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第12話 もう我慢しなくていい――王子からの求婚

第12話 もう我慢しなくていい――王子からの求婚


 収穫祭から三日後、ピコは王城の衣装室へ連れていかれた。部屋には絹の反物、色とりどりの糸、使いかけの針山が並び、窓辺には洗ったばかりの白いレースが干されている。中央の机には、十五センチの体に合わせて仕立てられた淡い桃色のドレスが置かれていた。甘い花の香りがする布地には小さな真珠が縫いつけられ、背中には羽を通すための穴が二つ開いていた。


「今日は何のお祭りなのでしゅ?」

 ピコは白い下着姿のまま机へ立ち、ドレスを不思議そうに見上げた。収穫祭はすでに終わったのに、セレスティアは朝から髪をとかし、爪を磨き、花の蜜を使った香油まで塗ってくれた。城の侍女たちも何かを知っている様子だったが、ピコが尋ねるたびに目をそらして笑っていた。


「秋の庭園で、お茶を楽しむ日ですわ」

 セレスティアは白いブラウスと深緑色のスカートを着て、ピコのドレスの紐を結んだ。今日は王妃候補だった頃の豪華な装いではなく、妖精交流調査官として動きやすい服を選んでいる。それでも銀色の髪には白薔薇の飾りがあり、ピコと同じ桃色のリボンを一本だけ結んでいた。


「お茶を飲むだけなのに、真珠がいっぱいなのでしゅ」

 ピコは鏡の前で一回転し、裾の真珠が立てる小さな音を聞いた。先日まで畑で雑草堆肥を混ぜ、長靴を泥だらけにしていた妖精とは思えない。ピコは自分の姿に満足したが、すぐに腹を押さえ、朝食を食べてから来ればよかったとつぶやいた。


「空腹でしたら、こちらをどうぞ」

 セレスティアは机の端に隠していた小皿を取り出した。そこには指先ほどの卵サンド、木苺、花の蜜を塗った小さな焼き菓子が並んでいる。ピコは卵サンドを両手で持ったが、ドレスへ落とさないよう顔を前へ突き出し、一口ずつ慎重に食べた。


「王子にも一つ残すのでしゅ」

 ピコは焼き菓子を半分に割り、片方を葉の包み紙へしまった。アルフレッドは公務で朝から忙しく、朝食の席にも姿を見せなかった。最近は何かを考え込む時間が増え、ピコが頭へ座っても返事が遅れることがあった。


「王子は、ピコに言えない困り事があるのでしゅか?」

 ピコの羽が少し下がり、セレスティアは櫛を置いた。アルフレッドが婚約解消後に何を準備していたのか知っていたが、本人が伝えるべきことなので答えられない。代わりに、困り事ではなく、大切なことを真剣に考えているのだと教えた。


「ピコは、待つのでしゅ。勝手に森へ帰ったりしないのでしゅ」

 ピコは胸を張ったあと、念のため窓から遠い場所へ移動した。セレスティアは笑いをこらえ、もう一度ドレスの裾を整える。二度の失踪と一度の未遂を経験したピコは、悩んだときに誰かへ話す約束だけは守るようになっていた。


 昼を過ぎる頃、ローランドが衣装室へ迎えに来た。灰色の騎士服は新しいものへ替えられ、いつも腰に下げている干し肉の袋まで今日は見当たらない。右手には小さな白い箱を持っていたが、ピコが中身を尋ねると、騎士団の備品だと答えた。箱には桃色のリボンが結ばれており、武器や道具が入っているようには見えなかった。


「ローランドも、お茶会へ行くのでしゅか?」

 ピコは彼の肩へ座ろうとしたが、ドレスへ干し肉の匂いがつかないことを思い出し、空中で止まった。今日は袋を持っていないと気づき、安心して灰色の肩へ着地する。ローランドは、いつも干し肉の匂いがするような言い方はやめてほしいと抗議した。


「今日は少ししかしません」

 ローランドが答えると、セレスティアはもう匂いがすると指摘した。彼は騎士服の内側から小さな干し肉を取り出し、朝から何も食べていないのだと説明する。ピコは半分分けてもらおうと手を伸ばしたが、セレスティアにドレスを汚すからあとにするよう止められた。


 三人は王城の南庭園へ向かった。秋薔薇が咲く小道には落ち葉一枚なく、庭師たちが朝から何度も箒をかけている。噴水の周囲には白い布をかけたテーブルが並び、木苺のタルト、胡桃の焼き菓子、林檎の甘煮、温かな紅茶が用意されていた。しかし、招待客の姿はなく、庭園にいるのはアルフレッド一人だった。


