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第5話 恋のライバルは妖精さん激推し令嬢でした

第5話 恋のライバルは妖精さん激推し令嬢でした


 セレスティアはアルフレッドの肩に立つピコを見つめ、白いレースの手袋をはめた両手で口元を覆った。つい先ほどまで未来の王妃にふさわしい微笑を浮かべていたのに、今は紫色の瞳を大きく見開き、頬を林檎のように赤くしている。玄関広間には白薔薇の香油が漂い、磨かれた床の上では、ローランドの額から落ちた果実の皮が転がっていた。ピコは木の枝を構えたまま、セレスティアの次の動きを待った。


「きゃああああっ! 本物の妖精さんですわ!」

 セレスティアの悲鳴が高い天井へ響き、シャンデリアの水晶まで震えたように見えた。彼女は紫色のドレスの裾が汚れることも気にせず、床へ両膝をついてピコと目線を合わせる。後ろにいた公爵家の侍女たちは革張りの資料箱を抱えたまま、主人の変わりように口を開けていた。


「小さいですわ! お顔も、お手々も、羽も、本当に全部小さいですわ!」

 セレスティアは興奮しているのに、ピコを驚かせないよう両手を胸元で握った。普段なら貴族の名前や領地の数字を一度聞いただけで覚える彼女が、今は「かわいい」という言葉しか思い出せないらしい。床へ膝をついたまま少しずつ近づき、握手をしてもらえるかと尋ねた。


「ピコのお手々を握ったら、つぶれてしまうのでしゅ」

 ピコはアルフレッドの耳の後ろへ半分だけ隠れた。セレスティアの手は自分の体と同じくらい大きく、捕まればそのまま箱へ入れられるかもしれない。木の枝を握る指に力を入れたが、セレスティアは手袋を外し、小指だけを差し出した。


「では、小指へ触れていただくだけで結構ですわ。無理にとは申しません」

 セレスティアの声は、先ほどまでの悲鳴とは違って柔らかかった。ピコはアルフレッドの金髪を片手でつかんだまま、もう片方の手を伸ばす。小さな手とセレスティアの小指が触れた瞬間、ピコの羽から金色の粉がこぼれた。


「触れましたわ……妖精さんが、わたくしの指に……」

 セレスティアは息を止め、触れた小指を大切そうに見つめた。次に、羽へ触れてもよいか、桃色の髪は生まれつきなのか、花びらの服は自分で作ったのかと、間を置かずに質問する。ピコは木の枝を下ろし、助けを求めるようにアルフレッドを見た。


「セレスティア、少し落ち着け。ピコが困っている」

 アルフレッドが止めると、セレスティアはすぐに背筋を伸ばした。しかし床へ膝をついたままなので、未来の王妃としての威厳は戻っていない。彼女はピコへ頭を下げ、妖精に会うことが幼い頃からの夢だったと説明した。


「子どもの頃、妖精図鑑を寝台の下へ隠していたな」

 アルフレッドが思い出を口にすると、セレスティアは鋭い目で彼を見た。十歳の誕生日に贈られた妖精図鑑を、王妃教育の教師へ見つからないよう毎晩読んでいたのである。アルフレッドが泥遊びに誘いに来た日も、彼女は図鑑を開いたまま眠り、頬に妖精の挿絵を写していた。


「その話は今しなくてもよろしいでしょう」

 セレスティアは白い手袋をはめ直し、何事もなかったように咳払いした。それでも視線はピコから一度も離れない。ピコは恋敵が剣ではなく質問で攻めてくることに戸惑い、木の枝を背中へ隠した。


 場所を応接室へ移すと、丸いテーブルに昼食が並べられた。香草を詰めた鴨の焼き物、茸のスープ、焼きたての白パン、蜂蜜と胡桃を使った小さな焼き菓子が銀の皿へ盛られている。窓辺の椅子には侍女が置き忘れた布巾が一枚かかり、隅にはアルフレッドが昨日脱いだ外套がまだ畳まれずに残っていた。セレスティアはそれを見つけたが、いつものように注意するより先に、ピコ用の椅子がないことへ気づいた。


「アルフレッド様、なぜピコさんのお席がないのです?」

 セレスティアは自分の膝へハンカチを広げ、ピコを座らせようとした。アルフレッドは、普段は木の実の椀か砂糖壺を椅子にしていると答える。未来の王妃候補は眉を寄せ、王城の家具職人に妖精用の椅子を作らせるべきだと主張した。


