ありえない
検査室の照明が、いつもより白く感じられた。
シリウスは何度もモニターに向き直り、同じ数値を確認するように目を細めている。
医療用のライトの反射が、竜人特有の瞳の奥でちらちらと揺れていた。ソラリスは椅子に座ったまま、その横顔をじっと窺うことしかできない。
「……もう一度、採り直します」
抑揚のない声で、シリウスがそう告げた。
再び採血が行われ、同じ手順が繰り返される。培養皿に落とされた一滴のエイリアン細胞が、ソラリスの血液へと広がっていく様子が、モニター越しに映し出された。
エイリアン細胞が、ソラリスの血液へ触れる。
普通であれば、そこで小さな爆発のような反応が起きるはずだった。
人間の細胞がエイリアン細胞を異物と認識し、攻撃的に排除しようとする様子が、モニター上へ赤い波紋として広がるはずだった。
しかし、何も起こらなかった。
ただ、静かに。まるで初めから同じ場所にいたかのように、二つの細胞は寄り添い、溶け合うように馴染んでいく。
シリウスの喉が、微かに動いた。
「……もう一度も、同じですね」
呟く声に、僅かな震えが滲んでいる。感情を表に出さないと評判の軍医が見せた、その僅かな動揺だけで、ソラリスの背筋にも冷たいものが走った。
「これ……悪いってことなのか?」
恐る恐る尋ねると、シリウスは首を横に振った。
それは肯定の否定ではなく、判断がつかないという意味の仕草だった。
「悪いのかどうかも、わからないんです。前例が、ない」
そう言ったきり、シリウスはしばらく黙り込んだ。診察室の空調が立てる、かすかな唸りだけが響く。
長い沈黙の末、シリウスは気を取り直すように小さく息を吐き、次の検査へと促した。
第三次検査──神経同期試験。
案内された部屋の中央には、繭のような形をした特殊なカプセルが据えられていた。
内部は柔らかな素材で満たされ、横たわると全身がふわりと包み込まれる感触がある。
頭部には無数のセンサーが取り付けられ、微弱な電流のようなものが皮膚を伝った。
「これから、微弱なエイリアン細胞の信号を、脳へ直接送ります。多少の違和感があるかもしれませんが、動かないように」
シリウスの声が、カプセルの外から届く。ソラリスは小さく頷き、目を閉じた。
やがて、頭の奥に何かが触れる感覚があった。
痛みではない。むしろ、遠い記憶を呼び覚まされるような、奇妙な既視感に近いものだった。
まぶたの裏に、あの夜の光景が蘇る。赤く染まった大地、振り下ろされる刃、そして飛び散った黒に近い赤色の体液。左目に流れ込んだ、灼けるような熱。
──その瞬間。
左目の奥で、何かが脈打った。
一度。
二度。
心臓とは違うリズムだった。
「……?」
ソラリスが眉を寄せる。
カプセルの外で、機器が発する電子音が変化し、連続していた測定音のリズムが崩れ、やがて一つの高い警告音へと変わった。
「……っ」
シリウスの短い呼吸音が漏れ、反射的に停止ボタンへ手を伸ばした。
数分後、カプセルの蓋がゆっくりと開く。差し込む光に目を細めながら、ソラリスは身を起こした。全身にじんわりとした疲労感が残っていたが、痛みらしい痛みはなかった。
医療端末のモニターに視線を落としたまま、シリウスは長い間、動かなかった。
その沈黙が、かえって不安を煽る。
「……あの、結果は」
尋ねると、シリウスはようやく顔を上げた。長身を折るようにして、モニターをこちらへ向ける。表示された文字を、ソラリスは目で追った。
適応率:異常値。
拒絶反応:なし。
侵食予測:算出不能。
ソラリスには意味のわからない数字と単語の羅列だったが、シリウスの表情を見れば、それがただ事ではないということだけは、はっきりと伝わってきた。
シリウスは、何度も画面をスクロールし、同じ項目を確認している。
「……侵食予測が、算出できない」
「それって、悪いってことなのか?」
「分かりません」
即答だった。
「分からない?」
「はい」
シリウスはそこで初めて、ソラリスの目を見た。
「私の知っているどのデータにも、該当しません」
言葉を切り、シリウスはもう一度モニターへ視線を戻した。竜人らしい切れ長の瞳が、僅かに見開かれている。
「あり得ないんです、通常なら」
その一言だけを絞り出すように呟くと、シリウスは端末を持つ手を止め、じっとソラリスの左目を見つめた。
医療用のライトに照らされて、水色の瞳がぼんやりと光を返す。
診察室の空気が、これまでとは違う重みを帯びていく。
シリウスの喉から漏れた小さな呼吸だけが、静寂の中に響いていた。
「……少し、詳しく調べる必要があります」
その声を聞いた瞬間、ソラリスは初めて気づいた。
自分は星護軍に入るため、ここへ来た。
──なのに。
どうやら自分自身のほうが、星護軍に調べられる理由を抱えていたらしい。