「王子なのでしゅ!」

 ピコはローランドの肩から飛び立ち、アルフレッドの頭へ向かった。ところが金髪へ着地する直前、今日はきれいな髪型を崩してはいけない気がして空中で止まる。アルフレッドは白い礼装に深い青色の上着をまとい、胸元には王家の紋章をつけていた。


「今日は頭へ来ないのか?」

 アルフレッドが尋ねると、ピコは髪型を壊さないためだと答えた。彼は少し笑い、自分の肩を指で示す。ピコは遠慮せず右肩へ座り、耳元で何のお茶会なのかと尋ねた。


「その前に、きちんと昼食を食べよう。朝から何も食べていないだろう」

 アルフレッドはピコを妖精用の椅子へ下ろした。ピコの前には小さな皿と、花の形をしたカップが置かれている。温かい茸のスープ、柔らかな白パン、香草を詰めた鶏肉が運ばれ、湯気からバターと胡椒の匂いが立った。


「王子も朝ごはんを食べていないのでしゅ」

 ピコはセレスティアから聞いたわけでもないのに、アルフレッドの皿を確認した。王子は準備に気を取られ、朝食の丸パンを一口しか食べていなかった。ピコは自分の白パンを半分に割り、大きいほうを彼の皿へ運ぼうとした。


「その大きさでは、俺の一口にもならない」

 アルフレッドは手のひらへピコとパンを一緒に受け止めた。ピコは、それでも気持ちは王子のパンより大きいのだと主張する。彼は小さなパンを口へ入れ、確かに十分だと答えた。


 食事中、ピコはいつもより口数の少ないアルフレッドを何度も見た。王子は鶏肉を切りながらも、ときどき上着の内側へ手を当てている。セレスティアは林檎の甘煮をゆっくり食べ、ローランドは普段の半分ほどの速度でパンをかじっていた。全員が何かを隠しているため、ピコの羽は落ち着かず動き続けた。


「王子、ピコに怒っているのでしゅか?」

 ピコはスープの匙を置き、アルフレッドへ尋ねた。森へ二度も帰ったことや、堆肥を混ぜた日に王子の礼装へ泥を飛ばしたことを思い出した。さらに昨日、昼寝中のアルフレッドの鼻へ木苺を載せた件も、まだ謝っていなかった。


「怒ってはいない。木苺の件は気になっているが、それとは別だ」

 アルフレッドは口元を布で拭き、食事を終えた。ピコにも最後の豆まで食べるよう促し、全員が皿を空にするまで待つ。やがて立ち上がると、ピコへ手のひらを差し出した。


「少し歩こう」

 ピコは差し出された手へ乗り、アルフレッドの親指を両腕で抱えた。セレスティアとローランドはテーブルに残り、二人だけで行くよう見送る。庭園の小道には秋薔薇の香りが漂い、木々の向こうから噴水の水音が聞こえていた。


 アルフレッドは庭園の奥にある、小さな四阿へ向かった。そこは幼い頃、婚約者として紹介されたアルフレッドとセレスティアが、初めて二人だけで話をした場所だった。古い木製の椅子には雨の染みが残り、柱には子どもの頃につけた剣の傷がある。今は天井から白い花と木苺の蔓が飾られ、中央の台には一輪の桃色の薔薇が置かれていた。


「ここは、セレスティアと婚約した日に来た場所だ」

 アルフレッドはピコを手のひらへ乗せたまま、古い椅子へ座った。八歳だった自分は結婚の意味をよく知らず、父親から言われたとおりセレスティアを守ると約束した。その約束を長い間守ろうとしたが、そこに自分の意思があるのかを考えたことはなかった。


「セレスティア様は、王子の大切なお友達なのでしゅ」

 ピコはアルフレッドの左手を見た。青い宝石の婚約指輪はなく、指には薄い跡だけが残っている。二人が自分たちで話し合い、それぞれの人生を選んだことは、もう何度も聞いていた。


「そうだ。これからも大切な友人だ」

 アルフレッドはうなずき、上着の内側から小さな布を取り出した。その中には、ピコが最初に残した置き手紙と、森で見つけた赤い花びらが包まれている。紙は何度も開いたため柔らかくなり、木炭の文字も少しかすれていた。


