜道の先を進む社員の背後から、尾行するように歩いていたのです。
私は最初、彼が何をするつもりなのか分かりませんでした。ですが、駆け出した彼が振り上げた右手で、何かが月光に煌めいた時、私は全てを察して彼に飛び掛かり、羽交い絞めにしていました。先を行く社員は驚いて振り返りましたが、私は『主計さんが転んでいた』などとごまかして、彼を帰しました。
主計さんはその後、私の腕の中で暫し藻掻いていましたが、やがてナイフを取り落とし、激しく泣き出しました。慟哭と嗚咽が止まらないので話を聞く事も出来ず、私は彼を社に連れて戻りました。そして、家に待つ妻に電話で事情を説明した後、泣き疲れて眠ってしまった彼と共に社で夜を明かしたのです。
翌日、私は彼を連れて、このような喫茶店に行きました。その時はとうに彼も落ち着いていて、ゆっくりですが、全てを話してくれました。
本当に社員を襲うつもりはなかったのだ、と彼は言いました。しかし、気が付いたらあの人の後を尾け、襲い掛かっていたのだと。不良仲間たちは気付かぬうちに彼の縁、頼るべき存在になっていたと言います。彼らに捨てられたり、弱腰扱いされて舐められたり、リンチを加えられたりするのが、無意識のうちに怖くなっていた、と。だから、体が勝手に動いてしまった。自分はもう、社会に居てはならない人間なのだと、彼は涙ながらに長い間溜め込んでいた思いを吐露しました。
私が言った事は一つだけでした。『あなたの居場所はなくなった訳ではないのだから、暗い場所に固執し続けるのはやめなさい』、それだけです。彼には、この小暮新報という場所もあった。家族の元に居られないからと言っても、彼の居るべき場所が闇の世界だけであるはずがない。
彼のその後の行動は速かった。悪友たちに挨拶をする事もなく、不良グループを抜けました。最初の頃は復讐を恐れていた彼ですが、グループの少年たちはその後あっさりと別件でパクられ、補導されて大人しくなったのか主計さんの前に姿を現す事はそれきりなかったようです。彼は中学校への登校を再開し、無論他の生徒たちからは白い目で見られたりもしたそうですが、無事卒業する事も出来ました。
家族との和解は出来ず、卒業後は一人でアパート暮らしになったそうですが、まあそれはやむを得ないでしょう。現実は、ドラマのように万事が上手く行く訳ではないのですから。……私と主計さんとの思い出はここまでです」




