第12話 揃えても、揃わない
翌朝、クヴァント工房の床には、まだ木札が並んでいた。
ベルント・クヴァントは、その前に座り込んでいた。職人が六人、その脇を避けて歩いている。
「一晩、見てたんですか」
イルゼ・シュミットが言った。
「見てても分からん」
クヴァントは立ち上がり、腰を叩いた。
「分からんが、気に食わん」
彼は山を指した。
「ここ、俺の仕事だと言ったな」
「はい」
レンツ・ノルムは答えた。
「九から十六まで。幅が七ある」
「はい」
「俺は三十年、同じに打ってるつもりだった」
クヴァントは、山の左端と右端を交互に指した。
「なんで七も開くんだ」
「分かりません」
「調べられるか」
レンツは、少し黙った。
「一つだけ、やり方があります」
「なんだ」
「同じ日に、同じ手順で、何本も打っていただきます」
◇
条件は、詰められるだけ詰めた。
鉄は、一つの塊を割って十本分。同じ荷、同じ場所から。
炉は一つ。火の番はイルゼがやる。炭を足す量と間隔を、あらかじめ決めておく。
水は朝のうちに汲み、桶を三つ用意した。一本打つごとに、桶を替える。足さない。
水の冷たさは、以前と同じやり方で測った。手を入れて、五つ数える。五で平気なら、その桶を使う。
打つのはクヴァント一人。
順番も決めた。一本目から十本目まで、間に休みを挟まない。
「昼はどうする」
「打ち終わるまで、やめてください」
「厳しいな」
クヴァントは笑った。
だが、断らなかった。
◇
打ちはじめたのは、朝のうちだった。
レンツは、記録係についた。一本ごとに、板に書く。
何本目か。炉に入れていた時間。桶の番号。水の冷たさ。打った回数。
打った回数は、イルゼが数えた。
「二十二」
「二十四」
「二十一」
「二十三」
クヴァントの槌は、ほとんど同じ数で止まった。三十年ぶんの手だった。
十本を打ち終えるのに、昼過ぎまでかかった。
クヴァントは水を飲み、床に座り込んだ。
「で、どうだ」
「これから視ます」
◇
レンツは、十本を順に視た。
朝ではないので、幅が広がっている。彼はそれを織り込んだ。同じ本を三度ずつ視て、真ん中の数を取ることにした。
書くのはイルゼだ。彼女は数を反復しなかった。レンツが前の数に引きずられないためだ。
十本分、書き終わった。
彼女が板を裏返して、置いた。
レンツは、それを読んだ。
十。十二。九。十三。十一。十。十四。十一。十二。十。
しばらく、動かなかった。
「……どうなんだ」
クヴァントが言った。
「九から十四です」
「幅は」
「五です」
「減ったのか」
「七が五になりました」
レンツは板を置いた。
「ですが、消えていません」
◇
工房が静かになった。
「なんでだ」
クヴァントが言った。声が低かった。
「鉄は同じだ。炉も同じだ。水も測った。俺が全部打った。休んでもいない」
「はい」
「揃えたじゃねえか」
「揃えました」
「じゃあ、なんで揃わねえ」
レンツは、答えを持っていなかった。
彼は板を見ていた。
十。十二。九。十三。十一。
この五という幅の中に、何が入っているのか。
条件を全部揃えても、残るもの。
「もう一度、やらせてください」
彼は言った。
「今度は、何を変える」
「何も変えません」
レンツは言った。
「同じことを、もう一度やります」
◇
二度目は、三日後だった。
同じ条件で、また十本打った。
結果は、こうだった。
十一。九。十二。十。十三。十。十二。十一。九。十二。
九から十三。幅は四。
一度目とほとんど同じだった。
レンツは、二十本分の札を床に並べた。
九から十四のあいだに、山ができる。真ん中の十一から十二が一番高い。左右に、なだらかに減っていく。
空白は、なかった。
どこにも途切れがない。
彼は、その形をしばらく見ていた。
――昨日の床には、空白があった。
今日の床には、ない。
間違いなく差がある。
同じ職人が、同じ設備で、同じ方法で、同じ材料を使って打った鉄なのに。
◇
「クヴァントさん」
レンツは言った。
「三十年打っていて、揃わない日はありますか」
「そりゃあるさ」
「どういう日ですか」
「そういう日だ」
クヴァントは言った。
「朝から調子が出ねえ日ってのがある。何やっても嚙み合わねえ。そういう日は、無理に打たねえ」
「その日は、何が違うんですか」
「分からん」
彼は首を振った。
「分からんから、休むんだ」
レンツは、書き留めた。
――分からないから、休む。
これは、対処だ。
原因は分からない。だが、分からないなりに、この人は三十年やってきた。
「では、揃わない日と、揃う日の違いは」