「君がいなくなったとき、俺は初めて、自分が何を望んでいるのか知った」

 アルフレッドは、空になった肩、静かすぎた執務室、誰もいない枕の右端について話した。ピコがそばにいると仕事を邪魔され、耳を甘噛みされ、勝手に食事を口へ運ばれる。それでも、何も起こらない一日のほうが耐えられなかった。


「ピコは、王子のお邪魔をいっぱいしていたのでしゅ」

 ピコは指を折り、会議中に耳を噛んだ回数、書類へ蜂蜜を落とした回数、髪の中でキャンディをなくした回数を数え始めた。十を超えたところで両手の指が足りなくなり、足の指まで使おうとする。アルフレッドはその手を指先で包み、数えなくてよいと止めた。


「邪魔だと思っていたなら、こんなに必死で捜さなかった」

 アルフレッドはピコの桃色の瞳をまっすぐ見つめた。誰かとの約束を残したまま、自分の気持ちだけを伝えることはできなかった。セレスティアとの婚約を正式に終え、王家と公爵家へ責任を果たしてから、ピコへ向き合うと決めていた。


「今日は、君を守護妖精としてではなく、一人の女性としてここへ呼んだ」

 アルフレッドは四阿の外へ目を向けた。セレスティアとローランドは離れた場所に立ち、こちらを見守っている。ローランドが持っていた白い箱も、いつの間にかアルフレッドの隣へ置かれていた。


「ピコは、王子のお嫁しゃんになってもよい妖精なのでしゅか?」

 ピコは胸の前で両手を組んだ。花びらの服を着て森で暮らしていた自分が、人間の王子の隣へ立つ姿は想像しにくい。人間の法律で妖精と結婚できるのかも、王城の者たちが認めてくれるのかも分からなかった。


「法律や身分については、これから解決しなければならない」

 アルフレッドは曖昧な言葉で安心させようとはしなかった。王族の伴侶に妖精を迎えた前例はなく、国王や貴族から反対される可能性もある。それでもピコと一緒に道を作りたいという意思は、もう変わらなかった。


「困ったことがあれば、二人で話す。勝手に我慢して、一人で森へ帰るのは禁止だ」

 ピコは耳を下げるように羽を畳み、二度と黙っていなくならないと約束した。悩んだときはアルフレッド、セレスティア、ローランド、料理長へ相談する。相談相手が多すぎる気もしたが、アルフレッドは訂正しなかった。


 アルフレッドは白い箱を開けた。中には指輪ではなく、桃色の細い腕輪が入っている。十五センチのピコには人間用の指輪でも大きすぎるため、王家の宝石職人が妖精用に仕立てたものだった。中央には木苺ほど小さな青い宝石が一つはめ込まれている。


「これは婚約指輪の代わりに、君の腕へつける約束の輪だ」

 アルフレッドは腕輪を指先で持ち上げた。宝石は、誰かから与えられた婚約指輪と同じ青色だったが、その意味はまったく違う。今回は家や国に決められたものではなく、自分の意思で選び、自分で用意したものだった。


「もう我慢しなくていい。俺が愛しているのは、お前だ。俺の隣にいてくれ、ピコ」

 アルフレッドの声は落ち着いていたが、腕輪を持つ指が少し震えていた。ピコは手のひらの中央に立ったまま動かない。桃色の瞳が大きく見開かれ、唇が何度も開いては閉じた。


「ピコは十五センチしかないのでしゅよ?」

 ピコはアルフレッドの手のひらを歩き、彼の指と自分の背丈を比べた。王子と並んでも腰どころか足元にも届かず、人間の椅子にも一人では座れない。眠っている王子の寝返り一つで、枕から吹き飛ばされるほど小さかった。


「ちょうどいい。どこへでも一緒に行ける」

 アルフレッドは胸ポケットを指で示した。会議、視察、森の調査、畑仕事にも連れていける。疲れれば手のひらで休み、雨が降れば外套の内側へ入ればよいと話した。


「王子がお風呂へ行くときも、一緒なのでしゅか?」

 ピコは大切な条件を確認するように身を乗り出した。アルフレッドは脱衣所までだと答える。ピコは以前と変わっていないと頬を膨らませたが、少し考えたあと、百年かけて交渉すると決めた。


「それで、返事は?」

 アルフレッドが尋ねると、ピコの瞳から大粒の涙が落ちた。涙は彼の手のひらへ一つ、二つとたまり、月の光を受けた妖精粉のように輝く。ピコは袖で拭おうとしたが、次々にあふれるため間に合わなかった。


