第31話 帰ってきた日
五層に発って、九日目だった。
レンツ・ノルムは、朝から納屋で、トビアスの手順書を見直していた。
外が、騒がしくなったのは、昼過ぎだった。
「帰ってきた!」
誰かが、通りで叫んでいる声が聞こえた。
「不倒の牙が、帰ってきたぞ!」
◇
レンツは、手を止めた。
九日は、早い。予定より、ずっと早かった。
早く帰るということは、二つに一つだ。踏破したか、それとも。
彼は、外に出た。
通りに、人が集まりはじめていた。だが、その空気は、出立の日とは違っていた。
歓声ではなく、ざわめきだった。
◇
門のほうから、担架が運ばれてくるのが見えた。
一つ。
周りを、数人が囲んで歩いている。急ぎ足だった。
レンツは、群衆の端に立った。近づかなかった。
視る資格が、彼にはない。
◇
「誰だ、乗ってるのは」
「治癒師だってさ」
「マルティンとかいう」
周りの声が、断片的に耳に入ってくる。
「怪我、ひどいらしい」
「腕がどうとか」
レンツは、その言葉を、聞いていた。
◇
担架が、教会のほうへ運ばれていく。
その後ろから、四人が歩いてきた。
ガルド・ブレンナーが、先頭だった。
鎧が、ところどころ裂けている。顔に、乾いた血の跡があった。
彼は、剣を差していなかった。
腰の鞘が、空だった。
◇
残りの三人も、傷を負っていた。一人は、足を引きずっていた。
誰も、口をきかなかった。
群衆も、静かに道を空けた。出立の日のような、歓声はなかった。
レンツは、その行列が通り過ぎるのを見ていた。
ガルドと、目が合わなかった。彼は、前だけを見て歩いていた。
◇
その日のうちに、街に話が広まった。
五層は、これまでとは違う場所だったという。
通路が崩れ、退路が塞がれた。中で、何かに囲まれた。
詳しい話は、誰にも分からなかった。生き残った者たちも、口が重かった。
分かっているのは、ひとつ。
マルティン・クレーが、右腕を失ったこと。
それはつまり、治癒術士である彼の冒険者生命が絶たれたことに他ならなかった。
◇
夕方、レンツは、金物屋の裏へ向かった。
いつもの習慣だった。壊れたものが、そこに積まれる。
今日は、いつもより多かった。
鎧の破片。折れた槍の柄。そして。
剣が、二つに折れて、置いてあった。
◇
レンツは、それを手に取った。
視界の縁に、数が滲む。
根元。六十九。
彼は、しばらく、その数を見ていた。
九日前、街の門を出ていったとき、この剣は測られていなかった。
今、折れて、初めて数が出た。
◇
「よくもまあ、あんなとこから帰ってきたな」
金物屋の主人が言った。
「五層だぜ。誰も知らねえ場所だ」
「その剣は」
レンツは聞いた。
「ガルドの剣だよ。届けに来た奴が、捨てとけって」
「捨てる、ですか」
「新しいの買うから、いらねえってさ」
主人は言った。
「気にすんな。折れた剣なんざ、いつものことだ」
◇
レンツは、剣を見た。
根元、六十九。
九本の前衛剣で、彼が測った最大値は、六十八だった。四年前、追放される直前の記録だ。
あれから、四年。誰も測らないまま、彼は進み続けていた。
六十九という数字が、何を意味するのか。
彼には、分かっていた。
◇
「これ、いただいても」
「持ってけよ。屑だ」
レンツは、剣を布に包んだ。
いつもと同じ手順だった。壊れたものを拾い、納屋へ運び、視て、記録する。
これまで、何百回もやってきたことだった。
だが、今日は、手が、少し震えていた。
◇
納屋に戻ると、イルゼ・シュミットが待っていた。
「聞きました」
彼女は言った。
「マルティンさんのこと」
「はい」
「……治癒魔法で、戻らないんですよね」
「戻りません」
レンツは言った。
「肉体が持つ回復を、速めるだけです。失ったものは、戻りません」
◇
イルゼは、しばらく黙っていた。
「あの剣、ですか」
彼女は、布に包まれたものを見た。
「ガルドさんの」
「はい」
「測るんですか」
「測ります」
レンツは言った。
「今までも、そうしてきました」
◇
その夜、レンツは、板を並べた。
六十九。
彼は、四年前の記録を引き出した。
二十五本の剣、四年分の測定値。ガルドの剣の列。
最初の一年、月に一つずつ上がっていた。二年目から、月に二つ。三年目に、折れた。
あのとき、六十八まで達していた。
◇
彼は、板に、新しい行を書いた。
――五層帰還時、根元六十九。
九日で、六十九まで進んだ数字ではない。
これは、追放されてからの四年、一度も測られず、直され続けなかった数字だった。
彼は、それを、しばらく見ていた。
◇
「イルゼさん」
「はい」
「四年前、俺が測っていた記録が、まだあります」
レンツは言った。
「あの日のことも、書いてあります」
「あの日って」
「初めて、剣が折れると言った日です」
彼は言った。
「あのとき、俺は木札を渡しました。ガルドさんは、それを、炉に投げました」
◇
「燃えたんじゃ」
「一部は」
レンツは言った。
「もう一部は、俺が持っています」
彼は、袋の奥から、古い木札を取り出した。
四年前のものだ。すすけて、色が変わっている。だが、文字は読めた。
――是正を求めた相手の名。ガルド・ブレンナー。応答、拒否。
◇
「これ、どうするんですか」
イルゼが聞いた。
レンツは、しばらく答えなかった。
彼は、この木札を、四年間、袋の底に入れたまま持ち歩いていた。
使うつもりは、なかった。ただ、捨てられなかっただけだ。
◇
「分かりません」
彼は、正直に言った。
「マルティンさんの腕は、戻りません。この板は、ただ文字を書いただけの板ですから」
強く板を握りしめる。
「それでも、次を、防げるかもしれません」
彼は、六十九と書かれた板を見た。
――同じ事故を、二度起こさせない。
今回もお読みいただきありがとうございます✨️
不倒の牙が、九日で帰還しました。
予定より、ずっと早い帰還でした。
治癒師のマルティンさんが、右腕を失いました。
治癒魔法は、失われた部位を戻せません。
そしてこの世界では、魔法は両手がなければ放てません。
片手を失った彼は、今後、どのように生きていくのでしょうか。
もし、ガルドの剣の品質が担保されていて、折れることがなければ……彼の人生が歪むことはなかったのかもしれません。
それだけ、『品質』とは人の人生を大きく左右するものなのです。
レンツの見立てでは、九日でそこまで進む数字ではない、ということでした。
彼は、四年前の木札を取り出しました。
燃やされたはずの記録の、もう一枚です。
「読まれなかったことを、後から証明するために」
あのとき、そう思って作った、もう一枚でした。
――記録は、すぐには誰も救いません。
――ですが、次の誰かを、救うかもしれません。
レンツは、まだ、何をすべきか、
はっきりとは決めていません。
ただ、板の上に、一行だけ、書きました。
同じ事故を、二度起こさせない。
──次回、レンツは、生き残った人々の話を聞きはじめます。