「ピコは王子の肩で食べられるのでしゅ」

 ピコはアルフレッドの肩へ座り、料理長が用意した親指ほどの白パンをかじった。セレスティアは、その小さな口が動くたびに両手を握りしめる。あまりに熱心に見られるため、ピコはパンを食べにくくなり、背中を向けて続きをかじった。


「後ろ姿もかわいいですわ。桃色の羽が光を透かして、薄い花びらのようです」

 セレスティアが褒めると、ピコの羽が少し持ち上がった。羽の色を褒められたことはあっても、これほど真剣に観察されたことはない。ピコは口の周りについたパンくずを拭き、片方の羽だけをそっと広げた。


「少しなら、触ってもよいのでしゅ」

 セレスティアは目を輝かせたが、すぐに触れようとはしなかった。手袋を外し、冷たい水で指を洗ってから、柔らかな布で丁寧に水分を拭き取る。アルフレッドが鴨肉を切り分けながら、宝石を扱うときより慎重だとつぶやいた。


「宝石は割れても買い直せますが、ピコさんの羽は一つしかありませんもの」

 セレスティアは指先で羽の端へ軽く触れた。桃色の羽は絹より薄く、触れた場所から金色の光が波のように広がる。セレスティアは息をのみ、目元に浮かんだ涙をレースのハンカチで急いで押さえた。


「婚約者様は、羽を取らないのでしゅか?」

 ピコは不思議そうに尋ねた。森には妖精の羽を薬の材料として狙う人間がいるため、最初はセレスティアも羽を欲しがっているのだと思っていた。セレスティアは椅子から立ち上がり、そんな者が現れたら公爵家の騎士を全員動かして捕まえると宣言した。


「セレスティア様は、ピコを倒さないのでしゅか?」

 ピコはアルフレッドの肩からテーブルへ降り、木の枝を床へ置いた。倒されないと分かっても、まだ完全には信じられず、両手を胸元で組んでいる。セレスティアは再びピコと目線を合わせ、迷うことなく首を横に振った。


「倒すなんてとんでもありませんわ。あなたを生涯お守りいたします」

 セレスティアは騎士の誓いでも立てるように、右手を胸へ当てた。ピコの羽が勢いよく動き、テーブルのパンくずが吹き飛ぶ。アルフレッドは自分の皿へ落ちたパンくずを払い、二人を交互に見た。


「それは俺の役目ではなかったのか?」

 アルフレッドが尋ねても、セレスティアは聞いていなかった。ピコも、守ってくれる人が増えたと喜び、セレスティアの小指へ両腕で抱きついている。アルフレッドは冷め始めた茸のスープを一人で飲み、ローランドはその様子を帳面へ記録した。


 セレスティアが持参した革張りの箱には、森に関する資料だけでなく、公爵領で採れた宝石も入っていた。赤、青、緑の小さな宝石が黒い布の上へ並び、日差しを受けて輝いている。本来は王家へ献上する品だったが、セレスティアは箱をピコの前へ置き、好きなものを選ぶよう勧めた。アルフレッドは公私を混同するなと止めたものの、ピコはすでに宝石の間を歩き回っていた。


「この緑色は、森の葉っぱと同じなのでしゅ」

 ピコは豆粒ほどの翠玉を両手で持ち上げようとしたが、重くて動かせなかった。今度は赤い宝石へ頬を寄せ、暖かいと喜ぶ。セレスティアはその姿を見ながら、妖精用の首飾り、腕輪、髪飾りが必要だと侍女へ次々に命じた。


「ピコは宝石より、木苺のほうが好きなのでしゅ」

 ピコが正直に答えると、セレスティアは花の蜜を使った菓子を作らせると言い出した。さらに、花びらの服はかわいいが雨の日に困るだろうと考え、妖精用のドレスや外套、靴も仕立てることにする。公爵家の侍女は命じられた内容を手帳へ書きながら、紙が足りなくなって次のページを開いた。


「セレスティア、今日は森の資料を届けに来たのではなかったか?」

 アルフレッドが革張りの報告書を持ち上げると、セレスティアは初めて本来の目的を思い出した。彼女は姿勢を正し、魔獣の出現場所について説明し始める。しかし、ピコが宝石の上で滑って転ぶたびに話が止まり、説明を終えるまで普段の三倍も時間がかかった。


