表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/6

第5話 四十年、もったんだ

板が、残り九枚になっていた。


 レンツ・ノルムは束を数え直して、削りかけの一枚を脇に置いた。


 薄い木片を作るには、まっすぐな端材がいる。工房の隅に積んであった分は、あらかた使ってしまった。炭も減っていた。書けば減る。当たり前のことだが、この街ではその当たり前が高くつく。


 紙なら一枚で百枚ぶんが書ける。だが紙は、この街ではグロースマン商会の店にしか置いていない。値段を聞きに行って、それきりだった。


 銅貨は十八枚に減っていた。


「出かけるんですか」


 イルゼ・シュミットが炉に炭を足しながら言った。


「はい」


「どこへ」


「隣です。それから、その隣」


 レンツは割れた鉤の片割れを布に包んだ。断面が上を向くように。


「同じものが、この街に何十とあるはずです」


   ◇


 ホルスト工房は、川下へ三軒目にあった。


 シュミット工房より大きい。職人が四人いて、そのうち二人は弟子だった。


 グンター・ホルストは炉の前から動かずに、レンツの話を聞いた。六十を超えているだろう。腕は太く、片目が白く濁っていた。


 レンツは布を開いて、鉤の断面を台に置いた。


「内側が、こうなっていました」


 ホルストは鉤を見た。手に取り、指で穴の縁をなぞって、それから台に戻した。


「ひでえな」


「はい」


「シュミットんとこのか」


「そうです」


「あそこの梁、古いからな」


 ホルストは頷いた。


「で、俺に何の用だ」


「こちらの鉤も、見せていただきたいんです」


 工房の奥が静かになった。弟子の一人が槌を止めていた。


「うちのを」


「はい」


「なんで」


「同じ理由で作られていれば、同じように傷んでいる可能性があります」


 ホルストは、天井を見上げた。


 鉄の鉤が下がっている。形はシュミット工房のものとよく似ていた。


 彼は少し見て、それから鼻で笑った。


「あれは四十年もってる」


「はい」


「四十年だぞ」


 ホルストが言った。


「四十年、一度も切れてねえ。俺が弟子の頃からあそこにある。親方が使って、俺が使って、今もある」


「そうでしょうね」


「じゃあ何が問題だ」


 レンツは、答えを探した。


 この人は間違ったことを言っていない。四十年、実際に一度も落ちていない。それは事実だ。


 ただ、その事実から引き出せる結論が、逆なのだ。


「四十年もったのではなく」


 彼は言った。


「四十年分、傷んでいます」


 ホルストの手が止まった。


「無事だった年数は、安全の証しではありません。傷んだ年数です」


 沈黙が落ちた。


 それから、ホルストは首を振った。


「言葉遊びだな」


「いえ」


「四十年もったもんが、なんで明日切れる」


「切れるとは言っていません。分からないんです」


「分からんのか」


「はい」


「分からんもんを外せと」


「見せていただければ、分かります」


「どうやって」


 レンツは答えなかった。


 視えるから、と言うしかない。


 そして、それを言った先を、彼は八年分知っていた。


   ◇


 二軒目は、話を聞いてもらえなかった。


 三軒目の主人は、レンツが名乗った時点で顔つきを変えた。


「あんた、不倒の牙のとこにいた人だろ」


「はい」


「クビになったって聞いたが」


「はい」


 男は腕を組んだ。


「で、今度はうちの吊り具が危ないと」


「はい」


「見料はいくらだ」


「取りません」


「取らねえのか」


「はい」


 男は、しばらくレンツを見ていた。それから、扉のほうへ顎をしゃくった。


「余計に怪しい」


 その言い分は、正しかった。


 道具が危ないと言って回り、金は取らないと言う男。何も企んでいない証拠は、どこにもない。


 レンツは頭を下げて、外へ出た。


   ◇


 冒険者ギルド支部の受付は、混んでいた。


 依頼票の張り出しを見に来た者と、報酬を受け取りに来た者で、昼過ぎまで列が途切れない。レンツはその最後尾に並んで、順番が回ってくるのを待った。


 受付の女は、彼の話を最後まで聞いた。それだけでも、今日は上等だった。


「工房の設備ですね」


「はい」


「うちの管轄ではありません」


 彼女は言った。


「冒険者ギルドが扱うのは、依頼と、冒険者と、装備の売買だけです。職人の工房の中のことは、職人組合になります」


「職人組合は」


「工房ごとの持ち物には、口を出さない決まりです」


「では、どこが」


「どこも見ていません」


 彼女は言い切った。悪びれた様子はなかった。


 事実だからだ。


「見ていない、というのは」


