「神」(『化物怪奇譚』)③
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二日後、小暮新報にまた物騒な事件が載った。
曰く、例の加苅神社が昔あった「辰巳の森」界隈で傷害事件があった。被害者は近所の三十代女性で、職場から夜道を歩いて帰る途中で背後から斬り付けられたのだという。幸い被害者は左上腕に軽く切り傷が付けられただけだったが、犯人はすぐに逃亡、暗くて顔はよく見えなかったそうだ。
「このニュース、誰が書いたんだ?」
バイトに行くと、すぐに僕は芙美さんに尋ねた。
「主計さん。昨日のうちに警察に取材に行って、夕刊には載せられるようにって突貫工事で原稿を書いたみたい」
「あの人、こういう事件も書くんだ」
「地域広報紙だからね。社も大きい訳じゃないし社員もそんなに居ないし、いつもカツカツの状態だから。担当は結構大雑把なの。それにこれは、最優先で報道しなきゃいけないでしょ?」
芙美さんは、言いながら演説するかのように両手を広げた。
「連続誘拐事件が止んだと思ったら次は傷害事件だよ。しかも通り魔的な犯行だし犯人はまだ捕まっていないって言うし。危ないでしょ、治安がどんどん悪くなっているって言われている中で」
辰巳の森界隈と言えば、大学からもそう離れていない。実家暮らしの芙美さんなどは確かに近くを通る事もあるだろう。
という事を芙美さんに聞いてみると、確かにその森陰の道は小学校で作った防犯マップに載せられるような要注意スポットだった。人通りの多い国道に面してはいるものの、街灯も少ないし夜になると真っ暗で、森の中には神社がなくなった事で量仁寺という寺に抜ける道が細道が出来、変質者が忍び込むには格好の場所になっているという。少し前まではその細道から続く獣道の先に、屋敷が建って初老の男性が住んでいたらしいが、その人物は不審死を遂げた。
これも小暮市民の遺伝子とやらのせいかもしれないが、そんな怪しい森なので都市伝説の類はお決まりのようにあるらしい。狐火のような怪火がぽつぽつと目撃されたり、鬼面を被ったような化け物が走るのを見た、という話もあった。
「木戸君も気を付けなよ。誘拐は子供が被害に遭いやすいって言うけど、傷害は大人の男の人だって狙われるんだから」
芙美さんの眼鏡のレンズが、キラリと光った。
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編集部で引き受けていた原稿三つを提出し、帰る途中で僕は散歩がてら件の辰巳の森の方へ行ってみた。平日の昼間、大人の姿は勿論、夏休みの終わった学生の姿もなく、通りは森閑としていた。国道の方からは絶えず車の駆動音が聞こえてくるが、それも何処か遠い場所の出来事のようで、森陰の細道に動くものの姿はない。
秋晴れの空の下、木漏れ日がちらちらと道に差し込んでくる。息が止まったような辺りの光景とその妙な長閑さはミスマッチで、その空気はあたかも、何かが起こった途端に平穏が崩れ去るかのような危うさを孕んでいるようだった。
森の中に入った瞬間、気温が下がったのを肌で感じた。木々が日光を遮り、辺りが薄暗くなる。風が吹き抜け、耳元で何かを囁いたような気がした。
刹那、僕は徐ろに足を止めた。
路傍の草叢、背高草の群生している辺りに、奇妙な動物が蹲っていた。鼬のように細長く、片手で掴めそうな程胴が薄い。だが頭部は流線形ではなく、そこで金太郎飴を輪切りにしたかの如く平たく潰れていた。
芙美さんの言っていた「化け物」ではないか、と直感的に思った。
僕の実家は郊外に近い場所にあり、子供の頃夜な夜な外から不気味な鳴き声や足音が聞こえてきて、子供心故の怖いもの見たさで覗いたら大きな鼬だった、という体験を思い出した。その時、この街に化け物が居るのは本当なんだ、と思ったものだ。
鬼面を被っているかのようなその動物と僕は、じっと見つめ合った。眼窩から眼球を貫いて頭の内側を覗き込んでくるようなその眼差しに囚われた、というのもあったし、下手に走って逃げたりしたら襲われそうな気もした。
「……やあ」
僕はぎこちなく片手を上げ、そう話し掛けた。
* * *
