第11話 ピコを研究して知った、森の循環と自然破壊の恐怖
第11話 ピコを研究して知った、森の循環と自然破壊の恐怖
妖精交流調査官となったセレスティアは、王立魔導の森の入口に小さな研究所を構えた。白い漆喰の建物には、妖精用の扉と人間用の扉が並び、窓辺にはピコ専用の机と椅子が置かれている。大きな机には植物図鑑、土を入れた小瓶、乾燥させた木の葉、泥のついた帳面が積み重なっていた。昨夜飲んだ紅茶のカップも片づけられず、底には冷えた茶と花びらが残っていた。
「ピコさん、今朝の体調はいかがですか?」
セレスティアは白いブラウスの袖をまくり、桃色のエプロンを着けていた。ピコを研究対象ではなく、森の知識を教える共同研究者として迎えるため、質問する前には必ず本人の同意を得る。ピコも白い作業着と緑色の長靴を身につけ、妖精用の椅子へ胸を張って座った。
「朝ごはんを二回食べたので、元気いっぱいなのでしゅ!」
ピコは両手を上げ、桃色の羽を大きく広げた。一回目は王城で木苺パンを食べ、二回目は研究所で蜂蜜入りの麦粥を食べている。セレスティアは食事量の欄へ「非常に良好」と書き、その横へ小さな木苺の絵を描いた。
「羽の光も昨日より強いですわ。ただ、右側に少し曇りがありますね」
セレスティアが指摘すると、ピコは肩越しに自分の羽を確認した。森へ近づいてから、いつもより飛びにくく、花の蜜も薄い味に感じるという。研究所の外では風が吹いていたが、森から流れてくる空気には、土ではなく焦げた木と灰の匂いが混じっていた。
「森が、うまく息をしていないのでしゅ」
ピコは窓辺へ飛び、遠くの木々を見た。葉の色は緑でも、枝の間を飛ぶ虫が少なく、鳥の声も以前より弱い。セレスティアは帳面を閉じ、ピコが違和感を覚えた場所を直接調べることにした。
アルフレッドとローランドも同行し、四人は森の東側へ向かった。アルフレッドは紺色の騎士服の上へ革の胸当てを着け、ピコはいつものように彼の肩へ座っている。ローランドの背負った籠には、丸パン、塩漬け肉、水筒、朝の残りの固焼き菓子が入っていた。調査用の道具より食料が多いのではないかとアルフレッドが指摘したが、ローランドは森で空腹になったときの危険性を真顔で説明した。
「王子の肩は、森を見るのにちょうどよい高さなのでしゅ」
ピコはアルフレッドの耳を両手でつかみ、右や左へ体を傾けた。そのたびに王子の顔まで引っ張られ、真っすぐ歩けなくなる。セレスティアは調査帳へ「妖精の移動には王族一名が必要」と書き、アルフレッドから消すよう求められた。
森の東側へ着くと、空気が急に乾いていた。地面には切り株が並び、大きな木があった場所へ細い杭が打たれている。王都の人口が増えたため、新しい農地を作ろうと商人が森を伐採し、表面の草や落ち葉まで焼いたのである。黒く焦げた土からは白い煙が細く上がり、焼けた根の匂いが喉へ張りついた。
「ここにも、森があったのでしゅ」
ピコはアルフレッドの肩から降り、黒い地面へ立った。ところが土は硬く、長靴の底さえ沈まない。木の根元で眠っていた虫、落ち葉を食べていた小さな生き物、花の蜜を集めていた蜂の姿はなく、風が吹くたび灰だけが舞った。
「畑にするため、邪魔なものをすべて焼いたそうです」
セレスティアは商人から提出された開墾記録を広げた。木を切り、雑草を抜き、虫を駆除し、土を平らにすれば、すぐ作物を植えられると書かれている。帳面の数字では効率的な計画に見えたが、目の前の地面には命の動く気配がなかった。
「雑草は、邪魔なだけではないのでしゅ」
ピコは焦げた土へ両手を当てた。妖精の光を流しても、金色の粉は地面へ吸い込まれず、風に飛ばされてしまう。根が土を抱え、枯れた葉が乾燥を防ぎ、それを虫や菌が食べることで次の植物が育つのだと説明した。