「だから分からんと言ってる」
クヴァントが苛立った。
「あんた、俺に何を言わせたいんだ」
「揃わない理由です」
「そんなもんがあるなら、三十年前に知ってる」
彼は板を指した。
「あんたの言う幅ってやつが五だか七だか知らんが、そんなもんは昔からある。ゆらぎだ」
クヴァントは言った。
「鉄は生きてる。同じに作っても、同じにはならん。そういうものなんだ」
◇
その言葉を、レンツは板に書いた。
――同じに作っても、同じにはならない。
書いてから、しばらく見ていた。
彼は、この言葉を信じていなかった。
二十年、信じていなかった。
同じに作れば同じになる。ならないのは、どこかが同じでないからだ。そう思って測ってきた。
実際、そうだった。水が違った。鉤の中が違った。井戸が変わっていた。
全部、探せば見つかった。
だが、今日は見つからない。
鉄も炉も水も人も揃えて、幅が五も残った。
これを消すには、何を揃えればいいのか。
レンツには、次に何を疑えばいいのか分からなかった。
◇
「レンツさん」
夜、工房でイルゼが言った。
「私、思ったんですけど」
「はい」
「幅が七から五になったんですよね」
「はい」
「それって、二つ減ったってことじゃないですか」
レンツは顔を上げた。
「揃えたら、二つ分減ったんです」
イルゼは板を指した。
「じゃあ、その二つは、揃えられるものだったってことですよね」
レンツは、板を見た。
七。五。
差は、二。
「そして残った五は」
イルゼが言った。
「揃えても消えなかった」
◇
レンツは、炭を取った。
板に、二つの数を書いた。
七。
五。
そのあいだに、線を引いた。
――揃えれば消えるぶん。
――揃えても消えないぶん。
二つは、別のものだ。
同じ「ばらつき」という言葉で呼んでいたが、性質が違う。
片方は、条件を揃えれば減る。井戸を戻せば減る。水を測れば減る。手順を決めれば減る。
もう片方は、何をやっても減らない。
彼は、しばらくその二行を見ていた。
これを分けないまま、二十年やってきた。
だから、混ざっていた。
消せるものと、消せないものが、一つの言葉の中に。
◇
翌朝、クヴァント工房から使いが来た。
三十九の鉤について、思い出したことがあるという。
レンツが行くと、クヴァントは炉の前にいた。
「あの日な」
彼は言った。
「六本打った日だ」
「はい」
「思い出した。あの日、俺は途中で外に出た」
「外に」
「鉱山の使いが来てな。急ぎの話だってんで、四半時ばかり抜けた」
クヴァントは炉を指した。
「そのあいだ、鉄を炉に入れっぱなしにした」
レンツは、板を出した。
「何本目でしたか」
「四本目だ」
「炉に入れていた時間は」
「普段の三倍は入ってたろうな」
クヴァントは頭を掻いた。
「戻ってきて、しまったと思ったが、まあいいかと思って打った」
彼は言った。
「あれが、三十九か」
◇
レンツは、床に並べた札を思い出していた。
山と、四つの離れ。
そのあいだの、空白。
三十九は、山から外れていた。
そして今、その理由が出てきた。
炉に、三倍入れっぱなしにした。
これは、揃えれば消えるものだ。
揃えなかったから、出た。
――離れたものには、理由がある。
レンツは板に書いた。
それから、山を見た。
二十本分の札。九から十四。
こちらには、理由が見つからない。
「クヴァントさん」
「なんだ」
「あの日、他に外に出ましたか」
「出てねえ」
「では、残りの三本は」
クヴァントが顔を上げた。
「……残り?」
「二十九と、三十一と、四十四です」
レンツは言った。
「あと三本、離れています」
今回もお読みいただきありがとうございます。
今回、レンツは実験をしました。
鉄も炉も水も職人も、すべて揃える。
いわゆる4M管理を徹底したわけです。
そこまでやって、幅は七から五に減りました。
しかし、ゼロにはできませんでした。
そしてイルゼが、大事なことを言います。
「揃えたら、二つ分減った。
じゃあその二つは、揃えられるものだった」
減った分と、減らなかった分。
同じ「ばらつき」でも、性質が違います。
――片方は、努力で消えます。
――もう片方は、消えません。
この二つを混ぜて扱っている限り、
現場は永遠に迷い続けます。
なぜなら、消せないものを消そうとして、
消せるものを見逃すからです。
さて、三十九の鉤には理由がありました。
炉に入れっぱなしにした四半時です。
では、残る三本は。
二十九、三十一、四十四。
それぞれに、まだ見つかっていない理由があるのでしょうか。
あなたなら、次に何を調べますか。




