第21話:『令和』の足音。終わる時代と、変わらぬマイク
2019年12月31日。改元に沸いた激動の1年が幕を閉じようとしています。5,000人から1万人へと登録者が増え、景色は劇的に変わりました。しかし、ゼンは浮足立つことなく、古いアパートの片隅で、新時代を迎える自分たちの「居場所」の在り方を問い直します。激変する世界で、変わらないことの尊さを描くエピソードです。
2019年12月31日、午後11時30分。
「令和元年」という、一生に一度あるかないかの特別な一年が、残り数十分で終わろうとしている。
テレビをつければ国民的な歌番組がクライマックスを迎え、街は新しい時代の最初の年越しを祝う高揚感に包まれている。SNSのタイムラインは、今年一年を振り返る華やかな画像や、高級なレストランでのディナー、友人たちとのパーティーの様子で埋め尽くされていた。誰もが誰かと繋がり、分かりやすい幸福を共有している夜。
俺――ゼンの住む6畳一間のボロアパートの窓からも、遠くの駅前でカウントダウンを待つ若者たちの騒がしい声が、冷たい冬の風に乗って微かに聞こえてくる。
部屋の中は、相変わらず稼働し続けるPCの冷却ファンが重低音を響かせているだけだ。暖房をつける電気代をケチっているため、吐く息はわずかに白い。
「……令和元年、最後か。結局、俺は最後までモヤシを食って終わるんだな」
自嘲気味に呟きながら、俺はいつものようにマイクの電源を入れた。
画面の向こう側の「待機所」には、すでに300人近い奴らが集まっている。同接0人の暗闇に向かって叫んでいた一年前からは考えられない数字だ。チャンネル登録者数が1万人という大台を超え、俺の配信という名の「特等席」に座ろうとする奴らは、この数ヶ月で確実に増えた。
改元の瞬間や、年の瀬という大切な時間を、家族や恋人でもなく、テレビの特番でもなく、画面の中の「金髪の兄貴分」と共に迎えようとする。そんな、どこか世間からあぶれたような、物好きなダチたちがこれほどまでに俺の部屋の前に並んでいるのだ。
「よっす。……あー、お前ら。令和最初の年越しだってのに、こんな掃き溜めみたいな配信に集まって何してんだよ。除夜の鐘ならぬ、俺の底辺キーボードの打鍵音でも聴きに来たか?」
配信を開始し、いつもの挨拶を投げかける。
すると、待機していた数百人のリスナーたちが一斉にチャットを打ち込み始め、コメントの流れが滝のように加速した。今日の同接は、いつもより伸びが早い。あっという間に500人を超え、ピーク時には800人近くにまで届きそうな勢いだった。1万人の登録者のうち、これだけの人数がリアルタイムで俺の6畳一間を覗き込んでいる。
チャット欄には、いつにも増して感傷的な言葉が並んでいた。
『佐藤:兄貴、2019年にゼンさんに出会えて、俺の人生マジで変わったわ。来年もついていくぜ』
『黒猫:この一年、現実の会社ではボロボロで何度も泣きましたが、最後にゼンの特等席を見つけられました。ありがとうございます』
『匿名希望:時代が変わっても、ゼンさんは変わらないでいてくれますか?』
流れていく一つ一つの言葉を拾いながら、俺はモニターに映る自分の金髪アバターをじっと見つめた。
「……変わらないでいてくれるか、か」
2019年という一年は、このVTuberという文化が、かつてないスピードで進化し、巨大化していった年だった。
大手企業が莫大な資本を投じ、タレントたちは次々と3Dモデルを手に入れ、現実の巨大なステージでライブを行い、テレビCMにまで進出するようになった。バーチャルとリアルの境界線はどんどん曖昧になり、そこには明確な「勝者」と「敗者」、そして「ビジネス」の匂いが充満し始めている。
俺自身はどうだ。一年前は同接0人の孤独な大学生だった。物流倉庫のバイトで腰を痛め、19円のモヤシを命綱にして生き延びてきた。それが今や、1万人という数字を背負い、巨大事務所の公式案件を蹴り飛ばし、ネットの一部でそれなりに名前を知られる存在になっている。
変わらないはずがない。世界も、この界隈も、俺自身も。
「いいか、お前ら。俺は、変わるぜ」
俺はマイクに近づき、あえて突き放すような、低い声で言った。チャット欄が、戸惑うように少しだけ静まる。
「明日からも、もっと美味いモヤシの食い方を探すし、もっと面白いゲームを見つける。もっとデカい壁をぶち破るために、俺は変わり続けるよ。止まってる奴は、この狂ったスピードで進む界隈じゃ、一瞬で置いていかれるからな。お前らだってそうだろ? いつまでも同じ場所で立ち止まってるわけにはいかねえんだよ」
俺の言葉に、『案件受けるのか?』『遠くに行っちゃうの?』という不安げなコメントがちらほらと混ざる。俺は小さく鼻で笑い、言葉を続けた。
「でもな。……俺がマイクの前で『よっす』って言う時の、この腹の底にある『スジ』だけは、令和になろうが、その次の時代になろうが、絶対に変わらねえ」
俺はデスクの横に置かれた、スーパーのビニール袋から、いつもの安っぽいパッケージを取り出した。
「お前らがどんなに現実で辛い夜を過ごして、会社で理不尽に怒鳴られて、誰にも必要とされてないって絶望した時でも、ここに来れば俺が19円のモヤシを炒めて、世の中の理不尽に中指立てて笑ってる。その『景色』だけは、俺が死ぬ気で守ってやるよ。大手がどれだけ綺麗な3Dで踊ろうが、俺はこの6畳一間から一歩も動かねえで、お前らのための特等席を温め続けてやる」
午後11時58分。
PCの右下に表示された時計の針が、刻一刻と2020年という未知の年へと近づいていく。
同接はついに700人を超えた。この小さな部屋に、それだけの魂がひしめき合っている。
「2019年は、俺たちが『出会った』年だ」
俺はフライパンをコンロに乗せ、火をつけた。
「同じ底辺を這いつくばっていたジャンクが力尽きて消えて、配信のいろはを教えてくれたルカと知り合って、俺が手を伸ばしたセリナが隣で噛み付いてくるようになって、そして……お前らっていう最高のダチができた」
油を引いたフライパンが、チリチリと熱を持ち始める。
「現実じゃ誰の目にも留まらない、バラバラだった俺たちが、バーチャルっていう魔法で一つに繋がった。最高に泥臭くて、最高にスジの通った一年だったわ」
午後11時59分。
俺は、袋から取り出したモヤシを、熱したフライパンに一気に放り込んだ。
ジャーッ!!
