第25話:チャンピオンの孤独。安置外でのWeb面接
2020年5月。大型連休が明けても、ステイホームという異常な日常は終わる気配を見せなかった。爆発的な流行を見せるバトルロイヤルゲーム『E-Leg』。画面内では味方を導く無敵のチャンピオンとして君臨するゼンだったが、配信を切った直後には、オンライン化された就活の冷酷な現実が待っていた。ゲームの「安置外」でじわじわと体力を削られるような、出口のない焦燥感を描く。
「……右の岩裏、割れてる! 詰めろ詰めろ! 俺がカバーする!」
ヘッドホン越しに、銃撃音とシールドが砕ける電子音がけたたましく鳴り響く。
マウスを握る右手にじっとりと汗が滲む。画面の中央を凝視し、1ドットの狂いもなくエイムを合わせ、最後の一人に引き金を引いた。
鈍い音と共に敵のボックスが転がり、画面の中央に黄金色の文字が力強く浮かび上がる。
『CHAMPION』
「……よし、部隊壊滅。ナイス、お前ら。……これで俺たちがチャンピオンだ」
6畳一間の薄暗い部屋に、勝利を祝福する派手な電子音が響き渡る。
YouStreamの配信画面の横を滝のように流れるチャット欄は、歓喜の言葉で埋め尽くされていた。
『佐藤:ゼン、今のエイム化け物かよ!』
『黒猫:素晴らしいオーダーでした。震えました』
『匿名希望:さすが俺たちの特等席の主だな』
『19円最高:同接1200人超えでチャンピオンとか最高すぎるだろ!』
同時接続数、1200人。
この『E-Leg』というバトロワゲームがもたらした熱狂と、ステイホームで行き場を失った人々の可処分時間が合わさり、俺の配信はかつてないほどの数字を叩き出していた。
この四角いモニターの戦場において、俺は間違いなく無敵のリーダーだった。状況を俯瞰し、的確に指示を出し、敵をなぎ倒して、1200人のリスナーを勝利のカタルシスへと導くことができる。
けれど、PCの右下に表示されたデジタル時計が「午前9時50分」を指した瞬間、俺の背筋に冷たいものが走り、マウスから指を離した。
「……あー、悪いお前ら。マジで最高の試合だったけど、ちょっと野暮用があるから、今日の朝活配信はここまでだ。……また夜な。おつモヤ」
リスナーたちの惜しむ声やスパチャの通知を強制的に断ち切るように、俺は配信終了のボタンをクリックした。
極彩色の光に満ちていたモニターが、一瞬で無機質な黒に変わる。
真っ暗になった画面に反射して映し出されたのは、不敵に笑う金髪のアバターではなく、目の下にうっすらとクマを作った、安住善治というただのしがない大学生の姿だった。
俺は慌てて着古したTシャツを脱ぎ捨て、ハンガーにかけてあったシワだらけの白いワイシャツに腕を通し、その上から安物のリクルートスーツのジャケットを羽織った。ネクタイを適当に締め上げる。
カメラに映らない下半身は、毛玉のついたグレーのスウェットのままだ。2020年の就活生を象徴するような、最高に滑稽で歪な正装。
すぐさまブラウザを切り替え、ブックマークしていたWeb会議ツールのURLをクリックする。
画面には『ホストがミーティングを開始するまでお待ちください』という、冷たいシステムメッセージが表示された。
(……安置外だ)
画面を見つめながら、俺はふとそんなことを思った。
さっきまでプレイしていたバトロワゲームには、安全地帯、通称「安置」と呼ばれる円が存在する。その円の外にいれば、システムから持続的なダメージを受け続け、やがて死に至る。
ゲームの中なら、ダメージを受けながらも回復アイテムを使い、必死に安置へ向かって走り込む手段がある。
けれど、この画面越しに行われる面接という名の三次元の戦場に、俺を救ってくれるアビリティなんて存在しないし、どこに向かって走れば安全なのかも分からない。
午前10時ちょうど。
画面が切り替わり、三人のスーツを着た中年男性の顔が、それぞれ小さな枠の中に並んで表示された。
俺の6畳一間の背景は、無難な「ぼかしエフェクト」で塗りつぶされている。
「……おはようございます。安住善治です。本日はよろしくお願いいたします」
