勇者と魔王6
ミラージュフォレストを抜けた後、外で待っていたのは黒い外套に全身を包んだ何かだった。
「お待ちしておりました」
「私がこれからあなた様にお仕えする者でございます。さあこちらへ、皆一同お待ちかねでございます」
黒い何かの背後には空間の裂け目が出来ていた。シュウの使う亜空の支配者と似ていた。ただ違うのは、今まで感じた事もないほどの禍々しい気配が漂ってきている事だ。
「ささ、私についてきてください」
黒い何かは言うと、空間の裂け目へと体を潜らせる。リリィは緊張と不安を押し殺して、息を飲み込んだ。一歩、空間の裂け目へと足を踏み入れる。暗い靄はリリィの足を飲み込み、その体までもを食らいつくしてしまいそうな程不気味なものだった。
リリィは意を決して、二歩目を踏み出す。空間に全身が飲み込まれた。そう思った瞬間に、視界には地下空洞の様な景色が映った。そこに勢揃いしていたのは夥しい数の魔物だった。
「よっ、待ってたぜ。お前なら来ると思ってたよ」
気さくに話しかける者は、ラーミアだった。
「どうだ? すげぇだろ。こいつら皆、今回の戦争に参加したいって願い出た奴らなんだぜ」
肩をぐるりと抱き寄せて笑いかけるラーミアは、まるでホーミストでの一件を忘れているかの様だった。体も無傷。たった数時間で完治してしまったらしい。
「ま、過ぎた事は気にしねぇからよ。仲良くしようぜ」
ふと、ラーミアの反対側にもう一人誰かがいるのに気づいた。その者は紫紺の羽織を着用していて、髪の毛は伸ばしっぱなしで一度も切った事がないほどに長いものだった。顔にも髪の毛がかかっていて顔もよく見えない。
「二アロ! お前も挨拶しろよ」
「………………」
ラーミアの振りにまるで反応を示さない。
「悪ぃな。あいつああいう奴なんだ」
親指を二アロに向けて言う。
「リリィ様。ではお選びください。魔物達は統制をなし安くするために種族毎に分けて集めております」
黒い何かはリリィの前に出て丁寧な言葉遣いで説明をした。
「まず一つに、ドラゴンの軍勢。こちらは強力なブレスや空中戦を得意としております。二つに、百獣の軍勢。こちらは地に足をつけた戦いを得意としており、種族豊富に所属しております。最後に、アンデッドの軍勢。こちらは言葉通り不死の戦士が勢揃いしております。力量はありませんが、その分肉体が繋がる限り永遠と戦い続けます。どうなさいますか?」
「今日はリリィ、お前の歓迎も兼ねてるんだ。好きなの選べよ」
リリィは高台から魔物達をじっと見渡す。
「それじゃあ、アンデッドで」
「うおおおおおおお!!!!!」
アンデッド達が一斉に湧き上がった。
「では、リリィ様はアンデッドの軍をお率いください」
リリィは飛翔の極意で滑空する。アンデッドの軍を率いて、カルベラの街に進行していた。
もう迷いはない。今までに何度も散々な目にあってきた。信じては裏切られ、信じては裏切られの連続。それはリリィがリリィとしての人生だけに起こった事ではない。全てを思い出した。前世でもその前世でもそのまた前世でも、数々の痛み、悲しみ、苦しみを経験してきた。幸せも全て偽りだ。そう、偽りなのだ。それなのにリリィの心には、何かに締め付けられる様に、怒りを妨げる。
迷いはないはずなのに、どうしてか心苦しいのは、何が原因か。
「ホヅミん……」
不意に口をついて出たその名。唯一残る、幸せの一欠片。リリィが見ないようにしていたきらきらと輝く思い出。ふとそれらが蘇る。だがその記憶を覆い隠す様に、悲惨な記憶が埋め尽くす。眩い光を放ったパネルの一つ一つを塗り潰して、やがては一面が、暗い闇に染まるように。
「リリィーっ!」
ホヅミの声が聞こえた。幻聴が忘れないでと呼び止める様に、リリィの頭で木霊する。
「リリィーっ!」
また真新しいホヅミの声が聞こえた。それは幻聴ではなかった。もしこれが幻聴だとするならば、今進行先にぽつんと立っている姿は幻覚だというのだろうか。いや、そうでは無い。確かにそこに、ホヅミは立っていた。
「ホヅミん……来たんだ」
「リリィ! 馬鹿な真似は止めて! いったいどうしちゃったの!」
リリィはアンデッドの群れを一旦制止した。ホヅミの元へと降り立ち、ホヅミと向かい合う。
「どうもこうもないよ。ボクは今まで、ずっと酷い目にあってきたの。魔物の血を引いてるってだけで、ずっとずっと辛い思いをしてきたの。だから、復讐するの。この手で」
リリィの握りしめた拳には、許せないという強い思いが宿っていた。
「復讐なんて…………そんな………」
ホヅミはリリィの決意の篭った瞳を見て、何も言う事が出来なかった。
説得をしに来たはずなのに、なぜだろうか。リリィの面持ちを見ていると、悲痛に胸が焼けただれそうだ。
「ホヅミん。実はね、ボク今まで何度も生まれ変わってるんだよね」
「それは………どういう事?」
「あの時、ラーミアに思い出させられたの。ボクの前世の全てを。ボクは生まれ変わる度に辛い思いをしてきた」
