懐妊
青いりんごがワスト領から届いて数日後ーー
ユウは少しずつ元気を取り戻し、体を起こしている時間が増えた。
内診を終えた医師はユウの顔色を見つめ、静かに手首へ指を添えた。
しばらく脈を診た後、ヨシノへ視線を向ける。
「吐き気は、いつ頃からですか」
「十日ほど前からでございます」
「月のものは」
「二月ほどございません」
ヨシノが静かに頷いた。
医師はもう一度ユウの様子を見つめ、深く頷く。
「間違いございません。ユウ様は、ご懐妊しております」
ユウは目を見開いた。
「……私が?」
妊娠したかもしれない。
そんな予感もあった。
けれど、体調不良が続き、違うのではないか、と疑問も抱いていた。
震える指先が、おそるおそる下腹へ触れる。
そこにはまだ何の変化もない。
それでも、その小さな命が宿っているのだと思うと、胸が熱くなった。
「本当に……?」
「はい」
医師は穏やかに頷いた。
ユウの瞳から、涙が一筋こぼれ落ちる。
「嬉しいわ……」
小さく呟き、愛おしむように腹を撫でた。
その様子を見つめるヨシノは、静かに口元を押さえた。
涙が込み上げる。
ーーこの命は、自分の息子の子。
待ち望んだ孫だった。
けれど同時に、この子は国王の子として生きていかなければならない。
その真実を知る者は、ほんのわずかしかいない。
「……よろしゅうございました」
ヨシノは深く頭を下げる。
その声は震えていた。
喜びなのか、罪悪感なのか、自分でも分からなかった。
医師が寝室の扉を開ける。
「これから、キヨ様に報告に参ります」
「私も、ご一緒します」
ヨシノは、エプロンを外した。
2人が部屋から出ると、シュリはそっと寝室に忍び込む。
寝台に座っていたユウは、シュリの姿を見て、
顔一杯に嬉しさを現わしていた。
「授かったわ」
ユウの瞳は、星のように輝いていた。
シュリは返事ができなかった。
何度も口を開こうとする。
それでも声にならない。
ただ瞳だけが潤んでいく。
ユウは寝間着の上から、平らな腹を撫でた。
「……嬉しい」
しばらくして、ユウは顔を上げた。
シュリは一言も発さない。
ーーもっと、喜んでくれると思っていたのに。
「シュリ?」
ユウは顔を上げる。
「オレは……」
シュリの声は震えていた。
声だけではない、唇も震えていた。
「ずっと不安だった。ユウが寝込んだ日から……ずっと。
オレとの子を宿したことで、こんなに苦しむなんて……
何もできない自分が悔しくて……」
そう言って、シュリは目を伏せた。
「私の体のことで、心配をかけたわ」
わずかに開いた胸元からは、まっすぐな鎖骨がのぞいていた。
胸は薄く、袖は前よりブカブカだった。
「ユウがこのまま死んでしまうかと思った。
そうだとしたら……オレは……妊娠などしなくてもいい。
ユウさえ、元気でいれば……何もいらない、と」
視界がだんだん滲んでくる。
ーー妊娠をしたのに、こんなことを言うなんて。
本来であれば、一緒に喜び、涙を流して喜ぶべきなのに。
そうは思っていても、シュリは涙が止まらなかった。
ユウは、俯くシュリの頰に触れた。
彼女の細い指があまりにも優しく、シュリは顔を上げた。
「シュリとの子供だから、産みたいと思ったの。
どんなに、苦しくても。
どんなに、辛くても、シュリの子なら産みたいの」
「ユウ……」
シュリは思わずユウを抱き寄せた。
前よりも肩は細くなり、抱き締める腕の中で痛々しいほど華奢だった。
それでも、暖かい。
「不思議ね。シュリの香りは……心地いいわ」
ユウは、シュリの胸に頰を預ける。
「ユウ!」
シュリは優しく抱きしめた。
ーー彼女の体に宿った命は、不義の子でもある。
決して、許されない行為だ。
けれど、けれどーー
「ユウ」
それ以上の言葉は見つからない。
シュリは、ただ静かに抱きしめ続けた。
◇ 本館 執務室
「キヨ、どうして私はここにいるの?」
ミミが不思議そうに首を傾げる。
「重大な話があるかもしれん」
キヨは落ち着かない様子で、部屋の中を右往左往している。
香油をつけてない薄い髪は、やや乱れていた。
「また、戦が始まるのですか?」
ミミの声が緊張を帯びる。
「いや……そうではない」
キヨは、心、ここにあらずといった表情だ。
ミミは居並ぶ重臣たちの顔を見渡した。
弟のエルは、居心地悪そうに座り、
イーライは、必要以上にペンの位置を確認していた。
サムやノアをはじめ、他の重臣たちも、どことなくそわそわしている。
