宣戦布告
「私の命にかけても、ユウ様をお守りします」
イーライの真摯な声が、夜の草原に静かに響いた。
大木の陰で、その誓いを聞いていたシュリは、言葉を失っていた。
――こんな形で、話がまとまるとは。
予想もしていなかった。
確かに、ユウ様は嘘をついていない。
自分の本当の想いを、ありのままイーライへ伝えた。
その結果、イーライは忠誠を誓った。
シュリは胸の奥が複雑に疼くのを感じた。
あのイーライが。
キヨ様の重臣であるあの男が、ユウ様へ忠誠を誓った。
真摯で、それでいて熱を秘めた眼差しは、遠目にもはっきりとわかった。
主の妾となった今もなお、イーライはユウ様を深く想っている。
――それは、自分も同じだった。
夜露を含んだ風が山から吹き下ろし、草を揺らす。
ユウが小さく肩をすくめた。
それを見たシュリは、気づかれぬよう静かに踵を返し、一足先に山小屋へ戻った。
小屋に戻ったシュリは、暖炉に薪を追加した。
炎は思ったより、小さくなってない。
奥ではサムが背をむけて、寝ているように見えた。
足音が聞こえ、シュリは慌てて、元にいた場所、
扉のそばに座り、膝を抱えて寝たふりをした。
ギィと扉が開く音が聞こえ、月の光が室内を斜めに差し込む。
「夏の盛りなのに、夜は冷えるのね」
ユウは、イーライの上着を羽織っていた。
「暖炉のそばでお休みください」
イーライの声が、いつもより優しくて甘い。
ユウは床の上に敷いてある布の上に横たわった。
チロチロと動く暖炉の火を見つめながら、
不意に視線を上に向ける。
イーライは、暖炉のそばの壁にもたれ座っていた。
「イーライは横にならないの?」
眠くなったのだろう。
ユウの声は、いつもより少し間延びをしている。
「後で、休みます」
イーライは、炎に息を吹きかけ、火を調整していた。
「……そうなの。休んだ方がいいわーー」
最後の言葉を口にしないまま、ユウはうとうとし始めた。
金色の髪が、周囲を散らしている。
その一本、一本が生きているかのように艶やかだった。
しばらくして、小さな吐息が聞こえてきた。
夢見るような表情で眠るユウを、イーライはじっと見つめていた。
ユウが寝返りを打ち、長い金色の髪が床へさらりと広がる。
イーライは、そっとその髪を指先ですくい上げた。
暖炉の火を浴びた金糸のような髪は、息を呑むほど美しい。
その髪へ、ほんの一瞬だけ唇が触れる。
それは口づけというより、触れたか触れないかもわからないほど儚いものだった。
イーライはすぐに顔を離し、静かに瞳を閉じる。
「……申し訳ありません」
誰にも聞こえないほど小さな声が、暖炉の火に溶けていった
ーーやめろ!