2019年最後を締めくくる、激しい油の跳ねる音が、安物のマイクを通して700人の耳に直接届く。
「いくぞ、お前ら。……5、4、3、2、1……!!」
2020年1月1日、午前0時0分。
「――あけおめ!! よっす!!!! 2020年、かかってこいよ!!!」
俺の叫びと同時に、チャット欄が弾け飛んだ。
一斉に『あけおめ』『よっす!』『モヤシ最高!』という文字の奔流が画面を埋め尽くす。数百円、数千円という単位の、赤や緑や青のスパチャが次々と打ち上がり、真っ黒なモニターを極彩色の祝祭空間へと変えていく。
新しい時代の幕開け。テレビの向こう側のような華やかさは何一つない。俺の部屋に漂うのは、いつもの安っぽい醤油と、モヤシが少し焦げた匂いだけだった。
けれど、それが何よりも誇らしかった。
「ははっ! 見ろよ、2020年最初のモヤシだ! 味は……うん、熱ぃ! そして去年と全く変わんねえわ! 最高に安っぽくて、最高に美味え!!」
俺が口いっぱいにモヤシを頬張って笑うと、画面の向こう側でも、700人のダチたちが一緒に笑っているのが確信できた。
しばらくして、スマートフォンの画面が光った。
スターライブという巨大な城に所属し、今夜もどこかの華やかな公式番組に出演しているはずのルカから、個人のメッセージが届いていた。
『あけおめ。……あんたのそのうるさい声、新しい年でも一番近くで聴かせてよね。今年もよろしく、後輩』
先輩としての、少しだけ素直な言葉。俺は画面を見つめて軽く口角を上げた。
続いて、通知がもう一件鳴る。
『ゼン様! あけましておめでとうございますわ! 2020年のワタクシは、いよいよ完全な3Dモデルを手に入れて、あんたを完全に過去の遺物にしてやりますわよ! 首を洗って待っていなさいな! おーほっほっほ!』
相変わらず不遜で、けれど真っ直ぐなセリナからの宣戦布告。俺がかつて救った彼女は、今や立派なライバルとして、俺と同じ戦場を駆け上がろうとしている。
俺は、二人のメッセージにそれぞれ短く「おう、負けねえよ」とだけ返し、再びモニターに向き直った。
2020年。
それは、バーチャルという文化が真の意味で社会の「日常」へと溶け込んでいく年になるだろう。同時に、ビジネスや数字、コンプライアンスといった「三次元の重力」が、もっと強く俺たちの足を引っ張るようになるはずだ。個人勢として生き残ることは、去年よりもさらに過酷になる。
「……お前ら。年が変わるってのは、ただのカレンダーの区切りだ。大事なのは、その新しい区切りの中で、俺たちが何を積み上げていくかだ」
俺は、冷蔵庫から出したばかりの冷えた麦茶を喉に流し込んだ。
「2020年になっても、俺は物流倉庫で段ボールを運ぶし、就活のスーツに袖を通すし、19円のモヤシを炒める。……大手の事務所がどんなにデカい城を建てて、綺麗なステージを用意しようが、俺はこのボロアパートから、お前らの心に直接『よっす』を叩き込み続けてやる。……それが、俺の新しい年への決意表明だわ」
午前1時。
新年の興奮が冷めやらぬチャット欄を名残惜しそうに見つめながら、俺は「じゃあな、おやすみ」と告げて、静かに配信ツールの終了ボタンを押した。
不意に、PCのファンの音だけが際立つ、元の静寂が6畳一間に戻ってくる。
熱狂の余韻が残る部屋の中で、俺は椅子から立ち上がり、アルミサッシの窓を少しだけ開けた。
冷たい1月の風が入り込んでくる。空を見上げると、冬の澄んだ夜空に、新しい年を祝福するような鋭い月が浮かんでいた。
2019年が終わった。
同接0人から始まり、俺という人間を、金髪の大学生VTuber・ゼンとして確立させてくれた、激動の一年。
「……ありがとうな、2019年」
俺は、暗い部屋で一人、誰に聞かせるわけでもなくそう呟いた。
2020年1月1日。
ゼンは、19円のプライドを強く握りしめ、さらなる激動と波乱が予想される2020年代という荒波へと、迷いなくその身を投じた。時代は変わる。技術は進歩し、多くのものが淘汰されていく。けれど、俺たちの安物のマイクは、今日もこの6畳一間から「本当のこと」だけを叫び続ける。
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