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誰かがログアウトする前に。〜VTuber黎明期から、激動の界隈でただ一人、この世界から「落ちなかった」男の物語〜  作者: さじ
第3章:閉ざされた世界の熱狂 ―2020、ステイホームと選択の季節―

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第29話:宇宙船の裏切り者(インポスター)。嘘がつけない僕の進路

2020年7月。オンライン上で爆発的な流行を見せている宇宙船人狼ゲーム『スペース・トラップ』。仲間を欺き、裏切りインポスターとして生き残るこのゲームは、今の安住善治あずみ よしはるにとって、あまりにも皮肉な鏡だった。画面の中では嘘をつけず、画面の外では「内定」のために自分を偽らなければならない。宇宙船の閉鎖空間で、ゼンの叫びが響く。


「……待て。違う。俺じゃない。マジで俺じゃないって! ……信じてくれ、俺はずっと左下のエンジンルームで配線を繋ぐタスクをやってたんだよ!」


ヘッドホンが割れそうなほどの声を張り上げ、俺は必死にマイクに向かって弁明した。

モニターの中では、俺が操作する不格好な黄色い宇宙飛行士のキャラクターが、円卓の会議室で他のプレイヤーたちに完全に包囲されている。


宇宙船人狼ゲーム、通称『スペトラ』。

2020年の夏、この息苦しいステイホームの熱狂の中で、YouStreamにおいて今最も数字を稼げるキラーコンテンツであり、そして最もプレイヤーの「人間性」が露呈する恐ろしいゲームだ。

ルールはシンプル。宇宙船の乗組員クルーの中に紛れ込んだ裏切りインポスターを見つけ出し、追放すること。


このゲームの勝敗を明確に分けるのは、巧みな「嘘」だ。

インポスターとして選ばれたプレイヤーは、善良なクルーのふりをして宇宙船内を徘徊し、隙を見て仲間を葬り去る。そして死体が発見されて緊急会議が開かれた際には、平然とした声でシロを主張し、時には無実の誰かに罪をなすりつけなければならない。


だが、今日の俺の役職は、不運なことにその「インポスター」だった。


『佐藤:ゼン、声がめちゃくちゃ震えてるぞ!(笑)』

『黒猫:証言が矛盾しています。先ほど通信室にいたと言いませんでしたか?』

『匿名希望:こいつ、嘘つくのヘタクソすぎるだろwww』

『19円最高:ゼンがインポスターになると、一瞬で村の空気が和む説』


右のサブモニターを滝のように流れていくチャット欄の指摘通りだった。

リスナー参加型で行っているこの試合、俺の嘘は開始わずか数分で、見事なまでに破綻しかけていた。

普段の雑談配信では、19円のモヤシを片手に「社会のシステムがどうの」と偉そうにスジを通している俺だが、いざゲームの中で「嘘をつく」という局面に立たされると、途端にポンコツになる。


たとえそれがただのゲームであっても、画面の向こうにいるダチを騙し、自分だけが生き残るという行為に、俺の不器用な脳が本能的な拒絶反応を示してしまうのだ。


「……あー、もう! ……わかったよ、降参だ! 俺だよ。俺がやったんだよ! ……だって、あそこで白のキャラクターのやつが一人で背中向けて、無防備で寂しそうにしてたからさ……つい手が出ちゃったんだよ!」


苦し紛れの自白。もはや弁明ですらない謎の言い訳に、通話ツールを繋いでいる参加者たちからドッと大きな笑い声が漏れた。

満場一致の投票により、俺の黄色いキャラクターは宇宙船から冷たい宇宙空間へと放り出される。

画面にデカデカと表示される『DEFEAT(敗北)』の赤い文字。


「……あーあ、負けたわ。お前ら、マジで容赦ねえな。……よし、今日のスペトラ配信はここまでだ。嘘つくのって、本当に疲れるわ。俺には向いてねえ。……じゃあな、おつモヤ!」


