第17話 壊れたものは、知っている
十日で、八十七点集まった。
壊れた鉤。折れた鎌。裂けた留め具。頭の潰れた鏨。抜けた楔。
職人街を回って、捨て場に転がっているものを拾った。断ったのは一軒だけだった。ほとんどの工房は、なぜそんなものを、という顔をして、好きに持っていけと言った。
「よくもまあ、こんなに」
イルゼ・シュミットが、床に並んだ鉄屑を見て言った。
「壊れるものが多いんです」
「壊れるものしかないですよ、この街」
彼女は苦笑した。
◇
運び込む場所に困った。
シュミット工房の裏に、古い納屋がある。父の代に使っていたもので、今は空だった。そこを借りることになった。
レンツ・ノルムは、床に八十七点を並べた。
種類ごとではない。壊れ方ごとに分けた。
根元から千切れたもの。
途中で折れたもの。
割れが入って裂けたもの。
磨り減って形が変わったもの。
分け終えると、四つの山ができた。
レンツは、その光景を見ていた。
◇
――知っている。
彼は、この光景を知っていた。
白い光の下、長い机に並べられた壊れたもの。写真。紙の束。誰かが立ち上がって言う。
「で、原因は」
彼は、その部屋にいた。
三十代半ばで死んだ男の記憶を、生まれたときから持っている。忘れたことは一度もない。
あの世界には、言葉があった。
ばらつきを呼ぶ言葉。原因を分ける言葉。良し悪しの線を呼ぶ言葉。全部あった。決まっていた。世界のどこかにいた、頭の良い人たち。そんな人たちが知恵を結集させて作り上げた『世界の基準』。それを皆が学び、使っていた。
だが、ここにはない。
そして、あちらにはマナがなかった。
――同じ工程を踏めば、同じものができる。
あの世界では、それが前提だった。
ここでは、それが成り立つかどうかから確かめなければならなかった。
だから彼は、二十年測った。
知っていることを、この世界で証明するために。
◇
「レンツさん」
イルゼの声で、彼は顔を上げた。
「どうかしましたか」
「いえ」
「今、変な顔してました」
「そうですか」
レンツは、四つの山に目を戻した。
「分け方を、変えます」
「え、また?」
「壊れ方ではなく、壊れた場所で分けます」
彼は言った。
「同じ形のものが、同じ場所で壊れているなら、そこが弱いということです」
◇
鉤だけで、三十一点あった。
そのうち、二十四点が根元で切れていた。
残りの七点は、鉤の曲がりの内側。
レンツは、二十四点の根元を順に視た。
書くのはイルゼだ。
三十八。四十一。三十六。四十五。三十九。三十三。四十四。
彼は、途中で手を止めた。
似ている。
「イルゼさん」
「はい」
「読み上げてください」
「見せないんじゃなかったんですか」
「もう終わりました」
彼女は板を読んだ。
二十四点。一番小さいのが三十一。一番大きいのが四十七。
全部、三十を超えていた。
◇
レンツは、床に札を並べた。
三十一から四十七までのあいだに、二十四枚が積み上がる。
三十八のあたりが一番高い。
左右になだらかに減る。
山だった。
空白はない。
「これ」
イルゼが言った。
「地のゆらぎの形ですよね」
「はい」
「壊れたものにも、山ができるんですか」
「できました」
レンツは言った。
彼は、その形を見ていた。
――壊れるときにも、幅がある。
三十一で切れたものもあれば、四十七まで保ったものもある。
同じ鉤なのに。
◇
「三十一で切れたものがあります」
レンツは言った。
「そして、クヴァント工房で作られた鉤の中に、三十一のものがありました」
「え」
イルゼが顔を上げた。
「今、使われてるってことですか」
「東門の荷置き場です」
レンツは言った。
「あれは、いつ切れてもおかしくありません」
◇
その日のうちに、二人で東門へ行った。
荷置き場の親父は、面倒くさそうに聞いていた。
「またあんたか」
「この吊り具を、替えてください」
「なんでだ」
「同じくらい傷んだものが、切れています」
レンツは、袋から鉤を一つ出した。
根元から千切れた鉤だった。断面が黒く錆びている。
「これは、あなたのものと同じ数でした」
「同じって、何がだよ」
「中の傷み方です」
親父は、千切れた鉤を手に取った。
それから、自分の吊り具を見上げた。
「……こいつも、こうなるってことか」
「なります」
「いつだ」
「分かりません」
レンツは言った。
「ですが、これが切れたとき、下には人がいました」
親父の手が止まった。
「怪我人が出ています。エーベル工房の弟子です。足を潰しました」
その話は、街に流れていた。三月前のことだ。
「……あれ、これか」
「これです」
◇
親父は、その日のうちに吊り具を降ろした。
替えの鉤はなかったので、しばらく荷は人手で運ぶことになった。
