第6話 王子がヤキモチを焼いているのでしゅ?
第6話 王子がヤキモチを焼いているのでしゅ?
セレスティアの私室に作られた小さな城は、わずか一週間でピコの第二の住み家になった。窓辺には妖精用の白いテーブルと桃色の椅子が置かれ、庭には木苺、スミレ、白詰草が植えられている。ピコは水色のミニドレスを着て、髪には真珠ほど小さな白いリボンを結んでいた。人間用の大きなテーブルには、苺のタルトと花の香りがする紅茶が並び、セレスティアが読みかけの妖精図鑑を開いていた。
「今日のお洋服も、ふわふわなのでしゅ♡」
ピコはスカートの裾を両手で持ち、その場でくるりと回った。ドレスの内側には薄い綿が縫われ、飛んでも裾がめくれにくいよう工夫されている。セレスティアは椅子から身を乗り出し、妖精専門の仕立屋を王都に開くべきかと真剣に考え始めた。
「桃色もお似合いでしたが、水色なら羽の美しさが際立ちますわ」
セレスティアは銀色の髪を背中へ払い、ピコの姿を帳面へ描いた。絵の横には、袖の長さ、羽を通す穴の位置、本人が食事をしやすい裾丈まで細かく書き込んである。昨夜も遅くまで図案を考えたらしく、机の端には飲み残した紅茶と、半分だけ食べた胡桃の焼き菓子が残っていた。
「セレスティア様も、ピコと同じお洋服を着るのでしゅ」
ピコが提案すると、セレスティアは迷わずうなずいた。次に仕立てるドレスは、二人で同じ色と意匠にすることが決まる。公爵家の侍女は注文内容を手帳へ書きながら、未来の王妃が妖精とお揃いの服で王城へ現れた場合の騒ぎを想像し、手を止めた。
「お茶もお揃いにいたしましょう。ピコさんには、こちらの小さなカップを用意しましたの」
セレスティアは花の形をした妖精用のカップへ、蜂蜜入りの紅茶を一滴ずつ注いだ。ピコは両手でカップを持ち、湯気へ鼻を近づける。甘い花の香りに羽を震わせたが、慌てて飲んで舌をやけどし、セレスティアの皿にあった生クリームへ顔を突っ込んだ。
「冷たくて助かったのでしゅ」
ピコは口の周りを白くしたまま胸をなで下ろした。セレスティアは笑いをこらえながら、柔らかな布で顔を拭く。二人は妖精図鑑を開き、妖精は朝露だけで一日を過ごせるという記述を見つけたが、ピコは大きく首を横に振った。
「朝露だけでは、お昼になる前にお腹が鳴るのでしゅ。木苺と蜂蜜とケーキも必要なのでしゅ!」
ピコが抗議すると、セレスティアは誤った記述を赤いインクで訂正した。さらに、妖精は人間へ恋をしないという一文にも線を引こうとする。ところがピコは慌てて本を閉じ、王子の話は今日お休みだと言った。
その頃、王城の執務室では、アルフレッドが朝から一人で書類へ署名していた。紺色の騎士服の肩にはいつも金色の妖精粉が残っていたが、今日は糸くず一つついていない。胸ポケットにも木苺、キャンディの包み紙、ピコが拾った小石などは入っておらず、きれいに空いていた。机の上には税収の帳簿が積まれ、冷めた香草茶の表面に薄い膜が張っている。
「殿下、こちらが東部三領の収穫報告です」
文官が差し出した書類を、アルフレッドは受け取らなかった。右の肩を見て、それから左の肩を見て、最後に自分の頭へ手を伸ばす。当然、指へ触れるのは整えられた金髪だけだった。
「殿下?」
文官に呼ばれ、アルフレッドはようやく書類を受け取った。小麦の収穫量を確認しようとしたが、余白に描かれた小さな花がピコの服に見える。三度目に同じ行を読んだところで、向かいに座るローランドが帳面を閉じた。
「公務に集中できるとおっしゃっていましたね」
ローランドは無表情のまま、持参した固焼きパンをスープへ浸した。昼食にはまだ早かったが、朝の訓練後に腹が減ったらしい。アルフレッドは、誰もピコの話をしていないと答え、羽根ペンへ新しいインクを含ませた。
「私はピコの話をしておりません」
