第37話 これは、防げたのか
マルティン・クレーは、部屋の中央に、一人で立った。
左手だけで、椅子の背に触れ、体を支えている。
燭台の炎が、彼の白い外套を、静かに照らしていた。
◇
「証言します」
彼は言った。
声は、細かったが、震えてはいなかった。
「五層の通路が崩れたとき、俺は、後衛にいました。頭領の剣が折れる音を、聞きました」
◇
「音、というのは」
支部長が聞いた。
「今まで、聞いたことのない音でした」
マルティンは言った。
「根元から、一気に。まるで、乾いた枝みたいな」
彼は、目を閉じた。
「あの音を聞いた瞬間、体が、動いてました」
◇
「考える前に、でした」
彼は続けた。
「頭領の体勢が崩れて、魔物が、腕を伸ばしてきて。気づいたら、俺は、そこに立ってました」
部屋が、静まり返っていた。
「治癒師なのに、前に出た理由は」
支部長が聞いた。
「分かりません」
マルティンは言った。
「今も、分かりません」
◇
彼は、そこで、言葉を止めた。
しばらく、天井を見上げていた。
「一つだけ、言えることがあります」
彼は、視線を、レンツのほうへ向けた。
「あんたが、四年前、木札を渡したこと。俺は、見てました」
◇
「頭領は、それを、燃やしました」
マルティンは言った。
「あのとき、こう言いました。板きれが、誰かを守ったことがあるか、と」
ガルドの肩が、大きく動いた。
◇
「レンツ」
マルティンは、レンツを見た。
「聞きたい」
「はい」
「これは」
彼は、燭台の炎の中で、静かに、机の上の証拠を見た。
木札。四年分の記録。折れた剣の数値。
「これは、防げたのか」
◇
部屋の空気が、凍りついたようだった。
誰も、動かなかった。
燭台の炎だけが、揺れていた。
◇
レンツは、しばらく、答えなかった。
答えるべき言葉を、彼は、既に持っていた。
だが、それを口にする重さを、彼は、初めて理解していた。
◇
「はい」
彼は、言った。
「これは、事故ではありません」
声は、大きくなかった。だが、部屋の隅々まで、確かに届いた。
「予見され、放置された不具合です」
◇
誰も、口をきかなかった。
燭台の炎が、一度、大きく揺れた。
◇
ガルドが、椅子から、崩れるように、床に膝をついた。
彼は、両手で顔を覆っていた。
肩が、震えていた。
◇
「……防げたのかよ」
彼の声は、掠れていた。
「防げたって、言うのかよ」
誰も、答えなかった。
答える必要は、なかった。
◇
「四年前」
ガルドは、床に膝をついたまま、言った。
「俺は、板きれが、誰かを守ったことがあるかって、言った」
「はい」
レンツは言った。
「覚えています」
◇
「守ってたんだな」
ガルドは、顔を上げた。
目が、赤くなっていた。
「守ってた。ただ、俺が、それを、燃やしただけだ」
彼の声が、部屋に、重く響いた。
◇
「マルティンの腕は」
彼は、言った。
「あの板が、燃やされずに残ってたら」
「分かりません」
レンツは、正直に言った。
「ですが、あなたが、あの日、装備を確かめていれば」
彼は、続けた。
「あの剣は、五層に持ち込まれなかったかもしれません」
◇
ガルドは、床に、拳を打ちつけた。
一度。二度。
音が、燭台の炎を、大きく揺らした。
誰も、彼を止めなかった。
◇
しばらくして、支部長が、静かに立ち上がった。
「証言は、以上とする」
彼女は言った。
「これより、裁定を下す」
◇
部屋が、再び、静まり返った。
支部長は、机の上の資料を、一枚ずつ、重ねていった。
「本件は、装備の管理不備による、重大な事故と認める」
彼女は言った。
「四年前の警告が、正式に、そして反復して無視されたことも、記録により確認された」
◇
「パーティー『不倒の牙』の冒険者資格を、全員分、剥奪する」
彼女の声は、揺るがなかった。
「この決定は、ギルドの国際規約に基づき、加盟する全ての支部で、有効となる」
◇
ガルドは、床に膝をついたまま、動かなかった。
ヨナスと、名を知らない魔法使いは、俯いていた。
「異議は」
支部長が言った。
誰も、答えなかった。
◇
「では、これにて、査問会を閉じる」
彼女は言った。
燭台の炎が、一つ、また一つと、消されていった。
部屋が、少しずつ、暗くなっていく。
◇
マルティンは、椅子の背に、まだ、左手を置いたままだった。
彼は、レンツのほうを見た。
何も、言わなかった。
ただ、小さく、頷いた。
◇
レンツは、その頷きを、しばらく見ていた。
部屋の中央で、ガルドは、まだ、床に膝をついていた。
誰も、彼に、近づかなかった。
誰も、彼を、責めなかった。
ただ、静かな部屋に、彼の、押し殺した呼吸の音だけが、残っていた。
今回もお読みいただきありがとうございます✨️
査問会は、静かに、終わりました。
怒号も、罵倒も、ありませんでした。
あったのは、一つの問いと、一つの答えだけでした。
「これは、防げたのか」
マルティンさんの、静かな問い。
レンツは、こう答えました。
「これは、事故ではありません。
予見され、放置された不具合です」
――事故と、不具合は、違います。
――事故は、誰にも防げなかったもの。
――不具合は、防げたはずのものです。
この違いを、正確に言葉にすることが、
この場面で、レンツにできる、唯一のことでした。
そして、四年前の言葉が、戻ってきました。
「板きれが、誰かを守ったことがあるか」
ガルドは、床に膝をつき、その答えを、自分の口で言いました。
「守ってたんだな。
ただ、俺が、それを、燃やしただけだ」
記録は、すぐには、誰も救いません。
しかし、記録は、いつか、
それを見た誰かの目を、開かせます。
冒険者資格は、剥奪されました。
国際規約により、この決定は、どこの街でも有効です。
これは、罰でしょうか。
それとも、必然でしょうか。
次回、査問会の後、
この街と、レンツ自身に訪れる変化を、描きます。




