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伝えないと、一生後悔する


◇ 翌日 本館の中庭


山小屋から戻った翌日。


城内はいつもの静けさを取り戻していた。


ユウはキヨに呼ばれ、シュリは遠征の後始末に追われている。


その頃、レイは中庭でリチャードと向き合っていた。


「それで……姫様とシュリの作戦はどうなった?」

リチャードが真剣な眼差しで、レイを見つめる。


レイは、首を傾げながら話す。


「上手くいったと思う」


「思うってなんだ?」

リチャードが怪訝な表情で話す。


ニ人が座るベンチの裏には、

白百合が咲き乱れ、甘い香りが風に乗って漂っていた。


「それが……シュリが言うには、姉上は、計画性がなくて、

成り行きで上手くいったと話していたわ」


レイは、事の顛末をリチャードに話すと、

彼は目を細め、喉の奥で「クッ」と笑った。


「なるほど。作戦を成功させたんじゃない。

成功したあとで、それを作戦だったことにしたわけか」


目尻に皺を寄せて笑うリチャードを、レイはじっと見つめた。


楽しそうに笑う大人の男を、こんなに近くで見るのは初めてだった。


その時、ふいにイーライが現れた。


噂をしていた張本人が、目の前に現れたので、

レイは思わず息を呑んだ。


「レイ様、このような場所で……」


イーライも意外そうに目を見開き、レイとリチャードを見たあと、奥に控えるサキへ静かに視線を向けた。


——まずい。


レイは思わずドレスを握りしめる。


これでは、逢引きと誤解されてしまう。


「イーライは、何でここに?」

レイが無邪気を装って尋ねると、イーライは庭の一角へ視線を移した。


「白百合を摘みに参りました」

そう答えながらも、その視線は2人の間を彷徨う。


イーライは白百合の咲く花壇へ歩み寄ると、花弁に傷一つない花だけを数本摘み取った。


白百合の甘い香りが夏風に乗って漂う。


大事そうに白百合を抱えたイーライは、二人をじっと見つめた。


「失礼を承知でお尋ねいたします。

お二人は、どのようなご関係でいらっしゃいますか」


その質問に、レイは固まった。


ーー誤解されている。


いや、誤解されても仕方がない状況だ。


なんとか誤魔化さねば。


けれど、気の利いた言葉が何も浮かばない。


「見ればわかるだろう。俺がレイ様を口説いている」

リチャードがそう言って、ごく自然な仕草でレイの肩を引き寄せる。


突然引き寄せられた拍子に、爽やかなベルガモットと、陽だまりの木を思わせる穏やかな香りがふわりと漂う。


男性から漂う香りに、レイの鼓動は速くなった。


「けれど、釣れないんだ。レイ様は頑なだ」

リチャードは、困ったような顔をしてイーライを見つめた。


「私は、そのようなつもりでは……!」

レイは、真っ赤な顔をして、リチャードの腕の中でもがく。


イーライは、それ以上追及することなく、小さく頭を下げた。


「承知いたしました」


リチャードは、人質とはいえ大事な客人。


重臣とはいえ、それを注意する立場ではなかった。


その代わり、イーライは奥に控えるサキへ静かに視線を向けた。


その眼差しは、姫から目を離すなと告げているようだった。


イーライが立ち去った後に、レイは息を吐く。


「癪だけど、助かったわ」


「それにしても、イーライがなんであんな所に?」

リチャードは、まだレイの肩を抱き寄せている。


「姉上の好きな花が白百合なのよ」

レイはポツリと話す。


「そうなのか?」


「ええ。私も姉上のために摘もうかと思っていたけれど、

イーライに先を越されたわ」


「なるほど」


「イーライも雰囲気が変わったわ」


「あぁ、姫様が変えたんだろうな」


レイは顔を上げた。


「そろそろ、離してくれない?」


いつまでも、肩を抱き寄せるリチャードに、レイは淡々と伝える。


「久しぶりだな。こういう女性は」


「どういう意味?」


「いつも相手は商売女だ」

爽やかな笑みとは裏腹な言葉に、レイは絶句した。


ーー商売女?


色を売る女性のこと?


