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誰かがログアウトする前に。〜VTuber黎明期から、激動の界隈でただ一人、この世界から「落ちなかった」男の物語〜  作者: さじ
第3章:閉ざされた世界の熱狂 ―2020、ステイホームと選択の季節―

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第28話:歌枠ブームの光と影。ジャイアンリサイタルに隠した本音

2020年6月。ステイホームの影響で、YouStream上では「歌枠」というジャンルが爆発的なブームとなっていた。歌唱力やミックス技術で魅せるプロ顔負けの配信者が増える中、極度の音痴を公言するゼンは、リスナーからの悪ノリに近い強い要望に押され、ついにマイクを握る。下手くそな歌声と、それを笑い飛ばす空気。けれど、ふざけた絶叫の裏側には、今の安住善治が決して言葉にはできない、切実な本音が隠されていた。

PCのモニター越しに、無数の期待と悪ノリが押し寄せてくるのを肌で感じていた。

 YouStreamの待機室には、配信開始前から一千五百人を超えるリスナーがすし詰めに集まり、チャット欄は凄まじい速度で流れている。普段の雑談やゲーム配信の時とは明らかに毛色の違う、どこかお祭り騒ぎのような熱気が渦巻いていた。


「……よっす。……あー、お前ら、マジで正気か? ハードル上げすぎだろ。言っておくけど、俺の歌なんて、聞いても耳が腐るだけだぞ。鼓膜のスペア、ちゃんと用意してんだろうな」


6畳一間の薄暗い部屋。

 俺は、デスクの上に置かれた19円のモヤシの袋を、まるでマイクの代わりのように強く握りしめた。


2020年6月。ステイホームの長期化に伴い、世の中の配信界隈は空前の「歌枠」ブームに沸いていた。

 音楽の著作権に関するガイドラインがプラットフォーム側で整い始め、カラオケ音源を使った配信が容易になったことが大きい。大手事務所のタレントはもちろん、個人勢の配信者たちも、こぞって自身の「歌声」を武器に数字を伸ばしている。高性能なマイクを導入し、プロ並みのミックス技術で音源を作り上げ、オリジナルソングや3Dライブで華やかに魅せる。それが、今のこの界隈の「正解」になりつつあった。


けれど、俺――個人勢VTuberのゼンに、そんな煌びやかな武器は一切ない。

 高校の合唱コンクールで、指揮者の女子から真顔で「安住君、本番は悪いけど口パクにしてくれないかな」と頼まれたこともあるほどの、正真正銘、筋金入りの音痴なのだ。


俺の武器は、19円のモヤシと、小綺麗なシステムに中指を立てる反骨心だけだ。歌で魅了するなんて、天地がひっくり返っても不可能だ。

 それでも、連日のようにMutterのハッシュタグや、普段の配信のコメント欄で「ゼンの歌枠が見たい」「1万人記念の歌枠はいつだ」というリクエストが絶え間なく届いていた。


彼らは、俺に完璧な歌唱力なんて一ミリも求めていない。

 この息の詰まるような閉塞感に満ちた日常を、俺がどうやって「無様に壊してくれるか」を期待しているのだ。大手企業勢の綺麗に整えられた歌枠に対する、一種のカウンターとして。


「……よし、わかった。お前らがどうしてもって言うなら、歌ってやるよ。……ただし、苦情は一切受け付けない。親フラしても俺は責任取らねえぞ。……いいか、これは配信じゃない。お前らの鼓膜に対する暴動だ」