「見る決まりがない、ということです」


 レンツは礼を言って、列を離れた。


 背中で、次の番号が呼ばれた。


   ◇


 谷の北端まで歩くのに、半時ほどかかった。


 ローテアーダー鉱山の坑口は、斜面を削り込んだ岩肌に開いている。木の枠で四角く囲われた穴で、そこから軌道が伸び、鉱石を積んだ台車が下りてくる。


 坑口の脇に、櫓が組んであった。


 巻き上げ機だ。


 滑車の径は、人の背丈ほどある。太い鎖が坑内へ落ち込んでいて、その先に何が吊られているのかは、外からは見えない。


 鉱夫が出入りしていた。ひっきりなしに、櫓の下を通っていく。


 レンツは坑口から二十歩ほど離れた場所に立った。


 視界の縁に、数が滲む。


 櫓の柱。滑車の軸。見えている範囲の鎖。


 彼は数を読み、そして、読める範囲がそこまでだと知った。


 鎖の大半は、坑内にある。


 中で何がどうなっているかは、入らなければ分からない。


 そして彼は、入れない。


 戦えないからだ。落盤があれば逃げられず、水が出れば泳げず、暗ければ何も視えない。


 《規格外れ》は、暗所では働かない。


 彼は坑口を見ていた。


 鉱夫が二人、櫓の下を通って中へ消えていった。


 「見ていない、ということです」


 レンツは、受付の言葉を思い出していた。


 誰も見ていない。そして自分は、見ることはできるが、届かない。


 目の奥が痛みはじめた。


 彼は数を木札に書き写して、坑口に背を向けた。


   ◇


 工房に戻ったのは、日が落ちてからだった。


 イルゼが炉の前に座っていた。壁際には、今日打った品が並んでいる。硬さは揃っているはずだった。


「どうでした」


「駄目でした」


 レンツは荷を下ろした。


「何軒回ったんですか」


「三軒と、ギルドと、鉱山です」


「全部?」


「はい」


 イルゼは何も言わなかった。


 レンツは板を取り出して、今日の記録を書きはじめた。ホルスト工房。同型の鉤。設置四十年以上。所見、外観のみ。


 所見、外観のみ。


 その五文字を書いたところで、炭が短くなりすぎて折れた。


「……あの」


 イルゼが言った。


「私が行ったら、どうですか」


 レンツは顔を上げた。


「ホルストの親方、うちの父を知ってます。私が生まれる前からの付き合いです」


「あなたが言うから駄目なんですよ」


 イルゼは言った。乱暴な言い方だった。


「あなた、よその工房の人間で、無職で、しかも臆病者だってクビになったって噂の人でしょう。そんな人が来て『あんたの道具は危ない』って言ったら、私だって追い返します」


「……そうですね」


「でも、私はシュミットの三代目です」


 彼女は立ち上がった。


「同じことを言っても、追い返されません。少なくとも、話は聞きます」


 レンツは、しばらく黙っていた。


 考えたことがなかったからだ。


 八年、彼は一人で測ってきた。誰にも視えないものを、誰にも証明できないまま、書き続けてきた。


 届かせる方法として、彼が知っていたのは一つだけだった。自分で言って、外れずに、また言う。それを繰り返す。


 他人の口を借りるという発想が、なかった。


「……頼めますか」


「頼まれます」


 イルゼは壁から前掛けを取った。


「その代わり、教えてください。何を見ればいいのか。私には、中は視えませんから」


 レンツは板を一枚、手に取った。


「では、そこから決めましょう」


   ◇


 その夜、二人は工房の床に板を並べた。


 視えない人間が、視えないまま危険を見つける方法。


 レンツは炭を持ち、しばらく何も書かなかった。


 それから、一行だけ書いた。


 ――いつ、取り付けたか。

今回もお読みいただきありがとうございます!


今回、ホルスト親方はこう言いました。


「あれは四十年もってる」


この言葉は、二通りに読めます。


四十年、無事だった。だから安全だ。

四十年、使い続けた。だから傷んでいる。


まったく同じ事実から、正反対の結論が出ます。

そして人は、たいてい前者を選びます。

正常性バイアスですね。


なぜなら、落ちた鉤は目の前にありますが、

落ちなかった鉤は、何も語らないからです。


さて、レンツは壁に突き当たりました。

彼には視えます。しかし、届きません。


そして彼が最後に書いた一行は、

「内側を視る方法」ではありませんでした。


――いつ、取り付けたか。


なぜ彼は、そこから始めたのでしょうか。


あなたの職場で、いま使っている設備の設置年月日を、

即答できるものはどれくらいありますか?


次回、レンツとイルゼは、視えない人間のための方法を作っていくことになるようです。

乞うご期待♪

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