第16話闇の中の道標
ガチャン、と重い鉄格子の扉が閉まり、無機質な電子ロックの音が地下室に響き渡る。
そこは、コンクリートが剥き出しになったテロ組織の最下層の雑居房。かろうじて一筋の月光が鉄窓から差し込むだけの、冷たく暗い檻の中らしい。
乱雑に投げ込まれた。
(いってぇな、)
「……まさか、世界を動かしている我々が、こんな薄汚い檻の中にまとめて放り込まれるとはな」
財務担当のカヴァリが、青ざめた顔で自らの手錠を見つめ、自嘲気味に呟いた。
「敵のバックにいる組織の規模、そしてあの『ラプラス』の簡易版。認めざるを得ん、我々は完全に敵の術中にはまっていた。」
アトリックスが体を壁に預け、重々しく首を振る。その声には、敵のハッカーに対する悔しさが滲んでる。顔がとても引きつっている。
「波瑠様……、本当にどうするのですか……?私たちはどうなるのでしょうか…?」
アリスカが俺の隣で、不安げに俺を見つめて聞いてくる。その目には涙が浮かんでいる。
「社長は行方不明、会社のシステムも人質。そして、敵はあの恐ろしい未来予測AIの完全版を狙っています。もし、これ以上の拷問や脅迫を受けたら……私たちは……」
「アリスカ、弱気になるな。波瑠様の御前だぞ」
Jが冷徹な声でアリスカを窘めた。頭から血を流したままのJだったが、その瞳だけは、この極限状態にあっても主君である俺への絶対的な信頼を失っていなかった。さすがJ。長年俺に仕え、訓練してきただけはある。
「みんな、そんなに暗い顔をしないで。大丈夫だよ」
俺は冷たい壁に背を向けたまま、いつもの温厚な高校生のトーンで、ふっと不敵な笑みを浮かべてみせた。手錠の鎖を軽く揺らし、みんなに向かって声を潜める。
「敵のボスは、ラプラスの完全版を奪って世界を支配するって息巻いていた。……でもね、実はあの完全版を起動させるための最終コードは、すでに完成してここにあるんだ」
「え……!? もう完成しているのですか!?」
アリスカが弾かれたように顔を上げ、目を剥いた。Jや幹部たちも一斉に俺に視線を集中させる。
「ああ、教えてあげるよ。ラプラス完全版のロックを解除する、本当のコードは――『C、G、Am、Em、F、C、F、G』だよ」
「……! これだ……! なるほど、そういうことですか!」
その瞬間、Jの目が一瞬で輝き、カヴァリとアトリックスも深く得心したように強く頷いた。
「え、ええ……。なるほど、それが……完全版の、コード(暗号)なのですね……」
アリスカも驚き、頷いた。
あえてこの最悪な状況の檻の中で、最高機密であるコードを口にしたのには理由がある。
一つは、これから敵の尋問や隔離によって、俺自身に万が一のことがあった場合のバックアップ。信頼するJや幹部たちに鍵を託しておけば、俺がどうなろうと会社とAIの最悪の破滅だけは防げるという、トップとしての冷徹なリスク分散だ。
そしてもう一つは、完全にパニックになりかけていた彼らに「まだ本物の鍵は奪われていない」という絶対的な希望を提示し、エリートとしての冷静さを取り戻させるための士気向上だった。
「敵がこちらの情報をどう解釈しようが関係ない。完璧な予測システムなんてこの世に存在しないし、必ずどこかに綻びがある。……例えば――俺がハウスの私室で、一人で考えさせてくれと言って部屋に戻った、あのわずかな時間さ」
俺は手元の手錠を鳴らした。
「あの時、部屋のドアノブが回る音を聞いた瞬間、俺はもう一つの特製端末から、ある場所に『本当の救難信号』を送信しておいたんだ。こちらの座標と、電波追跡コード。……つまり、俺が拉致される直前、すでに『最高峰の助っ人』に助けを求めておいたってことさ」
その言葉に、一味がハッとした表情を浮かべた、まさにその時だった。
(カツン……, カツン……)
通路の奥から、見回りの警備兵とは明らかに違う、軽やかで無駄のない足音が近づいてきた。
鉄格子の前に現れたのは、この監獄の制服に身を包んだ、少し小柄な一人の若い男の兵士だった。キャップを深く被り、アサルトライフルを肩に無造作に下げている。
「おい、新兵。ここは立ち入り禁止だぞ、下がれ」
「……」
通路の奥にいた別の警備兵が声を荒らげるが、その男装の兵士は無言のまま、目にも留まらぬ速さで銃身を反転させた。
「ガハッ…なっ」
(バキッ! ドサッ……!)
鈍い衝撃音と共に、大柄な警備兵が床に崩れ落ちる。
男装の兵士は平然とした手つきで、気絶した兵士の腰から電子キーの束を抜き取ると、俺たちの檻の前に立ち、鉄格子の鍵穴に差し込んだ。
(カチャリ)
扉が開き、その兵士は深く被っていたキャップをふっと押し上げた。
そこから現れたのは、ショートヘアの端正な顔立ちと、男装の制服の上からでも分かる、しなやかな曲線を持った美しい女性の素顔だった。
「遅くなってごめん、波瑠。東欧の雪道は少し運転しづらくてね」
「まあ、助けに来たから許してね。」
彼女はニカッと悪戯っぽく笑い、手元の電子キーを俺の前でジャラジャラと鳴らしてみせた。
「紹介するよ。俺が拉致される直前に呼んでおいた、世界最高の潜入工作員だ」
俺は立ち上がり、手錠をかけられたまま不敵に笑った。
敵のボスの未来予測AIには、絶対に登録されていない『最強のイレギュラー』。
きっと今頃敵は慌ててるだろう。こんなの未来予測にないっと。
(だから言っただろ、どこかに綻びがある、と。)
第16話をお読みいただきありがとうございます!
次回、どうやって脱出するのか…!お楽しみに!