PCのカメラに向かって、少しだけ口角を上げ、作り物の笑顔を向ける。
さっきまでマイク越しに1200人を熱狂させて「俺たちがチャンピオンだ」と叫んでいた声は、今はただ、就活の定型文をなぞるだけの、自信のない無機質な音へと成り下がっていた。
「はい、安住さん。それではまず、学生時代に最も力を入れたことと、そこから学んだことを教えてください」
真ん中の枠にいる面接官の問いかけが、安物のスピーカー越しに平坦な音で響く。
学生時代に最も力を入れたこと。
そんなもの、決まっている。
俺の喉元まで、「毎晩PCの前に座り、同接1200人を集めるコミュニティをたった一人で運営しています。巨大企業の数千万の案件を蹴り飛ばし、自分のスジを通すことに命を懸けています」という言葉が這い上がってきた。
それが、安住善治の、俺の人生のすべてだ。
だが、俺はそれを硬く結んだ唇の奥に必死に飲み込み、封殺した。
それを言えば、この画面の向こうにいる常識的な大人たちは、俺をどう見るだろうか。
ただ「ゲームという遊び」に興じている不真面目な学生か、それとも社会の枠組みに収まらない理解不能な異分子か。どちらにせよ、彼らが求めている「扱いやすい従順な新入社員」の枠からは決定的に外れる。
「……はい。私は大学のテニスサークルで、副代表として新入生の勧誘活動に注力し、組織の連携を高めることに貢献しました」
結局、俺の口から滑り出たのは、二年前のサークルの記憶を無理やり誇張し、就活サイトのテンプレートに当てはめただけの中身のない嘘だった。
面接官たちは、特に興味を示すわけでもなく、ただ手元の資料に目を落として何かを書き込んでいる。
俺は誰なんだ。
1200人を率いるチャンピオンか。それとも、三人の大人に嘘を並べて媚を売る、空っぽの大学生か。
「なるほど。では、弊社でどのようなキャリアを築きたいと考えていますか?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問。
言葉を返すたびに、俺の心は削られていく。
まるで、安置外のダメージゲージが、じわじわと、確実に俺の体力を奪っていくように。
この面接という空間そのものが、俺の魂を否定し、息を詰まらせる猛毒のエリアだった。
三十分後。
「本日はありがとうございました。結果は追ってメールでご連絡します」という定型句と共に、Web会議ツールの画面がプツリと切れた。
俺は力なく椅子の背もたれに体を預け、深く、長く息を吐き出した。
ネクタイを乱暴に引き剥がし、ジャケットを脱ぎ捨てる。
デスクの端には、昨日の夜にスーパーで買ってきた、19円のモヤシの袋が転がっていた。
ゲームの中では、俺は次の安置を予測し、戦略を立て、最後の一人になるまで戦い抜ける能力がある。自分の決断がすべて結果に直結する。
なのに、現実という巨大なマップでは、どこが安全な場所なのかすら見当もつかない。内定をもらうことが本当に俺の安置なのかどうかも、もう分からなくなっていた。
スマホを手に取り、無意識にMutterを開く。
タイムラインの一番上に、同じ学部の友人、タカシの投稿が表示された。
『第一志望の最終面接、めっちゃ手応えあり! Web面接のコツ完全に掴んだわ。このまま内定もろたで工藤!』
タカシはすでに、社会という名の安置の中で、確実に次のムーブを決めている。
一方、俺は。
俺は再び、重い手つきでPCのメイン電源を入れ、配信ツールのアイコンをクリックした。
この狭くて息苦しい6畳一間。
現実世界では行き止まりのこの場所こそが、皮肉にも俺にとって唯一呼吸ができる、誰にも侵されない「安置」だった。
「……逃げてるだけだな、俺は」
PCの排気音が、俺の情けない独り言をかき消すように低く唸る。
俺はこの1200人という数字が作ってくれた仮想の安置から、一体いつまで逃げ続けられるのだろうか。
モヤシの袋を握りしめながら、俺はまだ見ぬ次の敵に怯えるように、暗いモニターをじっと見つめ続けた。
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