俺は意を決して、フリー音源サイトからダウンロードしておいたカラオケBGMの再生スイッチをクリックした。

 選んだのは、かつて大流行した、誰もが知っている熱血アニメの主題歌。


勇ましいイントロが6畳一間に流れた瞬間。俺は、腹の底から、安物のマイクが音割れを起こすほどの勢いで声を張り上げた。


「――ッ!!」


完全に外れた音程。

 BGMのリズムを完全に無視した、ただの絶叫に近い歌声、いや、叫び声。

 俺の部屋の壁は薄い。隣の住人に通報されるのではないかという現実的な恐怖が頭をよぎったが、俺はそれをさらに大きな声でねじ伏せるように歌い続けた。


『佐藤:ゼン、マジでジャイアンリサイタルじゃねえか!(笑)』

『黒猫:鼓膜が……私の鼓膜が破れます……っ!』

『匿名希望:音程が迷子すぎるwww どこに向かって歌ってんだよ!』

『19円最高:最高だ、めちゃくちゃ元気出たわ。……でも二度と歌うなよ(最大の褒め言葉)』


画面上のコメントは、リスナーたちの爆笑と悲鳴で完全に溢れかえった。スパチャの赤や緑の帯が、俺の音痴を称えるように次々と打ち上がる。

 いつものように、俺は「音痴な底辺配信者」という道化を演じきり、リスナーたちに最高の暇つぶしを提供している。

 完全に狙い通りだ。

 俺のこのふざけたパフォーマンスで、みんなが現実の嫌なことや、ウイルスの恐怖を、一瞬でも笑い飛ばして忘れられるなら、それでいい。


けれど。

 二曲目、三曲目と、テンポの速いロックチューンや、絶対に俺の音域に合っていない高音のバラードを喉を潰す勢いで続けていくうちに。

 俺の喉の奥から、歌声とは違う、熱くて重い塊のようなものが込み上げてくるのを感じた。


ふざけた替え歌の歌詞を叫ぶ合間に、どうしても、隠しきれない本音がこぼれそうになる。


(……帰りてぇな)


どこにかは分からない。

 けれど、あの、友人のタカシと学食でくだらない冗談を言い合って笑っていた、あの普通の日常に。


オンラインで行われる就活の最終面接で、自分を偽り続けることへの吐き気。

 内定をもらって着実に社会の安置へと向かう友人たちとの間にできた、絶対に埋めようのない深い溝。

 「同接一千人」という華やかな数字が増えれば増えるほど、それに反比例して深まっていく、この6畳一間の絶対的な孤独感。


歌という形式を借りれば。

 普段は「スジを通す」とか「19円のプライド」とか言って、リスナーの前で必死に強がっている俺の、この情けなくて剥き出しの弱音を、少しだけ吐き出せるような気がした。


「――っ!!」


絶叫に近い、サビのフレーズ。

 俺は、モニターの向こう側にいる一千五百人の「顔も本名も知らない誰か」に向けて、届くはずもない救いを求めるように、ただひたすらに叫び続けた。


俺には、大手の連中みたいに綺麗なビブラートを響かせることも、透き通るような高音を出すこともできない。

 けれど、音痴で、不格好で、泥臭いからこそ。その歪な叫びは、綺麗に整えられた他の誰の歌声よりも、どこかひどく生々しく、今のこの狂った世界の空気を切り裂くように響いていた。


「……はぁ、はぁ。……よし。……以上、ゼン様による、第一回ジャイアンリサイタルでした。……満足か、お前ら。俺の喉はもう限界だわ」


最後の一曲、アニソンのバラードを歌い(叫び)終え、俺は汗ばんだ手でマウスを握り、BGMを止めた。

 息を切らし、酸欠で少しクラクラする頭で、滝のように流れるコメントを目で追う。


『佐藤:ふざけてるのに、なんかめっちゃ刺さったな、今日のは』

『黒猫:ゼンの叫び声聞いてたら、仕事のストレス全部吹っ飛びました』

『匿名希望:ゼン、なんか……ありがとう。ちょっと泣きそうになったわ』


中には、俺の叫びの中に隠した、言葉にできない「何か」を敏感に感じ取ったリスナーもいた。

 彼らもきっと、俺と同じように、この出口の見えないオンラインの檻の中で、行き場のない不安を抱えて息を潜めているのだ。


俺は照れ隠しに、手に持っていた19円のモヤシの袋を、マイクに近づけてバリバリと乱暴に鳴らした。


「……バカ。……誰が泣けって言ったよ。……モヤシが湿気るだろ。……よし、耳直しは終わりだ。今からL-Switch起動して、E-Legやるぞ。……お前らの腐った鼓膜を、俺のチャンピオンで浄化してやるわ」


いつもの、強気で不敵なゼンの声。

 いつもの、6畳一間の日常。

 チャット欄はすぐに「待ってました」「エイムで魅せろ」というお祭り騒ぎのコメントに戻っていく。


けれど、一時間ほど絶叫し倒した後の喉のヒリヒリとした痛みと、酷い渇きは。

 確かに俺の中にあった「安住善治」という一人の青年の、消したくても消せない、現実への叫びの痕跡だった。


2020年6月。

 世界中の配信者が華やかに歌い上げる中、俺は狭い部屋で一人、泥臭く叫んでいた。

 6畳一間のこの仮想の安置の中から、迫りくる「明日」という現実を、力いっぱい拒絶するように。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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