「ピコも、王子を愛しているのでしゅ!」

 ピコは桃色の羽を大きく広げ、アルフレッドの顔へ向かって飛び立った。鼻先へ両腕両足で抱きつき、何度も頬をこすりつける。アルフレッドは落とさないよう両手を添え、目元を緩めた。


「百年分のキスをするのでしゅ! 王子がおじいしゃんになっても、毎朝、毎晩、大好きって言うのでしゅ!」

 ピコは鼻先へ一回、右頬へ一回、左頬へ一回、額へ一回と、忙しく飛び回った。途中で耳の古傷を見つけ、治療だと言って甘噛みもする。アルフレッドが回数を数え始めると、ピコは今日から無制限だと宣言した。


「一日十回までではなかったのか?」

 アルフレッドが尋ねると、ピコは婚約した妖精には特別規則が適用されると答えた。そんな規則を誰が決めたのかと問われ、自分が今決めたのだと胸を張る。四阿の外では、セレスティアがハンカチで目元を押さえながら笑っていた。


「腕輪をつけるのを忘れていますわ!」

 セレスティアの声で、ピコはようやくアルフレッドの鼻から離れた。アルフレッドは桃色の腕へ約束の輪を通し、外れないよう金具を留める。青い宝石が桃色の羽と並び、秋の日差しを受けて光った。


「ピコは、王子の婚約妖精なのでしゅ♡」

 ピコは腕輪を掲げ、セレスティアとローランドの前を飛び回った。セレスティアはすぐに「婚約妖精ピコ」という呼び方を帳面へ書き、正式な肩書にできないか検討を始める。ローランドは求婚成功と記録したあと、上着の内側から干し肉を取り出した。


「祝いの日まで干し肉なのでしゅか?」

 ピコが尋ねると、ローランドは空腹だったと答えた。庭園のテーブルには木苺のタルトや胡桃の焼き菓子が残っているため、四人はもう一度席へ戻った。冷めかけた紅茶は新しいものへ替えられ、林檎と香辛料の温かな匂いが立った。


「王子、この半分はピコが食べるのでしゅ」

 ピコは木苺のタルトを指し、自分の体より大きな一切れを要求した。アルフレッドは妖精用に小さく切り分け、生クリームを一さじだけ載せる。ピコは婚約のお祝いだから三さじ必要だと主張し、セレスティアも味方した。


「甘やかしすぎではないか?」

 アルフレッドが言うと、セレスティアは一生に一度の求婚なのだから問題ないと答えた。ローランドも無言で生クリームを一さじ追加する。ピコは三人を順番に見て、王城には自分を甘やかす人しかいないと満足そうに笑った。


 夕方になると、庭園の木々へ金色の光が差した。食べ終えた皿には木苺の種が少し残り、テーブルクロスにはピコが落とした生クリームの染みがついている。庭師は落ち葉を集めて雑草堆肥へ運び、料理人は果物の皮を家畜の餌にするため籠へ入れた。ピコは先日学んだ命の循環を思い出し、皿に残ったタルトの欠片を一つずつ食べた。


「ごちそうさまなのでしゅ。王子も、残したらだめなのでしゅ」

 ピコはアルフレッドの皿に残った林檎を両手で運び、彼の口元へ差し出した。アルフレッドは素直に食べ、今度はピコの口についた生クリームを布で拭う。ピコはその指へまたキスをし、一日何回目か分からない愛情を伝えた。


「王子、これからは本当に、がまんしなくてよいのでしゅね?」

 ピコはアルフレッドの手のひらへ座り、青い宝石の腕輪をなでた。アルフレッドは、自分の気持ちを隠す我慢も、一人で姿を消す我慢も必要ないと答える。ただし、公務中の耳への甘噛みと、書類へ蜂蜜を落とすことは我慢するよう条件をつけた。


「それは、とても難しいのでしゅ」

 ピコは真剣に考え、まず一週間だけ努力すると約束した。その直後、アルフレッドの頭へ飛び込み、金髪を両腕で抱きしめる。婚約を認めてもらうための新しい課題が待っていても、もう一人で抱えるつもりはなかった。


「王子、大好きなのでしゅ! 百年分、覚悟するのでしゅ♡」

 アルフレッドは頭上の小さな婚約者へ片手を添え、望むところだと答えた。セレスティアは次に作る婚礼衣装の図案を考え、ローランドは残った焼き菓子を紙袋へしまっている。秋薔薇の香りが満ちる庭園で、ピコはもう誰にも遠慮せず、王子の金髪を自分の住み家として抱きしめた。



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