チャット欄の「おつモヤ」「最弱インポスター乙」という労いと嘲笑のコメントを見届けながら、俺は配信終了のボタンをクリックした。


PCのファンが唸る音だけが残る、静まり返った6畳一間。

俺はヘッドホンを外し、デスクの端に無造作に掛けられた安物のリクルートスーツを、じっと見つめた。

夏の生ぬるい風が、網戸越しに入ってくる。


(……ゲームじゃあんなに嘘をつけないのに。現実じゃ、息をするように嘘をついてるじゃないか、俺は)


昼間、俺はこの同じ部屋で、ある中堅IT企業のWeb面接を受けていた。

そこでの「安住善治」という男は、スペトラのポンコツぶりとは打って変わって、完璧な「善良なるクルー」を演じきっていた。


『はい。私が御社を志望した理由は、その革新的な経営理念に深く共感したからです』

『大学のサークル活動では、チームワークを何よりも大切にし、困難な課題を乗り越えてきました』

『将来は、社会のインフラを根本から支え、人々の生活を豊かにするエンジニアになりたいと考えております』


どれもこれも、就活サイトの模範解答をツギハギして作った、血の通っていない定型文の嘘だ。

サークルなんて幽霊部員だったし、社会のインフラを支えたいなんて大層な志を持ったことなど一度もない。俺の頭の中にあるのは、500万円の奨学金をどうやって返すかということと、明日の配信でどうやって同接を伸ばすか、ただそれだけだ。


配信者・ゼンとして、「19円のモヤシでスジを通す」「俺はダチに嘘はつかない」と声高に豪語している俺が。

画面を一歩外に出れば、企業という名の巨大な宇宙船に潜り込むために、自分を完全に殺し、「偽りの自分」を必死に演じている。


宇宙船人狼のインポスターは、嘘が見破られれば宇宙空間に追放される。

現実のインポスターである安住善治は、大人たちに嘘がバレず、上手く騙し通すことができれば「内定」という名の勝利を手にすることができる。


けれど、その勝利に、一体何の意味があるのだろうか。

自分を偽って潜り込んだ宇宙船の中で、俺は一生、誰かに正体がバレることに怯えながら、善良なクルーのふりをして働き続けるのか。


スマートフォンを開くと、Mutterのタイムラインには、内定を勝ち取った大学の友人たちの、誇らしげな投稿がいくつも並んでいた。

『第一志望から内定いただきました! 春から社会人として頑張ります!』

『支えてくれたみんなに感謝! 同期のクルーたち、よろしくな!』


彼らは本当に、心の底から会社の理念に共感した「本物のクルー」なのだろうか。それとも、単に俺よりもずっと上手く、そして器用に「嘘」をつき通すことができた、優秀な「インポスター」なのだろうか。

今の俺には、それが眩しくて、そしてひどくグロテスクなものに見えた。


「……嘘がつけない僕の、進路、か」


暗い部屋の中で自嘲気味に呟いた声は、誰の耳にも届くことなく、薄っぺらい壁に跳ね返って消えた。


腹が減った。

俺は立ち上がり、冷蔵庫からいつもの19円のモヤシを取り出し、使い古したフライパンに油を引いた。


ジューッ、という激しい音が、静まり返った部屋に響き渡る。

この安っぽくて泥臭い音だけが、今の俺にとって唯一の、嘘偽りのない真実だった。


配信という仮想現実の世界では「嘘をつかないこと」で一千人のリスナーの信頼を得た俺が、人生の岐路という現実世界では「嘘をつくこと」を強要されている。

この強烈な自己矛盾が、熱したフライパンの油のように俺の心を焦がしていく。


宇宙船から真っ暗な宇宙へと放り出された黄色いキャラクターのように。

俺は社会という無重力空間の中で、自分がどこへ向かえばいいのか、本当の自分の居場所がどこにあるのか、すっかり分からなくなっていた。


2020年7月。

世界という名の、ルールすら明確でない巨大なゲーム盤の上で。

俺はまだ、自分がクルーなのかインポスターなのか、その本当の役割を見つけられずに、もがき続けていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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