「小さな虫まで必要なのか?」
アルフレッドが尋ねると、ピコは近くの切り株を指した。森では倒れた木へ虫が入り、その木を鳥がつつき、柔らかくなった木を菌が分解する。長い時間をかけて土へ戻った木が、次の芽を育てていた。
「森には、いらないものなんて、ほとんどないのでしゅ」
ピコは焦げた木片を拾い、胸へ抱えた。人間には枯れ葉や雑草がごみに見えても、土の中では食べ物になる。すべて取り除いてしまえば、畑へ種をまいても、最初の数年しか育たないと告げた。
開墾地の奥には、すでに小麦が植えられていた。しかし茎は細く、葉の先が黄色くなっている。農夫たちは朝から水を運び、肥料をまいていたが、雨が降るたび表面の土が流されていた。休憩用の小屋には泥のついた長靴が並び、鍋の中では豆と蕪の薄いスープが冷めていた。
「こんなはずではなかったんです」
農夫の一人が帽子を脱ぎ、荒れた畑を見渡した。最初の収穫は多かったが、翌年から小麦が育たなくなったという。収穫を増やすため森をさらに切るよう商人から命じられていたが、このまま進めば同じことを繰り返すだけだった。
「森を全部切ったら、雨の水をためる場所もなくなりますわ」
セレスティアは畑の斜面を調べ、雨でできた深い溝を帳面へ描いた。木の根がなくなったため、降った雨が土と一緒に川へ流れ込んでいる。下流の村では川が濁り、魚が減ったという報告まで届いていた。
「人間は作物を食べなければ生きられない。だが、畑を作るために森を殺せば、その畑も長くは生きられないのか」
アルフレッドは乾いた小麦の葉を指で確かめた。王城の食卓へ並ぶパンも肉も、帳簿の数字から生まれるわけではない。土、水、虫、植物、それを育てる人間の手がつながり、ようやく一皿の食事になるのだと理解した。
「壊すのは一日でも、森が戻るには何十年もかかるのでしゅ」
ピコは焦げた地面へ座り、羽を閉じた。人間の何倍も長く生きる妖精にとって、森が育つ時間は身近なものだった。それでも切り株だらけの土地が元へ戻るまで、自分の力だけでは足りないと話した。
セレスティアは森をこれ以上伐採するのではなく、今ある畑の土を回復させる方法を考えた。ピコ、農夫、王立魔導院の研究者を集め、開墾地の一角で実験を始める。まず畑の周囲に生えた雑草を根こそぎ捨てず、種のついていないものを刈って積み上げた。刈った草へ台所から出た野菜くず、家畜小屋の敷き藁、少量の糞を混ぜ、何層にも重ねた。
「ごみの山にしか見えませんね」
若い農夫が鼻をつまむと、ピコは小さな木の枝で積み草をつついた。水分が多すぎれば腐った匂いが強くなり、乾きすぎれば分解が進まない。手で握って少し湿り気を感じる程度に調整し、何日かごとに全体を混ぜるよう教えた。
「これは雑草堆肥なのでしゅ。草が土のごはんに変わるのでしゅ」
ピコが説明している間にも、積み草の中では熱が生まれていた。セレスティアが温度を測ると、外気よりはるかに高い。農夫たちは湯気が上がる草の山へ手を近づけ、火を使っていないのに温かいことへ驚いた。
次に、森の入口へ積もった落ち葉を集めた。ただし、地面をむき出しにしないよう、一か所から全部取らず、薄く残す。集めた落ち葉へ水をかけ、枝を混ぜ、木枠の中で時間をかけて腐葉土にする。数か月前からピコが作っていた腐葉土を掘り返すと、黒く柔らかな土から雨上がりの森と同じ匂いがした。
「落ち葉が、こんな土になるのですか」
アルフレッドは手袋を外し、腐葉土を手ですくった。軽く握ると形になり、指を開けばほろほろと崩れる。焦げた畑の土とはまったく違い、細い根や小さな虫が動いていた。
「これは森が何年もかけて作っている土なのでしゅ」
