第20話:個人勢の意地。企業案件を蹴った男
2019年10月。チャンネル登録者数1万人を突破し、個人勢として無視できない存在となったゼン。しかし、その影響力に目をつけたのはファンだけではありませんでした。大手事務所スターライブの影がチラつく「破格の企業案件」。提示された条件は、ゼンの魂である「19円のモヤシ」を捨てること。ゼンが全リスナーの前で突きつけた、最高の中指の物語です。
2019年、10月下旬。
夏の熱気がようやく去り、ボロアパートの壁を冷たい秋風が叩く季節。PCの冷却ファンは相変わらず唸りを上げているが、その音はどこか冬の到来を予感させていた。
デスクの上に置かれた1通の封筒。それは、国内最大級の飲料メーカーの名前が記された「公式案件」の依頼書だった。
内容は、新作エナジードリンクのPR。提示された金額は、物流倉庫のバイトを1年続けても届かないような額だ。そしてその下には、スターライブの関連会社がキャスティング協力として名を連ねていた。
「……またあんたらかよ」
俺――ゼンは、苦虫を噛み潰したような顔で書類を放り出した。
条件は、かつてのスカウトの時よりもさらに巧妙で、執拗だった。
『配信内でエナジードリンクを飲み、スタイリッシュな都会的ライフスタイルを演出すること』
『今後、19円のモヤシといった、貧乏臭いイメージを連想させる発言を一切禁ずる』
『演出の都合上、アバターの一部を企業ロゴ入りの最新モデルに差し替えること』
それは、案件という名の「浄化作戦」だった。1万人という数字を手に入れた俺を、彼らの望む「綺麗な商品」へと作り変え、19円のプライドを金で買い叩こうとする、巨大資本の最後の誘惑。
その日の夜、21時。
俺はカメラを回した。待機所にはすでに300人近い奴らが集まっている。最近、ネットでは「ゼンがついに大手に屈して案件を受けるらしい」という根も葉もない噂が流れていた。
「よっす。……あー、お前ら。今日はちょっと、大事な話があるんだわ」
俺は、画面の中の金髪アバターを、いつになく真剣な表情に設定した。チャット欄が、不安と期待で激しく揺れる。
『佐藤:兄貴、マジで案件受けんのか!?』
『黒猫:ついにゼンさんも、あちら側へ行ってしまうのですか……?』
『セリナ:ゼン様……ワタクシは、どんなゼン様でもついていきますわよ(震え声)』
俺は、デスクの脇に置かれた、メーカーから送られてきたばかりのエナジードリンクの缶を手に取った。
煌びやかな銀色の缶。洗練されたデザイン。それは、このボロアパートには似合わない、眩しすぎる「成功」の象徴に見えた。
「これ、見てくれ。大手メーカー様からのご指名だ。これを飲んで、『モヤシなんて食ってる場合じゃねえ! これからはエナジーの時代だ!』って叫べば、俺の銀行口座には見たこともねえ額が振り込まれるんだわ」
俺は缶をカメラの前に掲げた。
「そうすれば、俺はもう倉庫で汗を流す必要もねえ。10円の切り餅をチマチマ焼く必要もねえ。……でもよ、お前ら。俺がこのキラキラした缶を持って、都会の夜景をバックに『最高だぜ!』なんて言い始めたら、お前らは明日から、誰の声を聴いて笑えばいいんだ?」
チャット欄が、一瞬だけ静まり返った。
同接の数字は、いつの間にか500人を超えている。
「俺は、19円のモヤシを炒める音で、お前らと繋がってきた。会社でゴミのように扱われた黒猫も、3Dモデルのために必死にバイトしてるセリナも、みんな、俺のこの『安っぽさ』の中に、自分たちの『本当』を見つけてくれたんじゃねえのか?」
俺は、エナジードリンクの缶を、ゆっくりとデスクの隅へと追いやった。代わりに、冷蔵庫から取り出したばかりの、冷えた、少し萎びた「19円のモヤシ」をカメラの前に突き出した。
「企業様、見てるか? あんたたちのドリンクは、確かに美味いんだろうよ。でもな、俺の喉を一番潤してくれるのは、お前らが『貧乏臭い』って切り捨てた、このモヤシの味なんだわ!!」
俺は、フライパンに火をつけた。激しい音が鳴り響く。
「俺は、案件を蹴る。……金は欲しいさ! でもな、俺の魂の値段は、あんたたちの計算機じゃ一生弾き出せねえんだよ!!」
俺は、カメラに向かって、アバターの指を力強く立てた。最高の中指。それは、システムに抗い、個人として生きることを選んだ男の、魂の咆哮だった。
「いいか、お前ら! 2019年、令和になっても俺は変わらねえ! 19円のモヤシで、巨大な看板をぶち抜いてやる! 案件で数字を買うんじゃねえ、俺たちの『スジ』で、世界を振り向かせてやるんだよ!!」
チャット欄が、かつてない熱量で爆発した。スパチャの赤色が、まるで戦場の火花のように画面を埋め尽くす。
『佐藤:兄貴ィィィィ!!! 信じてたぜ!!』
『匿名希望:……涙が止まりません。あなたは、私たちの誇りです。』
『ルカ:……バカ。……最高に格好いいバカね。』
俺は、炒めたてのモヤシを口いっぱいに頬張った。
「――っは! 苦ぇ……。でも、最高に美味いわ」
俺は、モニターの向こう側にいる、名前も知らない500人の「ダチ」たちに向かって、不敵に笑ってみせた。
配信終了後。俺のMutterには、スターライブのマネージャーからと思われるアカウントから、たった1言だけDMが届いていた。
『……後悔することになるぞ』
俺は、そのスマホを放り投げ、冷えた麦茶を喉に流し込んだ。後悔? そんなもんは、自分に嘘をついた時にだけすればいい。
2019年、10月。
ゼンは、19円のプライドを守り抜き、巨大な資本という怪物に対して、2度目の、そして最も強烈な「宣戦布告」を叩きつけた。物語は、いよいよ第2章の終幕へと向かう。
「……さて。明日のバイト、寝坊しねえようにしねえとな」
金髪の大学生は、安物の布団に潜り込み、新しい時代への希望と少しの不安を抱きながら、深い眠りに落ちていった。
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