第21話 印が、増える前に
三日後、ホルスト工房を訪ねると、グンター・ホルストは炉の前で待っていた。
「刻む」
彼は前置きなしに言った。
「その代わり、条件がある」
「伺います」
「印は、俺が決める。あんたが決めるんじゃない」
「はい」
「それと、もう一つ」
ホルストは、鏨を持ち上げた。
「クヴァントの印と、うちの印が、似てたらどうする」
レンツは、板を見た。
考えていなかった。
シュミット工房は縦棒一本。ホルスト工房は、まだ決めていない。もし二つの工房が偶然同じ印を選んだら、辿れなくなる。
「……確かに」
「だろう」
ホルストが言った。
「四十年、うちは何も刻んでこなかった。今から始めるなら、揃えねえと意味がねえ」
◇
その日のうちに、職人街の主だった工房を回った。
シュミット、ホルスト、クヴァント、エーベル。四軒で、印を決めた。
縦棒。横棒二本。丸。三角。
単純な形にした。読み書きができない職人が多いからだ。
「これを、一枚に書いておきます」
レンツは言った。
「新しく工房を始める人が出たら、その一枚に書き足します」
「誰が持つ」
クヴァントが言った。
「ギルドに預けたらどうだ。あそこなら、燃えたり失くしたりしにくい」
レンツは、少し考えた。
ギルド支部は、彼にとって扉を閉ざされた場所だった。工房の設備は管轄外だと言われた。
だが、預けるだけなら別の話かもしれない。
◇
受付の女は、話を最後まで聞いた。
「工房の印の一覧、ですか」
「はい。四軒分あります。今後、増える可能性もあります」
彼女は少し考えた。
「……前例がありません」
「初めてのことですので」
「勝手に決められません。支部長に伺います」
レンツは頷いた。
断られる予感があった。だが、聞かなければ始まらない。
◇
答えは、三日後に来た。
預かる、というものだった。
理由は、レンツが期待したものとは違っていた。
「装備の出所が分かれば、盗品の判別に使えます」
受付の女は言った。
「盗まれた剣が、どの工房のものか分かれば、持ち主が分かります」
レンツは、それを板に書いた。
――目的が違っても、仕組みは同じように使える。
◇
印が決まると、レンツはもう一度、94本に向き合った。
来歴が分かるのは、そのうち25本だけだった。彼が四年間、装備管理係として測っていた剣だ。
それ以外の69本は、誰の何かも分からない。
レンツは、25本だけを別に並べた。
前衛の剣、9本。後衛の剣、6本。斥候、4本。予備で使われなかったもの、6本。
前衛の9本を、根元の数値で並べる。
二十二。二十九。三十四。三十八。四十一。四十七。五十三。六十一。六十八。
これも、広い。だが山になっていた。
「レンツさん」
イルゼが覗き込んだ。
「これ、鉤のときより幅がありますね」
「はい」
レンツは言った。
「二十二から六十八まで、幅は四十六です」
「鉤は」
「十六でした」
「三倍近いですね」
「はい」
彼は言った。
「剣は、使う人の力も、振る回数も、当たる相手も違います。鉤よりばらつく理由が多い」
◇
だが、9本の中でも、傾向があった。
マルティンの証言を思い出す。四層に潜った月、剣が一斉に傷んだという話だ。
レンツは、板を繰った。
9本のうち、4本が四層以降に潜った記録を持っていた。残り5本は、三層までしか潜っていない。
彼は、二つに分けて並べ直した。
三層までの5本。二十二、二十九、三十四、三十八、四十一。
四層以降の4本。四十七、五十三、六十一、六十八。
二つの山ができた。
あいだに、隙間があった。
「……分かれましたね」
イルゼが言った。
「はい」
レンツは言った。
「深さで、分かれます」
◇
彼は、板に書いた。
――三層までの剣。地のゆらぎの幅、およそ二十。
――四層以降の剣。地のゆらぎの幅、およそ二十一。ただし、始まりの位置が高い。