ローランドが指摘すると、アルフレッドのペン先から黒い雫が落ちた。収穫報告の数字の上に染みが広がり、文官が新しい紙を取り出す。アルフレッドは布で指を拭き、ピコがいなくても何も困っていないと強く言った。
「静かで仕事が進む。耳を噛まれることも、頬へキスされることもない。昼食を勝手に食べさせられることもない」
アルフレッドは新しい報告書を読み始めた。ところが昼食の時間になると、鶏肉と豆の煮込みを前にして手が止まる。いつもならピコが人参を小さな手で運び、残すなと口元へ押し込んでくるのに、今日は湯気の消える音さえ聞こえそうなほど静かだった。
「食欲がないのであれば、ピコ様をお呼びしましょうか」
給仕の侍女が尋ねると、アルフレッドは必要ないと答えた。侍女は頭を下げたが、廊下へ出た途端、待っていた同僚へ何かをささやく。二人が笑いながら去っていく足音を聞き、アルフレッドは冷め始めた人参を口へ運んだ。
午後になっても、ピコは戻らなかった。アルフレッドは王城の廊下を歩くたびに、小さな羽音がしないか耳を澄ませた。洗濯室の前では白いシーツが風に揺れ、厨房の前では泡立て器の音が続いている。そのどちらにも桃色の妖精はいなかった。
「今頃、また新しい服を着せてもらっているのだろうな」
アルフレッドが独り言を漏らすと、後ろを歩いていたローランドがうなずいた。公爵家から届いた手紙によれば、今日は三着のドレスを試し、妖精用の浴室で花の湯へ入る予定だという。なぜ予定まで知っているのかと問われたローランドは、ピコから招待状をもらったと答えた。
「お前まで招待されたのか?」
アルフレッドは足を止め、ローランドの顔を見た。招待状には、いつも干し肉をくれる騎士も来てよいと書かれていたらしい。アルフレッドには何も届いておらず、自分だけが置き去りにされたような気がして、胸元の空のポケットを指で押さえた。
「私は公務がある。遊びに行く時間などない」
アルフレッドはそう言って執務室へ戻った。しかし、その日の署名には三か所の間違いがあり、普段より仕事が遅く終わった。ローランドは訂正の必要な紙を分けながら、妖精がいないほうが公務は進むという発言を帳面から静かに消した。
夕食の時間を過ぎた頃、ようやく公爵家の馬車が王城へ到着した。扉が開くと、ピコが桃色の外套を着て飛び出し、両腕には土産のキャンディを抱えていた。馬車の中からセレスティアが顔を出し、明日も迎えに来ると約束する。
「明日はお揃いの白いドレスなのでしゅ♡」
ピコは大きく手を振り、馬車が見えなくなるまで空中に浮かんでいた。玄関広間には夕食の焼き魚と香草の匂いが漂い、夜番の衛兵が欠伸をこらえている。アルフレッドは階段の上からその様子を見下ろし、いつまで待たせるつもりだと声をかけた。
「王子、ただいまなのでしゅ!」
ピコは嬉しそうに飛んできたが、いつものようにアルフレッドの肩へは座らなかった。彼の前で止まり、両手に抱えたキャンディを一つ差し出す。婚約者と親しくなった以上、以前のように王子へ勝手に触れるのはよくないと考えているらしい。
「今日はずいぶん遅かったな」
アルフレッドはキャンディを受け取り、包み紙を開けた。花の蜜を固めた菓子は小さすぎて、彼が口へ入れるとすぐに溶けてしまう。ピコは自分のために作られた菓子だから仕方がないと笑い、明日はもっと大きなものを頼むと約束した。
「毎日、セレスティアのところへ行くつもりなのか?」
アルフレッドは平静を装ったが、声が少し低くなった。ピコは指を折りながら、ドレスの試着、妖精図鑑の訂正、小さな城の庭仕事など、今後の予定を説明する。さらに、セレスティアと同じ寝台で昼寝をする約束までしていた。
「最近、俺よりセレスティアと過ごしているのではないか?」
アルフレッドは胸の前で腕を組み、ピコを見つめた。ピコは最初、王子も一緒に遊びたいのだと思い、明日は連れていくと提案する。しかし、セレスティアが婚約者なのだから自分が誘わなくても会えるはずだと気づき、首をかしげた。
