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子授けの泉へ向かいます

翌朝、イーライはお茶のワゴンを押しながら、思案に暮れていた。


目的地は、妃の部屋だった。


毎朝、朝食後に国王夫婦はお茶を飲むのが習慣だ。


キヨと妃ミミだけの日もあれば、

キヨの弟、重臣のエルもいる日もある。


「失礼します」

イーライが頭を下げて、部屋に入ると、

部屋にはキヨ、ミミ、そして、弟のエルが寛いだ様子で座っていた。


「イーライ、おはよう」

ミミが微笑む。


開け放たれた窓から海風が流れ込み、

テーブルに飾られた黄色いバラが揺れるたび、熟れた杏を思わせる甘い香りがふわりと漂った。


イーライは紅茶を淹れるために湯を沸かしながら、ガラスの器に盛られた杏のコンポートを卓へ置いた。


それを見て、ミミが困ったように微笑んだ。


「イーライ、私は杏が苦手なの」


「そうでございましたね。失礼しました」

イーライは、慌ててガラスを回収して、侍女に他のお菓子を持ってくるように指示をした。


しばらくして、クッキーの皿が運ばれ、

部屋には穏やかな空気が流れた。


タイミングを見計らって、イーライは口を開いた。


「キヨ様、お時間をいただけますでしょうか」


ソファでだらしくなく寛いでいたキヨが頷く。


「何じゃ」


「ユウ様より、一つ願いがございます」


「ユウ様が?」

キヨは思わず背筋を伸ばして、座り直した。


その仕草に、ミミは冷ややかな視線を送り、

エルは苦笑いをする。


「東の山にある子授けの泉へ、お参りをしたいとのことです」


その言葉に、エルが眉を寄せた。


「子授けの泉? そんなものがあるのか?」


「侍女より、その泉で身を清めれば子が授かるという伝承を耳にされたそうです」


「まやかしだな」

エルは肩をすくめる。


「私も、そのように存じます」


イーライは一度言葉を切る。


「ですが……ユウ様は、『まやかしでも構わない。子が欲しい』と、おっしゃっておりました」


部屋に静寂が落ちる。


「それは本当か」

キヨは思わず身を乗り出す。


「はい」

イーライは静かに頷く。


ミミは、カップを持ったまま固まったように動かない。


「なんて、素晴らしいのじゃ。

わしのために、そこまで思うのなんて」

キヨは恍惚とした顔で話す。


ミミは口をつけずにカップをソーサに戻した。


戻したカップには、紅茶がわずかに波立った。


「なんて、愛らしいのじゃ。

今夜は、その話を寝台でじっくりと聞くぞ」

キヨは、子供のように瞳を輝かす。


紅茶のわずかな波紋を見つめなら、ミミは無表情だった。


エルは、その様子を静かに横目で見ていた。


「ミミ様、いかがでしょうか」

イーライは、遠慮がちに質問をした。


本来のミミであれば、こういう話はすぐに理解を示す。


それなのに、今日は一言も発しない。


それが妙だった。


「良いに決まっておる。ミミも同じ気持ちじゃ」

代わりに、キヨが朗らかに話した。


ミミは我に返り、取り繕うように笑顔を見せる。


「もちろんです。このトミ家のために、ユウ様が祈願するのは、

本当に素晴らしいこと……」

その声は、少しだけ掠れていた。


「しかし、東の山の方は道が整備されてない。

どうやって、行くのだ」

エルがミミを横目で見ながら、口を開いた。


イーライは、ワゴンから地図を取り出し広げた。


「おっしゃる通り、馬車では行かれません。

ですので、乗馬で行くのが最適か、と」


「ユウ様が乗馬?」

エルが眉を顰める。


「ユウ様の乗馬の腕前は見事です。

その辺は心配ございません。

道は険しいですが、この距離なら朝に出て、夕方には戻れます」

イーライは澱みなく話す。


「そう、か」

エルは地図を指で辿る。


「わしも行くぞ!」

キヨが、ソファから立ち上がる。


「そんな暇はありません。連日、謁見の領主との打ち合わせがあります」

ミミがピシャリといいはねる。


「けれど、心配じゃ。ユウ様の身に何かあれば、わしは気が狂ってしまう」


「あなたが外出した方が危険です」

ミミの声は、いつも以上に鋭かった。


「2日後に行く手筈を整えております。

外出の際には、私と、サム様、シュリも同行します。

サム様も、シュリも剣が立ちますし、心配はないか、と」

イーライは、淡々と話す。


「もう人選まで済ませているのか」


「はい。馬も四頭、すでに手配しております」


エルは呆れたように笑った。


「兄者の返事を聞く前からか」


「許可が下りた時点で動き始めては遅れますので」


「……さすがだな」

エルは頷き、キヨは渋々頷いた。


「道中、気をつけて」

ミミは小さく頷いた。


「必ず、ユウ様を無事にお連れいたします」


イーライは静かに一礼した。




二日後、

東の空が淡く白み始め、馬場には四頭の馬が静かに並んでいた。


馬具はすでに整えられ、水袋や携行食、雨具まで無駄なく括り付けられている。


「準備は滞りなく済んでおります」

イーライは一枚の紙を手に、荷の最終確認をしていた。


ユウの同行者は、シュリ、サム、そしてイーライ。


「水袋、四つ。救急箱、縄、携帯用の茶器ーー問題ありません」


一つ一つ確認すると、紙片を畳んで懐へしまう。


その様子を見ていたサムが、小さく笑った。


「相変わらず抜かりがないな」


「山道では、何が起こるかわかりませんので」

イーライは短く答え、今度は馬の脚元へ視線を落とした。


蹄鉄に緩みはない。


鞍の留め具も、手綱も異常なし。


やがて、馬場に乗馬服に身を包んだユウが姿を現した。


その青い瞳は、久しぶりの城外を前に、少女のように輝いていた。


「おはよう。今日は気持ちの良い朝ね」


その笑顔を見た瞬間、イーライは静かに一礼する。


後ろに控えていたヨシノが心配そうな顔をして、

サムに縋りつき、大きな包みを差し出す。


「サム、これも持っていって」


「これはなんだ?」

サムは首を傾げる。


「ユウ様は、お転婆なので着替えを持たせております。

本当は、私もついていきたいのですが……」

ヨシノは、心配そうに眉を寄せた。


「母さん、そんなに持っていったら馬が荷物だらけになるよ」

シュリも大きな荷物を抱えていた。


「でも……」

ヨシノはエプロンを握りしめる。


「ヨシノ、任せろ」

サムは頷き、荷袋の上から油布を丁寧に掛け、革紐で緩みなく固定した。


ユウは鐙へ足を掛けると、風に舞うような身のこなしで、ひらりと馬へまたがった。


その姿に、イーライは静かに頷く。


ーーやはり、お見事だ。


久しく馬に乗っていなかったとは思えない騎乗だった。


ユウは嬉しそうに笑い、馬の首筋を撫でる。


「楽しみだわ」


ユウの笑顔を見て、イーライは小さく目を細めた。


「それでは、参りましょう」


夜明けの風が、四人の背をそっと押した。


次回――明日の20時20分


子授けの泉を目指し、東の山を進むユウたち。

その作戦は、果たしてうまくいくのか。

そして、忍び寄る黒雲が静かに牙をむく――。

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