リリィの突如の告白にホヅミは戸惑いを見せる。それはホヅミの予想を遥かに超える、リリィの辛く重い旅路だ。リリィは何度となく、悲惨な最後を遂げてきていた。
「前の人生では、愛する人に裏切られたわ。ボクが……私が魔物だと知っていて、私と関わって! ………私は売られたわ………一生を奴隷として過ごしたわ……そのまた前の人生では、両親を人間に殺されたわ………更に前の人生では……実験と称してあらゆる拷問を繰り返された………指を潰された事だって、目をくり抜かれた事だって…………あるのよ?」
そう言うリリィの顔は涙に歪んでいた。
「痛かった……助けて欲しかった。何度も何度も助けてって叫んだ……心の中で…………でも誰も………来てくれなかった………」
「リリィ……」
「ホヅミんに分かる?! 来る人生来る人生全部を揉みくちゃにされたボクの気持ちが!」
痛いほどに伝うリリィの叫び。それに呼応して、ホヅミの目からも涙が流れ出していた。
「ボクは復讐する。今まで苦しめられてきた分、全ての恨みを、晴らす。晴らしたいの」
ホヅミは知らなかった。リリィがどれほどの辛い思いを抱えていたのかも。今のリリィにどんな言葉をかけてあげれば良いのか。
ホヅミは自分ばかりが不幸だと過去に思っていた事があった。けれど自分よりも不幸に苦しめられてきた人もいるのだと、今この場で思い知る事となる。
「もしホヅミんが邪魔するなら、例えホヅミんでも」
リリィは掌をかざした。掌には魔力が集中する。今のリリィの魔法であれば、自分など一溜りもないだろう。木っ端の火だ。
ホヅミはリリィの説得を諦めかけていた。そんな時。
トン。
不意にホヅミの背中は叩かれる。
「おいホヅミ。おめぇ友達だろ。良いのかよ、ほっといて」
シュウはホヅミの背後でやり取りをじっと眺めていた。
シュウはホヅミの背中を押すように、限りなく優しい力で、ホヅミの背中を叩いたのだった。
(そうだよ………友達の私が、止めなくちゃ!)
「リリィ、あなたの気持ち、痛いほど………分かるよ。私も今まで生きてきて、ずっと辛い思いをしてきた。リリィ程じゃないかもしれない。だけどね、私はリリィと過ごした日々が幸せだったよ。過去の苦しみも辛みも吹き飛ぶくらいに。その幸せのためなら、何だって乗り越えられるって思った………だから止めるよ………私は、何としてもリリィの事を止めるよ」
「そう………だったら残念だけど…………燃えてもらうよ…………下位火炎魔法」
するとリリィの掌からは、その体躯の何倍もの大きさに膨らんだ火球が生成される。
「シュウお願い!」
「ああ、亜空の支配者!」
リリィの前方には空間の裂け目が現れてその中へと姿を消していったホヅミ。リリィにはそれが逃げたかの様に思えた。だがそこにはシュウが取り残されていた。
「どういう事?」
ホヅミ一人を見失ったリリィ。ホヅミだけを逃がしてシュウが戦うという作戦だろうか。
「入れ替われぇぇぇぇ!!」
リリィが気づいた時には遅かった。頭上から、頭から降ってきたのはホヅミだった。
―――念じ、念じ続けるの。あの時を思い出して。私の固有能力は何のためにあるの。そう、今この時のために、この能力はあるの!
ゴツゥゥゥウウウン!
大きな銅鑼を鳴らしたように、生々しい鈍い音が響く。響き渡ってすぐに乾いて、バタリ、とリリィとホヅミは地面に倒れ込んだ。
「あいたぁーっ」
「痛てててて」
ホヅミはちかちかする視界と激しい痛みを頭に抱えて、ゆっくりと起き上がる。徐々に視界を視認する事が出来るようになっていって、目にした姿を見て口角を持ち上げた。
「もう……心配したんだからね」
「ホヅミん……」
ホヅミの作戦は成功した。再びホヅミとリリィは入れ替わり、二人の争いは避けられた様だ。
「リリィはリリィ。魔王なんて称号捨てちゃえ! ずっと私の友達で、ずっと私の傍にいてよ! 今までが辛かったなら、今までの分。今までが忘れられないなら、忘れられるまで。私と一緒に、幸せに生きよ?」
流れ込んでくる新たなリリィの記憶。それは聞いただけよりも遥かに途方なく、凄まじい鮮烈な記憶だった。
「リリィ…………辛かったね」
ホヅミはリリィの体に入ってとある事を知った。それはなぜ、不死の魔物の軍にしたのか。それはホヅミの事を案じてだったのだ。最後に撃とうとした魔法も、ホヅミに直接当てるつもりもなかったらしい。
「引けぇぇぇ! 魔物達!」
ホヅミはアンデッドの軍に命令する。主をリリィとしたアンデッドの軍は、困惑しながらも素直に指示に従いカルベラとは反対の方へと退行していった。
辺りからは魔物がいなくなり、取り残されたシュウに、抱き合うホヅミとリリィ。
「あの……ホヅミん」
「離さないよ……もう………絶対に……」
「その………ごめん」
どうやら頭を強く打って目が覚めたらしい。ついでに嫌な記憶も忘れられたら良いのにと、ホヅミは心で思う。