「金がかかるな」
彼は言った。
「はい」
「だが、足を潰すよりましか」
彼は千切れた鉤を返してよこした。
それから、こう言った。
「あんた、それ持って歩いてんのか」
「はい」
「気味悪いな」
「はい」
親父は笑った。
「まあ、効くけどな」
◇
納屋に戻ると、日が落ちていた。
レンツは、板を並べ直した。
壊れた鉤、二十四点。三十一から四十七。
これが、壊れた側の数だ。
そして、クヴァント工房で測った六十点。九から十六と、離れが四つ。
これが、作られた側の数だ。
二つのあいだが、離れている。
十六から三十一まで、何もない。
「レンツさん」
イルゼが板を覗き込んだ。
「これ、また空いてますね」
「はい」
「これも、二種類あるってことですか」
「違います」
レンツは言った。
「同じものです。ただ、時間が経っています」
「時間」
「作られたときは、九から十六でした」
彼は言った。
「そこから、使われるうちに数が上がっていきます。三十一を超えたあたりから、切れはじめます」
イルゼが、二つの山を見比べた。
「……じゃあ、あいだの十六から三十一は」
「使われている最中のものです」
レンツは言った。
「今、この街のあちこちで吊られています」
◇
彼は、板に線を引いた。
左に、九から十六。作られたばかり。
右に、三十一から四十七。切れたもの。
そのあいだに、長い矢印を引いた。
――ここを、進んでいる。
この矢印の上に、街じゅうの吊り具が乗っている。
どこまで進んでいるかは、視ればわかる。
だが、どれくらいの速さで進んでいるかは、分からない。
レンツは、そこで手を止めた。
速さが分からなければ、いつ切れるかは出せない。
以前、彼はイルゼの工房の鉤について「あと十数回」と言った。あれは、勘だった。数の大きさから、そう遠くないと判断しただけだ。
当たった。
だが、根拠はなかった。
◇
「イルゼさん」
「はい」
「一つ、お願いがあります」
「なんですか」
「工房の道具を、毎月測らせてください」
彼女が顔を上げた。
「毎月?」
「はい。同じものを、月に一度」
「なんでですか」
「速さが分かります」
レンツは言った。
「今月十二だったものが、来月十三になっていれば、一月で一つ進むと分かります。三十一まで、あと十九月あると分かります」
「……十九月」
「概算です」
彼は言った。
「ですが、何も分からないよりましです」
イルゼは、しばらく考えていた。
「毎月って、いつまでですか」
「壊れるまでです」
「壊れるまで測るんですか」
「はい」
レンツは言った。
「壊れたときの数と、そこまでの進み方が分かれば、次からは予測できます」
彼女は、少しのあいだ黙った。
「……それ、何年かかるんですか」
「分かりません」
レンツは言った。
「十年かもしれません」
◇
その夜、彼は板を削っていた。
毎月測るための帳面を作る。
道具の名前。場所。取り付けた日。そして、月ごとの数。
一つの道具に、一枚。
四十一枚。
書き終わるころには、深夜になっていた。
イルゼが、階段の上から降りてきた。
「まだやってるんですか」
「もう終わります」
彼女は、板の束を見た。
「四十一枚ですか」
「はい」
「これ、毎月書くんですよね」
「はい」
「十年やったら」
イルゼが数えた。
「……四千九百二十枚ですか」
レンツは、手を止めた。
計算していなかった。
板が足りない。場所も足りない。書く手も足りない。
彼は、四十一枚の束を見た。
これを十年続けるには、彼一人では足りない。
――誰かに、渡さなければならない。
その考えは、初めてだった。
二十年、彼は一人で測ってきた。渡す相手がいなかったからだ。
今は、いる。
今回もお読みいただきありがとうございます✨️
レンツは、壊れたものを集めました。
作られたときの数。九から十六。
切れたときの数。三十一から四十七。
そのあいだを、街中の道具が進んでいます。
――壊れたものは、なぜ壊れたかを知っています。
壊れたものを捨ててしまうと、
どこまでなら安全かが、永遠に分かりません。
そしてもう一つ。
レンツには、進んでいる位置は視えます。
しかし、進む速さは視えません。
だから彼は、毎月測ることにしました。
同じものを、何年も。
――一度測っても、変化は分かりません。
――変化を知るには、繰り返すしかありません。
これは地味な作業です。
そして、たいてい途中でやめてしまう作業でもあります。
最後に、レンツは初めて「足りない」と気づきました。
四十一枚を、毎月。十年で四千九百二十枚。
彼一人では、書ききれません。
それを二十年、彼は一人でやってきました。
渡す相手が、いなかったから。