「本当に、ウブで頑ななお姫様だ」


にっこりと笑うリチャードに、レイは開いた口が塞がらなかった。


その時ーー


「何をしている」

怒りが含んだ声が頭上から落ちてきた。


ーーこの声は。


ゆっくりと振り返ると、ヘンリーが立っていた。


最悪なタイミングに、レイは顔が引き攣る。


ヘンリーの表情は、凍りついたように冷たかった。


けれど、その瞳の奥だけは、抑えきれない怒りで燃えていた。


ヘンリーの視線は、レイではなく、彼女の肩を抱くリチャードの腕に突き刺さっていた。


「あぁ、これは、これはヘンリー様」

リチャードは、いつものように飄々とした声で話す。


「今すぐ、離れろ」

ヘンリーの声は硬い。


「少し、レイ様と秘密の話をしていた」

リチャードは、レイをもう一度抱き寄せた。



次の瞬間、ヘンリーはレイの腕を掴み、強引に引き寄せた。


「きゃっ……」


リチャードは抵抗することなく、その手を離す。


「では、ごゆっくり」

飄々とした笑みだけを残し、リチャードはベンチに座ったままだ。


ヘンリーは何も答えない。


レイの腕を掴んだまま、足早に庭の南奥へと歩き出す。


「ヘ、ヘンリー! 待って!」


呼びかけても、その足が止まることはなかった。


後ろから、サキが慌てて後を追いかけるのを目の端で捉えた。


レイが腕を引こうとした、その時だった。


有無を言わせぬ力で抱き寄せられ、レイは思わず小さく声を漏らす。


「あいつは、女たらしだ。近寄るな!」

ヘンリーは、レイに詰め寄る。


「知っているわよ」

レイは、ヘンリーの強い視線を避けるように、目を逸らす。


「……知っているのか」

ヘンリーの声がこわばる。


「彼は私のことを好いてないわ。他に想う人がいるのよ」

レイは淡々と答える。


「なぜ……そう思う?」


「時々、悲しそうな目をしているから。

それを誤魔化すために、あんな振る舞いをしているのよ」


「……それなら、相手はユウ様か」


その問いに、レイは少し首を傾げた。


ーーそんなこと、考えもしなかった。


レイは、リチャードが話す表情を思い出す。


姉上の話をしている時の彼の表情は……


「違うわ。誰かは私も知らない」


そう答えるレイの顔を、ヘンリーはじっと見る。


ーー近い。


レイは思わず、ヘンリーから目を逸らした。


「レイは、随分、人の気持ちがわかるんだな」


「……昔から、私の立ち位置はそうなのよ」

レイは、わずかに肩をすくめた。


幼い頃から、人の表情ばかり見て育った。


ユウは、乳母子のシュリを想い、

ウイは、姉に恋するリオウを密かに好いていた。


母は亡き父を、生涯忘れることはなかった。


誰も口にはしない想いを見つめ続けているうちに、人の心の揺れだけは自然とわかるようになっていた。


「それは、俺も同じだ」

ヘンリーは頷く。


「あなたも、そうよね」

レイは顔を上げる。


「それなら、聞く。俺の気持ちは知っているか?

俺が、誰が好きなのか、わかっているか」

真摯な茶色の瞳が、レイを射抜くように見つめる。


次の瞬間、レイの頬がみるみる赤く染まっていく。


やがて耳まで真っ赤になり、泣き出しそうに唇を震わせた。


「……知らない」

そう言って、唇をキュッと閉ざす。


「それなら、教える」


「知りたくないわ」

レイは、慌ててヘンリーが掴んだ手を離そうとした。


ヘンリーは、逃げようとするレイを後ろから抱き寄せた。


「俺は、レイが好きだ」


抱きしめられた拍子に、草木を濡らした朝露のような香りがした。


さっきまで感じていたリチャードの大人びた香りとはまるで違う。


何も答えないレイを、さらに強く抱き寄せる。


レイの首筋はほんのりと桜色に染まり、その赤みは頬を越え、耳の先まで広がっていた。


恥ずかしさを隠そうと俯くほど、その赤みは隠しようもなく目立ってしまう。


控えていたサキは、その姿を見て呆然と立ち尽くしていた。


誰も何も言わない。


真夏の風が、レイの黒い髪を靡かせる。


「レイの気持ちを教えてくれ」

ヘンリーは、前に回り込んでレイの顔を見つめる。


赤面したレイの顔に、潤んだ瞳を見ると、

もう一度、口づけをしたくなる。


ーー衝動だった。


だが、レイが自分を見つめるたび頬を染める姿を見て、心のどこかで期待していたのも事実だった。


レイは暫く黙った後に、口を開いた。


「わからないの」

レイの声は小さかった。


「わからない?」

ヘンリーは思わずおうむ返しに返事をした。


「あなたに対する気持ちが、自分でもわからないのよ」

レイは、困ったように眉を寄せた。


ヘンリーの茶色の瞳に、疑う余地のないある表情を浮かべて見られると、とにかく決まりが悪い。


彼に見つめられると、自分が真っ赤になって、もじもじしてしまう。


まるでーーまるでーーとにかく居心地が悪いのだ。


「他人の機微はわかるのに?」

ヘンリーは目を丸くする。


「自分でもわからないから、考えないふりをするの」

レイは、少しだけ顎を上げた。


ヘンリーは言葉を失った。


好きか、嫌いか。


そんなものは、自分の心に問いかければ答えが出るものだと思っていた。


だが、レイは違う。


わからないからこそ、答えを出さないようにしている。


その不器用さに、戸惑いと同時に、どうしようもなく彼女らしさを感じた。


ヘンリーは驚いた顔をした後、賢明にもそれ以上を追求しなかった。


「あぁ。わかったら教えてくれ。俺の気持ちは伝えた」

甘やかすように、頭を撫でる。


「あなたも、私も……。

どうせ、戦略のために、知らない人と結婚するのよ。

結べれるはずもないのに、気持ちを伝えて、何になるの?」

恥ずかしさを打ち消すように、レイは少し早口で話した。


「だからだ。だからこそ、伝えないと、一生後悔する羽目になる」

ヘンリーは、微笑んで頭を撫でた。


「……」

レイは何も言わなかった。


ヘンリーの手の温もりも、朝露を思わせる澄んだ香りも、不思議と嫌ではなかった。


レイは何も答えられないまま、静かに目を伏せた。

次回ーー明日の20時20分

その小さな変化は、まだ誰も知らなかった。

夏の終わり、ユウの体に訪れた異変。

新たな命の兆しは、静かに運命を動かし始める。

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