 翌朝、王城の正門へ公爵家の荷馬車が三台到着した。最初の荷車には、小さな寝台、鏡台、箪笥、長椅子、食卓など、妖精用の家具が積まれている。二台目には桃色、水色、白色のミニドレスが何十着も収められ、三台目には花の蜜を練り込んだ特製キャンディの箱が並んでいた。門番たちは納品書の長さに驚き、朝食に持ってきた豆のスープを冷ましてしまった。


「全部、ピコのものなのでしゅか?」

 ピコは白い寝間着のままアルフレッドの頭から飛び出し、荷車の周囲を回った。妖精用の寝台には薔薇の模様を縫った敷布があり、箪笥の引き出しには小さな銀色の取っ手がついている。ピコは一つずつ開けて回り、最後には箪笥の一番下へ入り込んで出られなくなった。


「扉を押すのでしゅ! 暗いのでしゅ!」

 アルフレッドが指先で引き出しを開けると、ピコは髪を乱して飛び出した。セレスティアから届いた手紙には、公爵邸の私室へピコ専用の小さな城も建設中だと書かれている。完成したらいつでも泊まりに来てほしいという一文には、薔薇の香りがついていた。


「小さな城まで必要なのか?」

 アルフレッドは納品書を読みながら眉間を押さえた。ピコは花の蜜のキャンディを両手で持ち、頬を膨らませて味わっている。桃の花に似た甘い香りが広がり、見物に集まった侍女たちまで口元を緩めた。


「婚約者様は、ピコの初めてのお友達なのでしゅ♡」

 ピコはキャンディを半分だけかじり、残りを大切に包み直した。次に会ったとき、セレスティアと一緒に食べるつもりだという。アルフレッドは、自分が助けた妖精なのだと主張したくなったが、大人げないと思って口を閉じた。


 数日後、ピコはセレスティアから贈られた桃色のミニドレスを着て、公爵邸へ招かれた。ドレスの裾には真珠ほど小さな白いビーズが縫いつけられ、飛ぶたびにかすかな音を立てる。セレスティアの私室には妖精の人形や図鑑が並び、普段は衣装布をかけて隠している棚まで、今日はすべて公開されていた。机の上には読みかけの恋愛小説と冷めた紅茶が残り、完璧な公爵令嬢にも本を開いたまま眠る癖があることが分かった。


「ここがピコさんのお城ですわ」

 セレスティアが窓辺を示すと、人形の家より精巧な白い城が置かれていた。内部には寝室、食堂、浴室、衣装部屋があり、小さな庭には本物の苺まで植えられている。ピコは口を開けたまま城へ入り、すべての部屋を走り回った。


「お風呂もあるのでしゅ! 王子と違って、セレスティア様なら一緒に入ってくれるのでしゅか?」

 ピコが浴室から顔を出すと、セレスティアは喜んでと答えた。同行していたアルフレッドは、話が違うのではないかと二人を見る。ピコは王子との入浴は我慢しているので問題ないと、胸を張って説明した。


「アルフレッド様、今夜はピコさんをお預かりいたしますわ」

 セレスティアは着替え用のミニドレスを並べ、どれを着せるか真剣に選び始めた。ピコも彼女の肩へ座り、銀色の髪を三つ編みにしたいと頼んでいる。二人の会話へ入れなくなったアルフレッドは、窓辺に用意されていた紅茶を一口飲んだが、すでに冷たくなっていた。


「王子も泊まっていくのでしゅか?」

 ピコが振り返ったため、アルフレッドは一瞬だけ期待した。しかし、男性用の客室は離れた棟にあるとセレスティアが説明すると、ピコはまた小さな城へ戻っていく。アルフレッドは迎えの馬車で帰ると告げたが、二人から返事はなかった。


 その夜、ピコとセレスティアは花の蜜のキャンディを半分ずつ食べ、妖精図鑑を開いたまま遅くまで話した。ピコは図鑑に書かれた妖精の生態へ何度も訂正を入れ、セレスティアは新しい帳面へ一言も漏らさず書き留めた。王城へ戻ったアルフレッドの枕には桃色の妖精粉だけが残り、妖精用の寝台も空っぽだった。


「これで静かに眠れますね、殿下」

 寝室の扉を閉める前に、ローランドがそう言った。アルフレッドは返事をせず、ピコがいつも眠っていた枕の右端を見た。静かな寝室で掛け時計の音だけを聞きながら、彼は何度も寝返りを打つことになった。



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