第29話 作業手順書
二十本の注文は、三人がかりでも間に合わなかった。
イルゼ・シュミットは、弟子を一人取ることにした。
「トビアスといいます」
少年は、十五だった。痩せていて、目つきが鋭い。
「よろしくお願いします」
レンツ・ノルムは、頭を下げた。
「あんたが、視る人か」
トビアスは言った。
「聞いてる。数字が視えるって」
「はい」
「気味悪いって、街の噂で」
彼は、悪びれずに言った。
「本人の前で言うな」
イルゼが、彼の頭を叩いた。
◇
トビアスは、覚えが早かった。
三日で、水温の測り方を覚えた。五つ数えて痛くなる水。
一週間で、炉の扱いも一通り覚えた。
だが、打った剣を、レンツが視ると、数値がばらついた。
空、十一。二十三。十五。三十一。
幅は、二十を超えていた。
「イルゼさんの三本より、広いです」
レンツは言った。
「あの子、下手なんですか」
イルゼが聞いた。
「分かりません」
「分からないって」
「打つところを、見せてください」
◇
レンツは、トビアスが打つのを見た。
水温は、正しく測っている。五つ数えている。
だが、水に入れるまでの動きが、毎回違った。
ある回は、炉から出してすぐ。
ある回は、少し間を置いてから。
「トビアスさん」
「なんだ」
「炉から出して、水に入れるまで、どのくらい待っていますか」
「……決めてない」
彼は言った。
「そのときの感じで」
◇
「イルゼさん」
レンツは言った。
「あなたは、どのくらい待っていますか」
「……考えたことないです」
イルゼは、少し困った顔をした。
「なんとなく、です」
「なんとなくで、揃っています」
レンツは言った。
「あなたの三本は、幅が五でした。ですが、その『なんとなく』を、言葉にしていません」
彼は、板を見た。
「トビアスさんに教えたのは、水温だけでした」
◇
その夜、レンツは、イルゼの手を観察した。
彼女が剣を打つ様子を、初めから終わりまで、順に見た。
炉から出す。
三つ、数える間だけ、宙で構える。
それから、水に入れる。
「イルゼさん」
「はい」
「今、数えていましたね」
「……えっ」
彼女は、自分の口元を触った。
「数えて、ましたっけ」
「三つです」
レンツは言った。
「毎回、ほぼ同じ間でした」
イルゼは、しばらく黙っていた。
「……父の癖です」
彼女は言った。
「教わったんじゃなくて、見て覚えました。意識したこと、なかったです」
◇
レンツは、板に書いた。
――水温だけでは、足りない。待つ時間も、方法の一部だった。
トビアスに、その話をした。
「炉から出して、三つ数えてから、水に入れてください」
「え、そんなの分かるかよ」
「イルゼさんが、そうしていました」
トビアスは、疑わしそうな顔をした。
「本当に、それだけの違いか」
「試してください」
◇
試作は、四本打った。
十三。十五。十四。十六。
幅は、三に収まった。
「……なんだよ、それ」
トビアスが、板を覗き込んだ。
「三つ数えるだけで、こんなに変わるのか」
「変わりました」
レンツは言った。
「教えたつもりで、教えていないことが、ありました」
◇
この一件を、レンツは組合の巡回にも持ち込んだ。
「同じことが、他の工房でもあるかもしれません」
彼は、ヴィンターに言った。
「弟子に、方法を教えたつもりで、無意識にやっていることを、教え忘れている」
「たとえば、何がある」
「待つ時間。力の入れ方。持ち方」
レンツは言った。
「言葉にしていないことは、伝わりません」
◇
ヴィンターは、しばらく考えた。
「じゃあ、どうする」
「書き出します」
レンツは言った。
「一つの工房の手順を、全部、板にします。水温だけでなく、待つ時間、力の入れ方、順番」
「そんなもの、書けるのか」
「書けると思います」
彼は言った。
「時間はかかりますが」
◇
その作業は、翌日から始まった。
イルゼの動きを、一つずつ、言葉にしていく。
炉に入れる時間。取り出す合図。水に入れるまでの間。何回、槌を振るか。
書き終えるのに、五日かかった。
板は、十二枚になった。
「これ、全部覚えるんですか」
トビアスが、うんざりした顔で言った。
「最初は、見ながらでいいです」
レンツは言った。
「慣れれば、体が覚えます」
◇
その作業の合間、ハンナ・ヴォルフが納屋に顔を出した。
剣は、まだ手元にあった。数値は、順調に進んでいた。
「レンツ、ちょっと聞いた?」
「何をですか」
「不倒の牙、次の依頼」
ハンナは言った。
「五層に行くって噂」
レンツは、手を止めた。
「五層」
「今まで、誰も潜ったことない層。ギルドの記録にもない」
彼女は言った。
「頭領が、決めたらしい」
◇
「なぜ、五層に」
レンツは聞いた。
「決め幅の話で、笑い者にされたから、じゃないかって」
ハンナは言った。
「街で噂になってる。あんたに言われた通り剣が折れたのに、認めなかったって」
「それは」
「本人が、そう思ってるかは知らないけど」
彼女は肩をすくめた。
「五層まで潜って戻れば、それだけで話題になる。誰もやってないことだから」
◇
レンツは、板を見た。
ガルド・ブレンナーの剣は、二本目。誰も測っていない。
五層は、四層よりさらに深い。
バイブルには、まだ何も書かれていない土地だった。
「装備は、どうしているんでしょうか」
「知らない」
ハンナは言った。
「あんた、行って見てくればいいじゃない」
「見る資格が、ありません」
レンツは言った。
ハンナは、少し彼を見た。
「まだ、そんなこと言ってるの」
「はい」
彼は言った。
「頼まれていません」
◇
その夜、レンツは、板を並べていた。
十二枚の手順書。トビアスの試作、幅三。
教えることは、少しずつ、形になっている。
だが、板の隅に、もう一枚、別の記録があった。
四年分の、ガルド・ブレンナーの記録。
彼は、それを見ないようにして、片付けた。
自分の仕事は、ここにある。
街の中の、測れるものだけだ。
今回もお読みいただきありがとうございます✨️
工房が大きくなると、新しい問題が出ました。
弟子に、方法を教えたつもりでした。
しかし、教えたのは水温だけで、
炉から水に入れるまでの「間」は、
教える側も無意識にやっていたことでした。
――言葉にしていないことは、伝わりません。
――無意識の技術は、教えたことになりません。
イルゼは、父から見て覚えた癖を、
自分でも気づいていませんでした。
そこでレンツたちは、手順を全部、書き出すことにしました。
十二枚の板になりました。
地味で、時間のかかる作業です。
しかし、これがなければ、
一人の職人がいなくなった瞬間、
その工房の腕も、一緒に消えてしまいます。
さて、今回、もう一つの影が近づいてきました。
不倒の牙が、まだ誰も潜ったことのない層に向かう、という噂です。
理由は、はっきりしません。
ただ、装備が、ずっと測られていないことだけは、
レンツにも分かっています。
そして彼は、それでも動きませんでした。
「頼まれていません」
これは、正しい判断でしょうか。
それとも。




