第2話「不穏の予感」
「す、げえ……。おい波瑠、これ一口で昔の俺のバイト代3ヶ月分すんぞ……!」
都内の一等地にある、完全紹介制の高級フレンチレストラン。
きらびやかなシャンデリアの下で、結人がフォークを震わせながら、トリュフが山盛りになった前菜を口に運んでいた。
「落ち着けよ結人。みっともねえぞ」
そう言って笑うボーカルの久も、心なしかいつもより背筋が伸びている。
ドラムの宗介はメニューの価格を見て、文字通り白目を剥きかけていた。ギターの蒼だけは、普段通り澄ました顔でワイングラスを傾けているが、耳の裏が少し赤い。
「ははっ。みんなに喜んでもらえてよかったよ。ライブツアー、本当にお疲れ様」
俺――波瑠は、穏やかな笑みを浮かべて特上の極上肉を切り分けた。
彼らが大騒ぎしているこのディナーの総額は、おそらく数十万円。高校生にとっては手が届かないどころか、視界にはいることもない金額だろう。
だが、俺の個人口座には、今朝だけで『株の配当金30億円』が振り込まれている。
この店を丸ごと買い取って毎日貸し切りにしたところで、俺の資産の端金すら削ることはできない。
彼らにとってバンド『SKYTOON』は命を懸けた夢の舞台。
けれど、俺にとっては――全財産3兆円という異常な現実から目を逸らさせるための、最高に都合の良い「カモフラージュ」だった。
(ブルルル……)
その時、ブレザーの内ポケットでスマホが静かに震えた。
世界最高峰のセキュリティが施された、限られた人間にしか番号を教えていない特注の暗号化端末だ。
「あ、ごめん。ちょっとトイレ行ってくるね」
「おう、迷子になんなよー!」
結人の呑気な声に手を振り返し、俺は席を立った。
格式高い廊下を通り、人気のないテラス席へと出る。夜風が火照った肌に心地いい。
画面に表示された『J・K』の文字を確認し、通話ボタンを押した。
「――俺だ」
『夜分遅くに失礼いたします、波瑠様。今朝方の配当金30億円、無事にご指定の口座へ送金を完了いたしました』
スピーカーから聞こえてきたのは、冷徹なまでに洗練された老紳士の声だ。
俺が保有する「海外メガ企業」の株式と、そこから生み出される3兆円の個人資産を管理している、俺専属の資産管理責任者だ。
『それにしても……本日のニュースを拝見いたしましたよ。ツアー利益20億円突破、ですか。世界的な大富豪が、高校生に混じって泥臭いバンド活動とは。カモフラージュにしては、少々目立ちすぎではありませんか?』
「くくっ、J。世間ってのは、派手な表舞台を見せておけば、その裏にある本物の闇には気づかないものさ。数億円稼ぐ天才高校生キーボーディスト、っていうプロフィールのほうが、3兆円の裏の支配者よりよっぽど現実味があるだろ?」
『おっしゃる通りです。あなたのその『隠れ蓑』のおかげで、我々の投資活動は国際社会の目を完全に欺けております。……ですが、一つだけご報告が』
老紳士の声が、一段と低くなった。
『あなたが3分の1の株を握るあのメガ企業ですが……ここ数日、正体不明の資金移動と、不穏なサイバー攻撃の予兆が観測されています。ただの市場のノイズであれば良いのですが』
「……テロ組織か、敵対勢力の仕業か?あるいは内部の奴らか?」
『現在、調査を進めております。何かが起きる前には、必ず追ってご連絡を』
「頼むよ。俺の日常を邪魔されたら、寝覚めが悪いからな」
通話を切り、スマホをポケットに収める。
夜空を見上げると、東京の街並みが一望できた。
世界経済を裏から支配する絶対的な権力。それが俺の本当の姿だ。
「波瑠ー! デザート来ちゃうぞー!」
遠くから結人のアホっぽい声が聞こえてくる。
「今行くよ!」
俺は一瞬で「裏の大富豪」の顔を消し、いつもの「温厚な高校生キーボーディスト」の笑顔を作って、メンバーの待つ所へ戻っていった。
この時、あのJの警告が、世界を揺るがす大事件の引き金になるとは思いもしなかった。
読んでいただきありがとうございます!
引き続きよろしくお願いします。