聖域巡りの、最初に巡った場所の原稿をまとめ終え、次のプランを練っていると、吾平編集長が「では私はこれで」と言って立ち上がった。
「あれ、吾平さん帰るんすか?」
主計さんが尋ねると、彼は「ええ」と肯いた。
「あれから傷害事件は収まっておりません。既に五件は起きているそうです。子供たちは児童館に居ますが、私が迎えに行かねばなりませんので」
吾平編集長は妻帯者で、小学生の娘が二人居るとの事だった。上が小学四年生で、下が二年生だという。吾平家は共働きなので、娘たちは普段は放課後に二人で児童館へ行き、母親が帰る三時半頃に帰宅するのだが、事件の事もあり吾平編集長が迎えに行く事にしたらしい。
傷害事件は芙美さんの読み通り、一件で終わりはしなかった。あれから僕たちの大学を含む町内で三件、近隣の町で二件の被害者が出、「辻斬り事件」などと騒がれるようになった。被害者同士に接点はなく、一人で歩いていたから襲われた、という事が唯一の共通点だった。中には高校生も居り、住宅街を歩いていたら急に背後から口と胸を押さえられ、拉致されそうになり、抵抗して振り解いたら斬られた、という例もあった。やはり本来の目的は誘拐なのではないか、という意見もある。
「吾平さん、結構子煩悩なんすよね」
「あなたも子供を持てば分かります。それから主計さん、あなたに任せた仕事はまだ終わっていません。これは何としても明日までなので、残れるなら残って下さい」
「へいへい、じゃあ夜、七時以降ならいつでもいいんで、来て貰えますか? 家、結構近いって言ってましたよね?」
「構いませんよ。では、それまでに終わらせておいて下さい」
編集長は言うと、軽く頭を下げてオフィスを出て行った。
「吾平編集長と主計さんって、いい相棒って感じですよね」
僕は、PC画面から顔を上げて主計さんの方を向く。彼は「まあな」と照れ臭そうに言い、大きく伸びをした。
「家裁調査官ですら更生させられなかった俺を救ってくれた人だから」
* * *
五時過ぎ、僕は芙美さんと同時に作業が終わったので、彼女に「家まで送るよ」と申し出た。傷害事件にかこつけて彼女と、などと考えていた訳ではない。彼女は帰路に辰巳の森の脇道を通るので、純粋に心配になったのだ。
「ごめんね木戸君。迷惑掛けちゃうよね」
「気にするなよ。俺たち、パートナーじゃないか」
帰る道々、僕と芙美さんは久々に仕事以外の雑談をした。
彼女は仲の良かった友達が集団失踪事件の最後の被害者になった事で、実はこう見えても結構参っているのだ、と話した。そんな空気が家族にも伝播しているのか、母親が神経過敏がちなのだそうだ。
「傷害事件について、お母さんが変な事言うの。何でも、カミガカリとか」
芙美さんは、色っぽく唇を舐める。が、その唇はたちまち乾いていった。緊張にも似た軽い強張りが感じられ、僕は彼女の次の言葉を待つ。
「神が、犯人に降りているんだって。変な話だよね」
「カミ?」
「キリスト教とかイスラム教みたいな神様じゃないよ。この間、木戸君が話してくれた異界を通る神霊みたいな。広義では超自然の力、とでも言うのかな。神憑り、っていう言葉もあるでしょ」
「東北地方で言えばイタコ(巫女)とか?」
霊が人に乗り移る話なら、日本どころか世界中に無数の話がある。当然小暮にも昔イタコが居て、神からの口寄せを受けていたという歴史もある。
「あんまり気にしないでね。お母さん、少し多感なところがあるから。こういう事件が続けば、見知らぬ人への警戒心が高まるのも分かるっちゃ分かるのよね。この前も木戸君と一緒にお出掛けするって言ったら、過剰な程心配していたしね」
「あれはまだ、傷害事件が始まる前だっただろう」
「新聞の書き物のところに載せてた木戸君の顔写真、二、三日前に変えたでしょ。あれをお母さんが見て、やっぱりやめておくべきだったのよ、なんて言うんだもん。木戸君の顔が、化け物のお面を被っているように見えるって」
僕は思わず「げっ」と顔を顰めた。
「俺の顔が化け物じみているって事か、それ?」
「だからあんまり気にしないでってば。木戸君、格好良いじゃん」
絶対芙美さん、僕の事を揶っているに違いない、と思った。照れ隠しにそっぽを向くと、彼女がくすくすと笑った。




