第16話: 巨大資本の壁。コラボ解禁と「企業勢」のルール
麻雀大会での快進撃により、ゼンとルカのコンビは最高のパートナーとしてリスナーに受け入れられました。しかし、その絆が強まれば強まるほど、背後に控える巨大事務所『スターライブ』の冷徹な論理が牙を剥きます。「個人」と「企業」——埋めようのない壁を前に、ゼンは沈黙の誓いを立てます。
2019年、4月下旬。
平成という時代が残り数日で幕を閉じようとしていた頃、VTuber界隈は「企業勢」という巨大な資本の波に完全に飲み込まれようとしていた。
かつては、個人が自室から放つ熱量だけで天下を獲れた時期があった。しかし、今やランキングの上位は、プロの脚本家、プロの技術者、そして莫大な広告費に守られた「企業の看板」たちが独占している。俺――ゼンはその境界線で、綱渡りのような活動を続けていた。
きっかけは、1通のDMだった。送り主はルカ。だが、その文面はいつもの勝気で軽快な彼女のものとは、明らかに違っていた。
『ゼン……ごめん。今日のコラボ、急だけどキャンセルさせて。……あと、これからは今までみたいに頻繁に絡むのは難しいかもしれない』
俺は、ボロアパートのパイプ椅子に深く沈み込み、その文字を何度も読み返した。
理由なんて、聞かなくても分かる。先日、スターライブのマネージャーが俺に突きつけた「1000万円の契約金と引き換えの自由」を、俺が鼻で笑って蹴り飛ばしたからだ。
あの時、スカウトの男は冷たく言い放った。「君が手を握らなければ、君の居場所はなくなる」と。その言葉の意味は、俺自身を消すことではなく、俺の周りから「仲間」を遠ざけ、俺を孤独という名の檻に閉じ込めることだったのだ。
「……っは。汚ねえ真似しやがる」
俺はマウスを握りしめた。
企業勢にとって、ライバーは「商品」だ。1万人程度の登録者しかいない、しかも「19円のモヤシ」なんていう貧乏臭いリアリティを垂れ流す野良犬(個人勢)と、事務所の看板娘が親密にしていることは、ブランドイメージを損なう『不利益』でしかない。
俺はスマホを手に取り、Mutterの投稿画面を開いた。
指が震えていた。怒りで、画面を叩き割りたかった。「スターライブがルカを縛り付けている」「巨大企業の横暴だ」と、すべてをぶちまけてやりたかった。
……だが。
俺の指は、送信ボタンの手前で止まった。
ここで俺が吠えれば、リスナーは喜ぶだろう。だが、その火の粉を一番に浴びるのは、檻の中にいるルカ自身だ。俺が反抗の意志を示すほど、彼女の首はさらに強く絞められることになる。
「……ダメだ。ここで吠えたら、あいつと同じ『ガキ』になっちまう」
俺は、書きかけの罵詈雑言をすべて消去した。
代わりに、深呼吸を一つして、俺はスマホをデスクに置いた。
その夜、俺はルカ不在のまま、1人でカメラを回した。
待機所には、コラボを期待していたリスナーたちが集まっていたが、空気はどこか重い。
「よっす。……あー、お前ら、今日のコラボは中止だ。ルカ先輩、ちょっとお屋敷の用事が立て込んでるらしくてさ。……まぁ、スターは忙しいんだよ。俺みたいな暇人とは違うんだわ」
努めて明るく振る舞ったが、チャット欄には不穏な憶測が飛び交う。
『佐藤:え、もしかしてスターライブに制限かけられた?』
『黒猫:最近、大手の個人勢切りが問題になってますからね……』
『匿名希望:ゼンさん、無理して笑わなくていいですよ。』
リスナーたちは鋭い。俺の違和感に気づいている。
何かを言いかけて、俺はぐっと言葉を飲み込んだ。拳を握りしめ、爪が手のひらに食い込む。
「無理なんてしてねえよ。俺は19円のモヤシさえあれば、いつでも最高に幸せなんだよ。……おい佐藤、お前のその同情に満ちたコメント、逆にお腹空くからやめろ」
俺は、いつものようにモヤシを炒め始めた。だが、鉄板が弾ける音が、今夜はやけに虚しく響く。
1万人の登録者がいても、たった1人の「ダチ」とゲームをすることすら許されない。これが、巨大資本が作り上げた「三次元」のルールだ。
一時間ほどの配信を終え、俺がヘッドセットを外そうとした時、スマホが震えた。ルカからの、ボイスメッセージだった。俺はそれを再生する。
『……ゼン。私、マネージャーと喧嘩したわ。「ゼンは私の恩人だ」って言ったの。そうしたら、あの人……「恩で数字は買えない」って。……私、悔しくて。でも、逆らえない。私がわがままを言えば、周りのスタッフさんたちに迷惑がかかるから……』
メッセージは、そこで途切れていた。微かに聞こえた鼻をすする音。
俺は、真っ暗な部屋で1人、モニターに反射する自分の金髪アバターを見つめた。
この「ガワ」は、俺を自由にしてくれたはずだった。でも、魔法の力が強まれば強まるほど、その代償として「自由」が削られていく。
俺は、再びMutterを開いた。
そして、先ほどのような怒りの言葉ではなく、ただ一言だけを投稿した。
@ゼン:
19円のモヤシ、今日は少しだけ焦げたわ。
ま、たまにはこういう苦い日もあるっしょ。
2019年、俺は止まらねえよ。見てる奴らがいる限り。
それ以上、俺は何も書かなかった。スターライブの名前も、不当な扱いのことも、一切触れなかった。
ただ、この理不尽という名の「苦いモヤシ」を飲み込んで、それでも前を向くことだけを、静かに宣言した。
翌朝。
俺の投稿には、多くの常連たちから「応援してる」「兄貴なら大丈夫だ」と、いつにも増して温かい言葉が並んだ。
俺は、大学の講義をサボり、いつもの物流倉庫のバイトに向かった。
重い段ボールを運び、汗を流す。この泥臭い現実の重みだけが、俺の「スジ」を支えていた。
午後、バイトの休憩中にスマホを確認すると、セリナからDMが届いていた。
『ゼン様……何も仰らないことが、一番の強さであることを教えられましたわ。ワタクシも、いつかその壁を一緒にぶち破れるよう、今は爪を研いでおきますわね』
そして、ルカからは、短い1行だけ。
『……ゼン。あんたに格好つけられちゃったら、私、泣いてられないじゃない。……分かったわ。私はこの檻の中で、あんたが世界を驚かせるのを待ってる。……待ってるからね』
俺は、物流倉庫の裏側で、初夏の匂いが混じり始めた風を吸い込んだ。
「……っし。やるか」
2019年、4月。
反抗の宣言なんて、言葉にする必要はない。
圧倒的な結果で、あいつらの冷たい計算式をすべて叩き壊してやる。
ゼンは、汚れた作業着のまま、新しい時代の夜明けへと、力強く1歩を踏み出した。
吠えるのをやめた野良犬は、牙の研ぎ方を知っている。
三次元への宣戦布告。
本当の戦いは、この沈黙の先にある。
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