ピコは腐葉土の上を歩き、足が柔らかく沈む感触を喜んだ。人間が同じ仕組みを借りることはできても、森から落ち葉を奪いすぎてはいけない。必要な分だけ受け取り、使った場所を守るのが約束だと強く伝えた。
ローランドは伐採で出た細い枝を集め、穴の中でゆっくり蒸し焼きにした。完全な灰にせず、黒い炭の状態で消火する。出来上がった燻炭は軽く、細かな穴が無数に開いていた。手で触れると黒い粉がつき、ローランドの灰色の騎士服も腕まで真っ黒になった。
「騎士団へ戻ったら、煙突掃除をしてきたと思われます」
ローランドは無表情で袖を払ったが、黒い粉はさらに広がった。ピコは彼の肩へ座ろうとして、自分まで黒くなると気づいて空中で止まる。アルフレッドとセレスティアは顔を見合わせ、久しぶりに声を上げて笑った。
「燻炭の穴は、水と空気と、小さな生き物の家になるのでしゅ」
ピコは炭の欠片を両手で持ち上げた。腐葉土や堆肥と混ぜて畑へ入れれば、固くなった土へ空気の通り道ができる。燃やすだけだった枝も、土を助ける材料として利用できた。
最後に必要になったのは、みみずだった。農夫たちは最初、作物の根を食べるのではないかと警戒した。ピコは湿った腐葉土を掘り、赤茶色のみみずを一匹見つけた。両手ですくおうとしたが、ぬるりと動いて腕から滑り、長靴の中へ入った。
「ひゃあああっ! くすぐったいのでしゅ!」
ピコは空中を飛び回り、片方の長靴を振った。みみずは無事に腐葉土へ戻されたが、ピコの靴も一緒に落ちて泥だらけになった。セレスティアは笑いをこらえながら、布でピコの足を拭いた。
「みみずは枯れた葉を食べて、土へ返すのでしゅ」
ピコは裸足のまま、みみずが通った小さな穴を示した。その穴から空気と水が入り、硬い土が少しずつほぐれる。目立たず、人間から嫌われることもあるが、畑の下では休まず働いていた。
「王城の大臣より働き者かもしれないな」
アルフレッドが言うと、ローランドは否定しなかった。セレスティアは帳面へ「みみずの保護区域」と書き、農薬を使わない試験区画を設けた。農夫たちも、みみずを見つけても殺さず、腐葉土の中へ戻すようになった。
土の改良には時間がかかった。雑草堆肥は何度も切り返し、腐葉土は乾かないよう水分を確かめ、燻炭は多すぎないよう量を測った。ピコは毎朝畑を飛び回り、葉の色、土の匂い、虫の数を調べた。作業後には木箱へ腰を下ろし、農夫たちと黒パンへ山羊のチーズを挟んで食べた。
「今日の土は、昨日より柔らかいのでしゅ」
ピコは泥のついた指を嗅ぎ、満足そうにうなずいた。アルフレッドも剣ではなく鍬を握り、セレスティアはドレスの裾を泥だらけにして堆肥を運んだ。ローランドは作業の合間に食べるため、干し肉を畑の杭へ何本も掛けていたが、鳥に二本持っていかれた。
春になると、試験区画へ小麦、豆、蕪を植えた。以前は雨が降ると水が表面を流れていたが、改良した土にはゆっくり染み込んだ。みみずの数も増え、花が咲くと蜂や蝶が戻ってきた。森の端には伐採を禁止する区域を設け、畑との境に低木や草を残した。
「虫が戻ってきたのでしゅ!」
ピコは白い蝶を追い、畑の上を何度も回った。蝶だけでなく、それを食べる鳥も戻り、鳥の落とした種から新しい草が生える。ピコの羽の曇りも消え、桃色の光が朝日を受けて強く輝いた。
「すべてがつながっているのですね」
セレスティアは帳面を閉じ、畑と森を見渡した。雑草は堆肥になり、落ち葉は腐葉土になり、枝は燻炭になった。それらをみみずや菌が分解し、育った作物を人や家畜が食べ、残ったものが再び土へ戻る。
「人間だけが、輪の外に立っているわけではないのでしゅ」
ピコはセレスティアの手のひらへ座った。人間も動物や植物の命をもらい、自分の命をつないでいる。だから食べることを恐れるのではなく、何を壊し、何を残すのかを考えなければならないと話した。