二つは、幅は同じくらいだった。だが、四層以降のものは、全体が右に寄っている。
同じ剣でも、深く潜れば、進み方の起点そのものが上がる。
これは、鉤にはなかった変数だった。
鉤は、いつも同じ場所に吊られている。剣は、行く場所が違う。
◇
その夜、レンツはイルゼに言った。
「一本、打ってみませんか」
「え」
「三層までしか使わない、という前提で」
レンツは板を見せた。
「二十二から四十一の幅に収まるように」
「それ、できるんですか」
「分かりません」
「分からないのに言うんですか」
「今までも、そうでした」
レンツは言った。
「地のゆらぎの幅は、俺たちには変えられません。ですが、その幅がどこにあるかは、変えられるかもしれません」
イルゼは、少し考えた。
「……幅の位置を、下げるってことですか」
「はい」
「どうやって」
「分かりません」
彼は正直に言った。
「ですが、鉤のときは水温でした。剣にも、何かあるはずです」
◇
イルゼは、炉の前に立った。
鉄塊を選び、火に入れる。
いつもと同じ手順だった。ただ、今回は一つだけ変えた。
焼き入れの前に、水の冷たさを測った。
五つ数えて、痛くなる水を選んだ。いつもより、少しだけ冷たい水だった。
「なぜ、これを」
レンツが聞いた。
「勘です」
イルゼは言った。
「鉤のときより、剣のほうが薄いので。冷やすなら、少し強めのほうがいいかなって」
「根拠は」
「ありません」
彼女は笑った。
「レンツさんの真似です。分からないなら、測って試す」
◇
打ち上がった剣を、レンツは視た。
視界の縁に、数が滲む。
根元。空、十四。
彼は、しばらくその数を見ていた。
9本の中で、一番低い数値だった。二十二より、さらに下だ。
「どうですか」
イルゼが聞いた。
「低いです」
「良いってことですか」
「まだ分かりません」
レンツは言った。
「一本では、何も言えません」
「じゃあ」
「もう一本、打ってください」
「同じように?」
「同じように」
彼は言った。
「そして、その次も」
◇
その夜、レンツは板に書いた。
――一本目、十四。
まだ、何も証明されていない。
だが、彼は覚えていた。
鉤のときも、そうだった。一本の成功は、偶然かもしれない。三本、五本と続いて、初めて意味を持つ。
彼は炭を置いて、窓の外を見た。
街の灯りが、川面に映っている。
この街のどこかで、今も剣が使われている。
どこかで、折れかけている剣がある。
その持ち主は、まだ知らない。
今回もお読みいただきありがとうございます✨️
刻印の仕組みが、街に広がりはじめました。
印が増えると、新しい問題が出ます。
二つの工房が、同じ印を選んだらどうなるか。
これは、レンツ一人では解決できない問題でした。
だから、ギルドに預けることになりました。
――個人の記録は、いずれ制度になります。
――制度は、個人には作れません。
そして今回、剣の地のゆらぎに、初めて輪郭が見えました。
三層までの剣と、四層以降の剣。
分けると、山が二つに分かれました。
同じ剣でも、行った深さで、傷み方の起点が変わります。
――場所が変われば、前提が変わります。
さて、最後にイルゼが一本、剣を打ちました。
三層までしか使わない、という前提で。
水を少し冷たくして。
結果は、九本の中で一番低い数値でした。
ただし、レンツは慎重です。
一本の成功は、まだ何も証明していません。
――一度の出来事は、まぐれかもしれません。
まぐれではないことを証明する必要があります。
あなたの職場でなにか行動に移すための基準に、
一回だけの結果を扱っているとしたら……
それはちょっと怖いことですね。
次回、イルゼはもう一本、同じように打ちます。
さて、どうなっていくのでしょうか。