「王子は、ピコがいなくて困ったのでしゅか?」
ピコが近づくと、アルフレッドは返事をせず顔をそらした。空の肩、静かな執務室、残した昼食、何度も見た胸ポケットのことを口にするのはためらわれた。代わりに、守護妖精が一日中別の屋敷にいるのは職務怠慢ではないかと指摘した。
「ピコは王子のために、離れる練習をしているのでしゅ」
それまで軽く動いていた羽が下がり、ピコは両手を腹の前で握った。新しい水色のドレスはよく似合っていたが、裾をつまむ指には力が入っている。アルフレッドは思いがけない答えに眉を寄せ、なぜ離れる必要があるのかと尋ねた。
「だって、王子には婚約者様がいるのでしゅ。ピコがいっぱいくっついたら、セレスティア様に悪いのでしゅ」
ピコはアルフレッドの左手にある婚約指輪を指した。セレスティアは優しく、自分に服や菓子を用意してくれたため、余計に困らせたくないという。王子の髪で眠ることも、胸ポケットへ入ることも、頬へ一日十回キスすることも、少しずつやめなければならないと考えていた。
「一日十回は多いと、王子も言っていたのでしゅ。だから、今度は一日三回にするのでしゅ」
ピコは笑おうとしたが、唇の端はうまく上がらなかった。やがて三回でも多いかもしれないと考え直し、一回、それから一週間に一回へ減らすと言い始める。最後には、セレスティアとアルフレッドが結婚したら、森へ帰ると口にした。
「森へ帰る?」
アルフレッドの声が玄関広間へ低く響いた。夜番の衛兵たちは顔を見合わせ、聞こえないふりをして正面を向く。ピコは王子の邪魔をしない立派な守護妖精になるためだとうなずいた。
「王子とセレスティア様が幸せになるように、森からお祈りするのでしゅ」
ピコはそう言い、今日一日我慢したご褒美として、アルフレッドの頬へ一度だけキスをした。いつもなら続けて反対の頬や鼻へ移るのに、今日はすぐ離れる。アルフレッドの肩へも座らず、自分の小さな寝台へ戻るため階段を飛んでいった。
アルフレッドは、ピコが消えた廊下をしばらく見つめていた。手の中には花の蜜のキャンディの包み紙が残り、頬には小さな唇の温かさが残っている。婚約者のいる自分へ向けられるピコの愛情を、かわいい、楽しいという理由だけで受け入れてきた。セレスティアとの約束を続けたまま、ピコにもそばにいてほしいと望んでいた自分は、どちらにも誠実ではなかった。
「ローランド、明日の予定を確認したい」
アルフレッドが呼ぶと、柱の陰にいたローランドが帳面を持って現れた。午前は軍議、午後は大臣との会談が入っている。アルフレッドは空いている夕方の時間へ、セレスティアとの面会を入れるよう命じた。
「森の資料についてですか?」
ローランドは予定表へペンを置いた。アルフレッドは首を横に振り、婚約について本音で話し合うと答える。幼い頃から決められていた約束を、このまま何も考えずに続けてよいのか、セレスティア自身の気持ちも確かめなければならない。
「ピコ様には、お伝えしますか?」
ローランドが尋ねると、アルフレッドは階段の先を見上げた。今すぐ期待させるようなことは言えないと考え、まだ黙っているよう命じる。何かを選ぶなら、先に果たすべき責任がある。
その夜、ピコは妖精用の寝台へ入り、木の葉へ新しい決まりを書いた。王子へのキスは一日一回、胸ポケットへ入るのは禁止、同じ枕では眠らないと、黒い木炭で何度もなぞる。隣の大きな寝台ではアルフレッドが目を閉じていたが、規則を書く小さな音を聞きながら、眠らずに朝を待っていた。
「王子、おやすみなのでしゅ」
ピコは寝台の中から声をかけた。アルフレッドも短く返事をし、枕の右端へ残った金色の妖精粉を指でなぞる。明日こそセレスティアと向き合い、自分たちの婚約を、二人自身の言葉で決め直すつもりだった。




