希う
仕事をして、家に帰り、眠って、また仕事をする。
変わりない日の終わりは、唐突だった。
「ハーティア!」
開店直後の娼館の前に、突然お貴族様の馬車が乗りつけたかと思ったら、本名を呼ばれてハティは飛び上がった。
慌てて見れば、綺麗なドレス姿の美女が駆け寄ってくる。
「姉様……」
「ああ、なんてこと! こんな姿で、こんなところで……!」
「待って、姉様。場所を……」
「誰に命じられたの、誰にこんな姿にされたの! わたくしの妹になんてことをするのよ!」
興奮状態の姉は、ハティの髪の短さや男装姿を大いに嘆き、はらはらと涙を流す。
ふと気づけば、店主と手隙の兄さん方によって客は案内済みで、周りには娼館の関係者しかいない。助かった。
「姉様、落ち着いて」
「落ち着けるものですか! あなたが修道院にいないから、何年も探したのよ! なぜこんなところにいるの! わたくしと一緒に行きましょう!」
「〝こんなところ〟って、言わないで」
思いがけず、強い声が出た。はっと姉が口を噤む。
「わたしの大切な居場所なの。取り消して」
「……ごめんなさい、取り消すわ。でも、一緒に行きましょう。若い令嬢がいるべき場所じゃないわ」
「姉様」
両手を強く握りしめる姉の手を、ハティは一度ぎゅっと握り返してから、放した。
「わたしはもう、令嬢ではないわ」
「わ、わたくしの、伯爵家の嫁の、妹よ……」
「ありがとう、姉様。でも、共には行かないわ」
なぜ、と姉の血色のいい唇が震える。
髪も肌も爪も丁寧に磨かれて、綺麗なドレスを着て、高価なアクセサリーを付ける姉は、とても素敵だ。
だけど。
「ごめんね」
後継でもない伯爵令息夫人の姉を持っているからといって、その妹が貴族になれるわけではない。
何せ、犯罪により没落した家門の血縁者だ。
姉が伯爵家に入れたのは、奇跡のようなこと。奇跡は、二度は起きない。
「姉様の婚家にとって有益な縁談を結ぶとか、わたしが役に立つことがあるなら別だけれど、そうではないのでしょう」
「そんな、政略結婚させるために探してたわけじゃないわ!」
「知ってる。だから、一緒には行けない」
ああ。そうだった。言い忘れていたことがあったんだ。
必死に守り続けてくれた姉を、ハティから解放してあげなければならない。
「姉様。独り立ちを、祝ってほしい」
ハティは、ただただずっと。
ずうっと慕うこの人に、どうしても伝えたいことがあった。
「幸せになって、姉様。幸せでいて」
わたしの隣ではない場所で、わたしじゃない人と一緒に。
姉様とわたしの道は、もう、分かたれてしまったけれど。生涯、そう願っている。
「姉様、大好きよ」
自分を犠牲にしながら、ハティを育ててくれた人。
たくさんの苦労と嘲りを一身に受け、幼いハティの盾になってくれた人。
姉が報われない人生など、何の価値もない。
ハティはひたすら、姉の枷にだけはなりたくないのだ。
「愛してる、姉様。さようなら」
はら、はら。繊細な雫を美しく零す姉の頬に、別れのキスをした。
姉を見送ったハティに、差し出される手がある。
「いらっしゃいよ、ハティ」




