第26話 測れないもの
ギルド支部の会議室に呼ばれたのは、三日後だった。
支部長の部屋より、一回り大きい。長机に、椅子が六つ。窓は北向きで、光が柔らかかった。
レンツ・ノルムが着くと、既に一人座っていた。
女だった。銀の髪を高く結い上げている。紫の瞳。歳の見当がつかなかった。三十にも、五十にも見えた。
両手に、薄い革の手袋をつけている。
「あなたが、レンツ・ノルム」
女が言った。声は低く、よく通った。
「はい」
「セラフィーネ・アウグストよ」
彼女は名乗った。それだけで、部屋の空気が少し変わった気がした。
◇
支部長が同席し、簡単な紹介をした。附与術師ギルドの代表。
レンツは、その肩書きを板に書き留めた。
「決め幅、というものを作ったそうね」
セラフィーネが言った。
「はい」
「剣が、どこまで保つかを、数で示す」
「はい」
「面白い試みだと思うわ」
彼女は、微笑んだ。表情の割に、目は動いていなかった。
◇
「一つ、聞かせてもらえるかしら」
セラフィーネは言った。
「あなたの言う十四から十九。あれは、いつでも十四から十九なの」
「同じ方法で作れば、その範囲に収まります」
「いつでも」
彼女は繰り返した。
「百回打っても、千回打っても」
レンツは、少し考えた。
「まだ、千回は打っていません」
「では、分からないのね」
「分かりません」
彼は言った。
「今のところ、外れていません。ですが、絶対とは言えません」
◇
セラフィーネは、革の手袋を撫でた。
「わたくしたちの仕事は、成功率六割よ」
彼女は言った。
「十回試して、六回成る。四回は、失敗する」
「はい」
「これは、変えられない」
「なぜですか」
「マナが、そういうものだから」
彼女は言った。
「あなたの言う、地のゆらぎ。あれは、消せないのでしょう」
レンツは、驚いた。
その言葉を、どこで知ったのか。
「消せません」
「わたくしたちの仕事も、同じよ」
セラフィーネは言った。
「地のゆらぎの中に、全部あるの。人の手は届かない」
◇
「では、なぜ」
レンツは言った。
「六割で成功するものを、続けるのですか」
「四割で失敗しても、六割は、あなたの決め幅を超えるからよ」
彼女は言った。
「あなたの剣は、十四から十九。わたくしが手をかければ、五にも六にもなる」
「それは」
「成功すれば、の話だけれど」
彼女は言った。
「頂点を狙うなら、わたくしたちの領分よ。あなたの決め幅は、頂点には届かない」
◇
「届かせるつもりは、ありません」
レンツは言った。
「では、何を狙っているの」
「底です」
「底」
「一番悪いものを、なくすことです」
彼は言った。
「頂点を高くすることには、興味がありません」
◇
セラフィーネは、しばらく黙っていた。
「正直ね」
彼女は言った。
「多くの人間は、頂点の話をしたがるわ。底の話は、地味だから」
「地味です」
レンツは言った。
「ですが、底が抜けると、人が死にます」
彼女の目が、初めて少し動いた。
◇
「一つ、見せたいものがあるの」
セラフィーネは、卓に小さな箱を置いた。
開けると、短剣が一本。柄に、細かい装飾が施されている。
「附与を、かけたもの」
彼女は言った。
「見えるかしら」
レンツは、剣に目をやった。
視界の縁に、数が滲もうとして――止まった。
何も出てこない。
硬さも、歪みも、密度も。
鉄そのものの数は視える。だが、その上に何かが乗っている感触があった。名前のない層が。
「……視えません」
彼は言った。
「そう」
セラフィーネは、静かに言った。
「あなたの目は、鉄までしか届かない」
◇
「それは、いつか」
レンツは言った。
「視えるようになりますか」
「さあ」
彼女は箱を閉じた。
「わたくしにも、分からない」
彼女は立ち上がった。
「今日は、顔合わせのつもりで来たの。あなたの噂を、聞いていたから」
「教会からですか」
その言葉に、彼女の手が、一瞬止まった。
「……よく気づいたわね」
「決め幅は、教会の言うゆらぎと、相性が悪いと言われました」
レンツは言った。
「あなたたちと教会は、近い立場だと」
◇
セラフィーネは、手袋の指先を揃えた。
「近いというより」
彼女は言った。
「支え合っている、というほうが正しいわ」
「支え合う」
「わたくしたちの失敗は、神の意志として片付けられる。だから、責められない」
彼女は言った。
「そして、わたくしたちがいることで、教会の教えは、日々証明され続ける」
「ゆらぎは、本当にある、と」
「そうよ」
彼女は言った。
「あなたの決め幅も、いずれ同じことに気づくわ」
◇
「どういうことですか」
「底をなくせば、なくすほど」
セラフィーネは言った。
「残った失敗が、目立つようになる」
彼女は、扉のほうへ歩いた。
「今は、剣が折れることなど、誰も気にしない。折れて当たり前だから」
彼女は振り返った。
「あなたが、それを当たり前でなくしたとき」
「はい」
「折れた一本が、今よりずっと、大きな意味を持つようになる」
◇
扉の前で、彼女は一度立ち止まった。
「レンツ・ノルム」
「はい」
「あなたのやっていることに、敵意はないわ」
セラフィーネは言った。
「ただ、覚えておいて。世界が全部、あなたの決め幅に収まるわけではない」
彼女は、部屋を出ていった。
◇
レンツは、しばらく卓を見ていた。
視えなかった短剣の感触が、まだ指先に残っている気がした。
鉄までは視える。その上の何かは、視えない。
彼は、板に書いた。
――魔法には、まだ届かない。
その下に、もう一行。
――底をなくすほど、残った一本が、重くなる。
彼は、その意味を考えていた。
今、ガルド・ブレンナーの剣は、誰も測っていない。
そして、あの剣も、いつか折れる。
今回もお読みいただきありがとうございます✨️
決め幅を作ったレンツの前に、附与術師ギルドの代表が現れました。
彼女は、敵として現れたわけではありません。
むしろ、レンツの言う「地のゆらぎ」を、
彼よりずっと前から知っている立場でした。
成功率六割。
これは、彼女たちにとって、変えられない現実です。
そして彼女は、それを隠しませんでした。
「頂点を狙うなら、わたくしたちの領分よ」
「あなたの決め幅は、頂点には届かない」
レンツは、それを否定しませんでした。
「底です。一番悪いものを、なくすことです」
頂点を高くすることと、底を上げること。
これは、まったく別の仕事です。
そして今回、レンツは初めて、
自分の目が届かないものに出会いました。
魔法をかけられた剣の中身が、視えなかったのです。
――測れないものが、まだこの世界にはあります。
さて、セラフィーネは去り際に、
一つの言葉を残していきました。
底をなくせば、なくすほど、
残った一本の失敗が、大きな意味を持つようになる。
これが、どういう意味を持つのか。
レンツは、まだ知りません。




