第34話 運が悪かった、その先に
朝から、雨が降っていた。
納屋の屋根を叩く音が、絶え間なく続いている。板を並べる手元が、いつもより暗く見えた。
レンツ・ノルムは、灯りを一つ増やした。油の匂いが、雨の湿った空気に混じる。
◇
板を、順に並べていく。
四年前の木札。すすけて、色の変わったもの。
ガルド・ブレンナーの剣の記録。四年分。最後の数値、六十九。
ヨナスの証言。崩落、未知の魔物、剣の破断、マルティンの介入。
昨夜の、ガルドとの対話。
レンツは、それらを、一枚ずつ確かめていった。
◇
「これで、全部ですか」
イルゼ・シュミットが、隣に座って言った。
「まだ、足りません」
レンツは言った。
「マルティンさんの証言が、ありません」
「話せないんですよね、まだ」
「はい」
彼は言った。
「ですが、他のものだけでも、申し立てはできると思います」
◇
雨の音が、しばらく二人のあいだを埋めた。
イルゼは、木札の一枚を手に取った。四年前の、すすけたものだった。
彼女は、それを、長いこと見ていた。
「レンツさん」
「はい」
「これ、見てて、思い出したことがあります」
◇
「父のことです」
イルゼは言った。
「あの吊り具、切れたとき。誰も、原因を聞きませんでした」
「はい」
「運が悪かったって、みんな言いました」
彼女の声は、静かだった。だが、雨音の合間に、確かに届いた。
◇
「私も、そう思ってました。長いあいだ」
イルゼは、木札を、指でなぞった。
「でも、あなたが来て、鉤の中を見せてくれました。四十年、誰も見てなかった穴です」
「はい」
「あれ、運じゃなかったんですよね」
「はい」
レンツは言った。
「防げたはずでした」
◇
イルゼは、木札を、そっと板の上に戻した。
「頭領の剣も、同じですよね」
「同じです」
「四年間、誰も見なかった。運が悪かったって、また言われるところでした」
彼女は言った。
「でも今回は、言わせないんですね」
「言わせません」
レンツは言った。
「事実を、示します」
◇
雨が、少し弱まっていた。
屋根を叩く音が、まばらになっていく。
「イルゼさん」
「はい」
「父上の件は、査問会には出せません」
彼は言った。
「あれは、工房の中の話です。冒険者ギルドの管轄ではありません」
「分かってます」
イルゼは言った。
「そこまで、期待してません」
◇
「ただ」
彼女は、少し間を置いた。
「あなたがやってること、私、応援したいです」
レンツは、顔を上げた。
「父のときは、誰もこうしてくれませんでした」
イルゼは言った。
「今度は、誰かが、ちゃんと聞いてくれる」
彼女は、微笑んだ。少し、無理をしたような笑みだった。
「それだけで、救われる人もいると思います」
◇
雨が、止んでいた。
窓の外、雲の切れ間から、薄い光が差し込みはじめていた。
レンツは、板をまとめ、袋に入れた。
「行ってきます」
「ギルドですか」
「はい」
「一緒に行きましょうか」
「いえ」
彼は言った。
「これは、俺の仕事です」
◇
ギルド支部は、雨上がりの空気の中、いつもより人が少なかった。
受付の女は、レンツを見ると、すぐに支部長を呼びに行った。
支部長室に通されると、彼女は、既に椅子から立ち上がっていた。
「木札を、持ってきたと聞いている」
「はい」
レンツは、袋から資料を取り出し、机に並べた。
◇
支部長は、一枚ずつ、順に手に取っていった。
すすけた木札。四年分の測定記録。ヨナスの証言をまとめたもの。
「これは」
彼女は、木札を見つめた。
「四年前の日付だ」
「はい」
「ガルド・ブレンナーが、これを拒否したと」
「はい」
「本人は、これを、認めているのか」
「昨夜、伺いました」
レンツは言った。
「『好きにしろ』と、仰いました」
◇
支部長は、しばらく、資料を見比べていた。
部屋の窓から、雨上がりの光が差し込み、机の上の木札を、静かに照らしていた。
「査問会は、簡単には開けない」
彼女は、やがて言った。
「国際組織の名で開く以上、手続きが要る。証言も、正式な形で取り直す必要がある」
「はい」
「マルティン・クレーの証言は」
「まだです」
レンツは言った。
「回復を待っています」
◇
「教会が、待ったをかけるかもしれない」
支部長は言った。
「マルティンは、まだ療養中だ。証言を求めることに、司祭が反対する可能性がある」
「その場合は」
「その場合は、また別の道を、考える」
彼女は言った。
「だが、これだけの記録があれば、開かないという選択肢は、こちらにはない」
◇
「いつになりますか」
レンツは聞いた。
「マルティンの容態次第だ」
支部長は言った。
「ただ、遅くとも、ひと月以内には」
彼女は、木札を、もう一度見た。
「これを、四年間、持ち続けていたのか」
「はい」
「なぜ」
◇
レンツは、少し考えた。
「使うつもりは、ありませんでした」
彼は言った。
「ですが、捨てられませんでした」
「それだけか」
「はい」
彼は言った。
「捨てられなかったことに、意味があったのだと、今は思います」
◇
支部長は、木札を、机の引き出しにしまった。
鍵をかける音が、静かに響いた。
「これで、証拠として保管する」
彼女は言った。
「査問会が開かれるまで、他言は控えてくれ」
「分かりました」
◇
支部を出ると、空は、すっかり晴れていた。
雨上がりの街は、水を含んだ土の匂いがした。石畳が、光を反射している。
職人街のほうから、いつもの槌の音が聞こえてきた。何も変わらない、日常の音だった。
◇
納屋に戻ると、イルゼが、戸口で待っていた。
「どうでした」
「ひと月以内に、開かれます」
レンツは言った。
「木札は、証拠として、ギルドが保管することになりました」
イルゼは、小さく息を吐いた。
安堵とも、緊張とも取れる、静かな息だった。
◇
「レンツさん」
「はい」
「父の分まで、とは言いません」
イルゼは言った。
「でも、今度こそ、誰かが、ちゃんと聞いてくれるんですよね」
「聞かせます」
レンツは言った。
夕暮れの光が、納屋の入り口から、長く差し込んでいた。
その光の中に立つイルゼの影が、床の木札の列まで、静かに伸びていた。
今回もお読みいただきありがとうございます✨️
雨の朝から始まり、雨上がりの夕暮れで終わる一日でした。
レンツは、四年分の証拠を携えて、
ギルドに正式な申し立てを行いました。
査問会は、簡単には開けません。
国際組織の名のもとに開く以上、手続きが要ります。
それでも、支部長はこう言いました。
「これだけの記録があれば、開かないという選択肢は、こちらにはない」
――証拠が揃えば、組織は動かざるを得ません。
――逆に言えば、証拠がなければ、動きようがありません。
そして今回、イルゼが、静かに語りました。
父の死は、査問会の議題にはできません。
管轄が違うからです。
けれど、彼女は、こう言いました。
「今度は、誰かが、ちゃんと聞いてくれる」
これは、彼女自身の救いでもあったのだと思います。
同じ構造の悲劇が、
一つは聞かれないまま終わり、
もう一つは、これから聞かれようとしている。
――誰かの前例が、次の誰かを、
運が悪かった、で終わらせないための、
力になることがあります。
あなたの職場でも、「あのときは、仕方なかった」で終わったことが、別の誰かを守る記録として、生かされていますか。
次回、査問会に対して、教会が初めて態度を示します。




