第38話 繋げて考える街
査問会の翌日、街の空気は、いつもと違っていた。
酒場の前を通ると、人々が、声を潜めて話していた。
「不倒の牙、資格を剥奪されたらしい」
「四年前の警告、無視してたんだと」
「あの装備係が、証拠を持ってたって」
◇
レンツ・ノルムは、その声を聞きながら、通りを歩いた。
四年前、剣が折れた翌日、街の反応は違っていた。
運が悪かったな、と誰かが言い、それで話は終わった。誰も、前日の警告と結びつけなかった。
今日は、違った。
人々は、繋げて考えていた。
◇
職人街に入ると、金物屋の主人が、レンツを呼び止めた。
「あんた、聞いたぞ」
「はい」
「あの剣、うちの裏に捨ててあったやつだろう」
主人は言った。
「あれが、証拠になったって」
「はい」
「……今度から、うちに来る壊れ物、ちゃんと言ってから捨てるわ」
彼は、少し決まり悪そうに言った。
◇
納屋に戻ると、イルゼ・シュミットが、外に出て、空を見上げていた。
朝の光が、まだ低い位置から差していた。
「レンツさん」
彼女は言った。
「終わりましたね」
「はい」
彼女は、しばらく、空を見ていた。
◇
「父のことは、変わりません」
イルゼは言った。
「査問会にも、出せませんでした」
「はい」
「でも」
彼女は、レンツのほうを見た。
「今なら、思えます。父の死も、防げたはずだったって、ちゃんと言葉にできる」
◇
「防げたはずでした」
レンツは言った。
「あなたのお父上を殺したのは、運ではありません。四十年、誰も見なかった鉤でした」
イルゼは、小さく頷いた。
目に、涙が浮かんでいたが、拭わなかった。
◇
その日の午後、レンツは、教会を訪ねた。
マルティン・クレーは、庭で、椅子に座っていた。左手に、木の板を持っている。
「レンツ」
「体調は」
「良くなってきた」
マルティンは言った。
「これ、見てくれ」
◇
彼が持っていたのは、片手で書いた、拙い文字だった。
「字の練習をしてる」
彼は言った。
「左手だけでも、書けるようになりたい」
「なぜですか」
「あんたの仕事、手伝いたいんだ」
マルティンは言った。
「戦えなくても、書くことはできる」
◇
「無理はしないでください」
レンツは言った。
「無理はしてない」
彼は、少し笑った。
「あんたが、二十年、一人でやってきたこと。俺は、四年、そばで見てただけだった」
マルティンは、板を見た。
「これからは、少しは、手伝わせてくれ」
◇
夕方、レンツは、街の外れを歩いていた。
門の見張り台に、人影があった。
近づくと、ガルド・ブレンナーだった。
剣は、差していない。腰に、鞘さえなかった。
◇
「まだ、いたんですか」
レンツは言った。
「行くあてが、ない」
ガルドは言った。
「冒険者じゃなくなった。どこの街に行っても、同じだ」
彼は、谷のほうを見ていた。
夕日が、ティーフグルントの入り口を、赤く染めていた。
◇
「これから、どうされるんですか」
「分からん」
ガルドは言った。
「剣しか、振ってこなかった。他に、何ができるのか」
彼は、しばらく黙っていた。
「……鍛冶屋にでも、弟子入りするか」
彼は、自嘲するように言った。
◇
「本気で、仰っているんですか」
レンツは聞いた。
「分からん」
ガルドは、繰り返した。
「ただ、剣を打つ側から、見てみるのも、悪くないかもしれん」
彼は、レンツのほうを見た。
「お前が、この四年で、何をやってきたのか。今さらだが、知りたい」
◇
レンツは、答えなかった。
答えの代わりに、彼は、袋から一枚の板を取り出した。
地のゆらぎ、人のゆらぎ。二行だけ書かれたものだった。
「これが、始まりでした」
「……見せてくれるのか」
「はい」
レンツは言った。
「もし、本気で知りたいなら」
◇
ガルドは、板を、しばらく見ていた。
読めない文字を、読もうとするように。
「時間が、かかりそうだな」
彼は言った。
「かかります」
レンツは言った。
「二十年、かかりました」
◇
その夜、納屋で、レンツは、板を整理していた。
四十軒近くの工房。決め幅の一覧。街の外への注文。
積み重なった板の量は、二十年前とは、比べ物にならなかった。
◇
イルゼが、階段の上から降りてきた。
「終わったこと、実感、湧きますか」
「まだです」
レンツは言った。
「終わったのは、一つの事故です。この街には、まだ、測っていないものが、たくさんあります」
「そうですね」
イルゼは、微笑んだ。
◇
窓の外、川の向こうに、街の灯りが揺れていた。
遠く、ローテアーダー鉱山のほうから、何かの噂を耳にしたことを、レンツは思い出した。
王都の名工が、決め幅の話を聞きつけたらしい、と。
◇
真偽は、分からなかった。
だが、もし本当なら、次に向き合う相手は、この街の誰よりも、大きな存在になる。
レンツは、板を、一枚、静かに閉じた。
二十年かけて、彼は、一つの街の常識を、少しだけ変えた。
その先に、何が待っているのか、まだ、分からなかった。
今回もお読みいただきありがとうございます✨️
査問会の翌日、街の反応は、四年前とは違っていました。
かつては、「運が悪かった」の一言で終わった出来事が、
今回は、繋げて考えられていました。
――原因と結果を結びつける習慣は、
一夜にしては生まれません。
――それでも、一つずつ、根づいていきます。
イルゼは、父の死を、正式に問うことはできませんでした。
それでも、「防げたはずだった」と、
自分の言葉で言えるようになりました。
マルティンさんは、左手で、字の練習を始めていました。
「戦えなくても、書くことはできる」
失ったものを数えるのではなく、
残ったものでできることを、探しはじめていました。
そして、ガルドは、行き場を失ったまま、
それでも、レンツの積み上げてきたものを、
初めて、知ろうとしました。
「時間が、かかりそうだな」
「二十年、かかりました」
許しではありません。
償いでもありません。
ただ、少しずつ、何かが、動きはじめていました。
最後に、レンツは、遠い噂を思い出します。
王都の名工が、決め幅の話を、聞きつけたらしい、と。
これで、この街での物語は、一区切りです。
次は、この街の外にある、
もっと大きな壁と、向き合うことになります。