ーー何かしら。
ミミは眉を寄せた時に、ドアを叩く音が聞こえた。
「来たぞ!」
キヨは声を上擦らせ、誰よりも早く執務室の扉を開けた。
医師とヨシノは、扉を開けたのは国王だと知り、
唖然とした顔をしていた。
「どうだった? ユウの体は?」
キヨは、飛び付かんばかりに質問をした。
「どうぞ、中へお入りください」
イーライが、医師に入室を促した後、キヨを見て頷く。
キヨは落ち着かない様子で椅子に座る。
隣には怪訝な表情をしたミミ。
「それで! それで、どうなのじゃ!」
キヨは身を乗り出す。
「おめでとうございます。
セン家の姫様は妊娠しております」
医師の言葉に、ミミは言葉を失った。
キヨは両手で顔を覆った。
肩が震え、声にならない。
二十年以上願い続けたものが、ようやく手に入った。
喜びと安堵が胸に込み上げ、言葉にならない。
「ようやく……ようやく神がわしを見捨てなかった!」
そう呟き、涙を流した。
こういう場合、イーライが場を取り仕切るのに、そのイーライは、銅像のように固まっていた。
見かねたエルが口を開く。
「いつ頃、産まれる?」
「おそらく……5月くらいか、と」
医師が質問に答える。
「ユウ様の体調は、どうなのか」
「りんごしか召し上がりませんが、寝込むことは減りました。
もうすぐ、床から離れるかと思います」
ヨシノが頭を下げた。
「寝込む……?
ユウ様は、あれからずっと体調が優れなかったのですか」
ようやく、ミミが掠れた声を出した。
この数日、ミミ自身も体調を崩していた。
自分と同じように、夏負けをしている、と思っていた。
「あぁ、そうじゃ。
何も食べれん日が続いてな」
キヨは顔を上げた。
その茶色の瞳は、喜びの涙に濡れていた。
呆然とするミミを、キヨは人目を憚らず抱き寄せた。
「ミミ、ユウはわしの子を宿したゆえに寝込んでおったのじゃ」
「……知りませんでした」
キヨに抱きしめられたまま、ミミはつぶやく。
キヨは、ミミの顔を見つめた。
「あぁ、ミミに余計な心配をさせとうなかったんじゃ。
ミミ、やはりユウは特別な女子じゃ。
あの方なら……あの方なら、必ずわしの子を産むと思うておった」
屈託のない表情で、キヨは微笑む。
「……そうですね。ユウ様は……」
そこまで話して、ミミは言葉が途切れた。
近くにいたエルは、気遣わしそうな眼差しで、兄夫婦を見つめていた。
キヨは勢いよく立ち上がった。
「これからは忙しいぞ!
国中の皆に、ユウの懐妊を広めるのじゃ!」
「キヨ様、まだ安定するまでは……」
ヨシノが戸惑うように進言し、隣にいた医師も頷いた。
「……大丈夫じゃ。ユウは必ず産む。安心しろ」
キヨの浮かれぶりは止まらない。
「はっ」
重臣たちは、一斉に頭を下げる。
「ユウのための産所を作らねば、な」
キヨは浮かれたように、宙を見つめる。
皆の視線がイーライに集まる。
キヨが話したことを形にするのが、イーライの仕事でもあった。
しかし、イーライは無表情のまま前を見つめていた。
見かねたエルが口を開く。
「産所を建てるのか。子を産むために?」
「そうじゃ。ユウが産む子はこの国を治める王になる。
西棟では産めぬ」
キヨの言葉を、ヨシノは表情を固くして聞いていた。
そのヨシノを、サムはじっと見つめている。
「わしは、これからユウの元に行く!」
そう言い、キヨは嬉々として扉に向かった。
「イーライ」
サムがそっと袖を引っ張る。
夢から覚めたように、イーライは目を瞬かせた。
「キヨ様が、西棟に行くぞ。お前も……」
「……承知しました」
イーライは、慌てて立ち上がる。
椅子が大きな音を立てた。
キヨの後に、ヨシノ、そして遅れてイーライが跡を追う。
ヨシノの表情はこわばっていた。
国王の歓喜が大きくなるほど、自分が抱える秘密の重さも増していく気がした。
イーライは硬い表情のまま歩き続ける。
ーーあの方が、ご懐妊。
喜ぶべきことだ。
そう分かっている。
あの方が望み続けた命なのだから。
それでも胸の痛みだけは消えなかった。
部屋に残されたミミは、閉ざされた扉を見つめていた。
ーー夫は喜びに満ちている。
自分も喜ぶべきなのだ。
それなのに、胸の奥には言葉にならない寂しさだけが残っていた。
次回ーー明日の20時20分
城中を駆け巡る、ユウ懐妊の吉報。
けれど歓喜の陰で、一つの疑問もまた静かに広がり始めていた。
――その子は、本当に国王の子なのか。