シュリは、そう叫びたくなった。
だが、ここで叫んだら、寝たふりをしていることに気づかれてしまう。
その夜、イーライもシュリも眠りは訪れなかった。
◇
翌朝ーー眩い太陽の光でユウは瞼を開いた。
目の前の暖炉には、イーライがしゃがみ込んで朝食の支度を行なっている。
「ユウ様、おはようございます」
シュリが微笑み、サムが頷く。
「良い天気です。朝食を終えたら城に戻りましょう」
「帰りたくないわ」
ユウは、唇を少し尖らした。
「早く帰らないと、ヨシノが心配で倒れる」
サムが微笑むと、ユウは肩をすくめた。
シュリは、櫛を手に持ち、ユウの髪を梳かし始めた。
イーライが口づけをした髪のあたりは、
その痕跡を無くすかのように特に念入りに行なった。
「髪を結わないと邪魔ね」
ユウがつぶやいた。
「やってみます」
シュリは紐を受け取った。
後ろで髪を束ねてみた。
だが、さらさらとした髪が指の間を滑り落ちる。
「あ……」
もう一度まとめる。
今度は紐が緩み、束が崩れてしまった。
ーー母さんがするときは上手なのに。
「難しいわね」
ユウが苦笑する。
「申し訳ありません」
「失礼いたします」
イーライが静かに前へ出た。
長い髪を指先で整える。
まるで絹糸を扱うような繊細な手つきだった。
束ね、紐を一度回し、もう一度くぐらせ、
無駄のない動きで結び終える。
「これでよろしいかと」
ユウは後ろ髪に触れた。
「ありがとう。きれい」
イーライは軽く一礼しただけだった。
シュリは黙ってその様子を見つめていた。
ーー器用だ。
「……慣れているのですか」
思わず尋ねる。
「いえ、初めてです」
イーライはそれだけ答えた。
自慢する様子は微塵もない。
できて当然、という口ぶりだった。
シュリは思わず口を閉じる。
ーー負けた。
そんな一言が胸に浮かび、苦笑するしかなかった。
朝食は簡素だったが、イーライが淹れた紅茶は抜群に美味しかった。
「今日は特に旨い」
サムが素朴なマグカップを持ち上げ、唸った。
「ありがとうございます」
イーライは、ふっと微笑んだ。
ーー昨夜まで胸を締めつけていた痛みが、少しだけ軽くなっている。
想いは何一つ変わっていない。
ただ、それを罪として否定し続けなくてもいい。
忘れないまま、生きていけばいい。
「朝から、イーライが淹れた紅茶を飲むなんて、贅沢ね」
ユウが飲みながら、うっとりするように目を瞑った。
イーライは、シュリを見やりながら答えた。
「ええ。心を込めましたので」
シュリは思わず苦笑した。
――宣戦布告、ということか。
ユウが着替えている間、サムとシュリ、イーライは小屋から出た。
サムは納屋に行き、シュリは荷物をまとめていた。
「シュリ」
上から声が降り、シュリは顔を上げた。
「昨夜は冷えた。体は大事ないか」
イーライが見透かすように、シュリを見つめる。
その言葉に、シュリは息を詰めたが、笑顔で交わした。
「大丈夫です。イーライ様が炎を絶やさないお陰で、
室内は暖かったです」
その言葉に、イーライは口元を歪めた。
「あぁ。室内は明るい。
けれど、夜は寒かっただろう。あの木の周りは草が多い」
シュリは目を見開いた。
「気づいていたのですか」
「当然だ。部屋に戻った時に裾は夜露で濡れていた」
イーライは淡々と答える。
「……私は、ユウ様を護衛しなくてはいけません。
盗み聞きするつもりはありませんでした」
「あぁ、だが、ユウ様を守る人は他にもいる」
イーライは眉一つ動かさずに話した。
「それは……どういう意味でーー」
シュリが話している途中で、扉が勢いよく開いた。
乗馬服を着こなしたユウが現れ、その空間がパッと華やかになる。
イーライは薪代が入った封筒を、テーブルに置き、扉を閉めた。
「参りましょう」
「ええ」
ユウは馬に跨り、小屋を跡にした。
道中、ユウが思わせぶりな目で、シュリを見つめた。
『作戦はうまくいったでしょ?』
そう言わんばかりの得意そうな顔だった。
その顔を見て、シュリは曖昧に微笑むしかなった。
確かに、イーライはもう敵ではない。
けれど、ある意味、自分にとって敵だ。
あの『ええ。心を込めましたので』は宣戦布告のような響きがあった。
シュリは、手綱をとりユウの背中を眺めた。
「相変わらず、すごい人だ」
そう呟き、ユウの近くまで馬を走らせた。
次回――明日の20時20分
嘘をつかず、それでも前へ進む。
ユウが貫く覚悟に、新たな波紋が広がっていく――。