夏の終わり、最初の収穫の日を迎えた。小麦の穂は金色に実り、豆の莢は丸く膨らみ、土の中から大きな蕪が抜けた。農夫たちは笑いながら籠を運び、子どもたちは落ちた穂を一本ずつ拾った。伐採地のすべてが森へ戻ったわけではないが、これ以上壊さずに作物を育てる方法は見つかり始めていた。
収穫後、研究所の前へ長いテーブルが並べられた。焼きたての小麦パン、蕪と豆のスープ、香草を詰めた鶏の丸焼き、木苺のタルトが置かれている。ピコの前には、小さなパンと豆一粒、薄く切った鶏肉が用意された。湯気には野菜の甘い匂いと、焼けた皮の香ばしさが混じっていた。
「この鶏も、昨日までは生きていたのでしゅね」
ピコは薄切りの肉へ両手を添えた。農夫が育て、餌を与え、水を飲ませ、今日の食事のために命をもらった。小麦も蕪も、生きて育ったものを収穫したのだと、子どもたちへ説明した。
「食べなければ、わたくしたちは生きられません」
セレスティアはパンを両手で持ち、目を閉じた。だからこそ食べきれる量を取り、残ったものも堆肥や家畜の餌として使う。命を軽く扱わず、次の命へつなげることが、人間にできる感謝の形だった。
「いただきます、なのでしゅ」
ピコが頭を下げると、アルフレッド、セレスティア、ローランド、農夫たちも同じように食事へ向き合った。鶏肉は柔らかく、蕪のスープには土の力を蓄えた甘みがあった。ローランドはいつものようにパンを三つ食べたが、最後の一欠片まで皿へ残さなかった。
「おいしいのでしゅ。でも、おいしいだけで終わったらだめなのでしゅ」
ピコは豆を半分かじり、残りを大切に皿へ置いた。自分たちの皿へ届くまでに、土、雨、虫、植物、動物、人間の働きがあった。その循環を壊せば、いつか食卓からパンもスープも消えてしまう。
アルフレッドは森の伐採許可を見直し、切った本数に応じた植林と、土壌を守る農法を義務づけると発表した。セレスティアは研究所を農夫へ開放し、雑草堆肥、腐葉土、燻炭、みみずを利用した改良法を各地へ伝えることにした。ただし、土地ごとの気候や土を確かめ、同じ方法を無理に押しつけないことも決めた。
「自然は、人間の命令どおりに動く道具ではない」
アルフレッドは黒く焼けた最初の土を、小瓶に入れて保管していた。あの日の匂いと何も動かなかった地面を忘れないためである。隣の小瓶には、改良した畑の黒く柔らかな土と、みみずの作った粒が入っていた。
「怖いほど大きくて、でも、小さな命が支えているのでしゅ」
ピコは二つの瓶を見比べた。森は人間がいなくても長い時間をかけて生き続けるが、人間は森や畑なしには生きられない。その事実を知ることが、自然へ畏怖の念を持つということだった。
夕食が終わると、残った野菜くずは堆肥用の籠へ入り、鶏の骨は煮出して翌日のスープに使うことになった。汚れた皿を農夫の子どもたちが井戸水で洗い、白い布巾が研究所の裏へ干された。ピコは満腹になった腹をさすり、アルフレッドの肩へ座った。
「王子、今日はキスより大事なことを覚えたのでしゅ」
アルフレッドが何かと尋ねると、ピコは命をもらったら、残さず食べて次へつなぐことだと答えた。ところが、その直後に王子の頬へ五回続けてキスをする。セレスティアが回数を帳面へ記録すると、ピコは食事への感謝と王子への好きは別なのだと胸を張った。
「好き好きも、毎日循環するのでしゅ♡」
アルフレッドは意味が違うと指摘したが、ピコは金髪へ潜り込んで聞こえないふりをした。畑ではみみずが土の中へ戻り、森からは鳥の声が聞こえている。食べた命を自分たちの生命へつなぎながら、四人は明日の土を育てる仕事を続けていくことにした。




