イーライへのお願い
翌朝、朝食の席でユウは静かに口を開いた。
「城外へ行きたいと思っているの」
「城外ですか?」
誰よりも早く反応したのはヨシノだった。
すぐりのジャムを取り分ける手が止まる。
「ええ。できれば馬にも乗りたいわ」
「……それは難しいかと」
「どうして?」
レイが不思議そうに首を傾げる。
「前は姉上、城下町にも行っていたでしょう?」
「それは、想われ人になる前のお話です」
ヨシノは静かに首を振った。
「国王の想われ人は、自由に城外へ出られる立場ではありません」
「そんなに変わるものなの?」
「ええ」
言い切るヨシノに、レイは困ったようにユウを見た。
ユウはパンを小さくちぎりながら呟く。
「イーライを懐柔したいの」
その一言で、食卓が静まり返った。
「……あのイーライを?」
レイは目を丸くする。
「ええ」
「何か策があるの?」
期待するように身を乗り出す。
「何もないわ」
レイは思わず肩を落とした。
「それじゃ無理じゃない……」
部屋の隅ではシュリまで苦笑している。
ユウは、小さく笑った。
「だから、ありのままの私で向き合うの」
「ありのままで?」
「イーライは賢いわ。計算して近づけば、すぐ見抜くもの」
ユウは真っ直ぐ前を見据えた。
誰も、何も言わない。
しかし、周囲の空気は『無理だ』と言わんばかりだった。
「敵にしたくはないの。味方にする必要もない。
ただ、私を疑う必要はないと思わせたいだけ」
ユウの言葉に沈黙が落ちる。
やがてヨシノが、おずおずと口を開く。
「……それと城外へ出ることは、関係があるのでしょうか」
「あるわ」
ユウは頷いた。
「城にいるイーライは、とても硬い。でも城外では、少しだけ肩の力が抜けるの」
「確かに」
シュリが静かに言葉を継ぐ。
「何度かご一緒したことがありますが、城の中とは別人のようでした」
「なぜ、乗馬を希望されるのですか。
馬車の方が安全です」
ヨシノは、納得ができないように質問をする。
「姉上、馬に乗りたいだけでしょ」
レイがニヤッと笑う。
「もちろんよ」
ユウは顎を上げた。
部屋に静かな笑いが広がる。
「それは通らないか、と」
ヨシノは困惑したように進言をする。
「馬車だと、ヨシノも付いてくるでしょ?
人が多ければ多いほど、イーライは重臣としての守りが固くなるの。
できれば、少人数の付き添いで、イーライの心の鎧を外したいのよ」
ユウは顎に手を添えて話す。
「城外に出る。それも乗馬で……」
レイがつぶやく。
どちらかだけでも大変なのに、その2つが重なると、
もはや無謀だ。
「無茶苦茶ですよね」
シュリが笑いを堪えるように話す。
「あの……」
それまで、黙っていたサキが口を開いた。
「サキ、どうしたの?」
レイが質問をすると、サキが控えめに頷いて話す。
「東の山の奥に子授けの泉があると聞きます」
「子授けの泉?」
「はい。その泉の水で顔を洗い、口を清め、飲めば、
子が授かると伝承があります」
「子授け……」
ユウは小さく呟いた。
次の瞬間、その青い瞳が輝く。
「それだわ」
「……姉上、まさか」
「子授け祈願なら、キヨも断れないわ」
◇
午後になり、イーライはお茶を淹れにユウの部屋を訪れた。
「失礼します」
イーライは、滑らかな手つきで茶を淹れる。
見慣れたはずの所作は、今日も狂いなく美しかった。
紅茶一杯でさえ手を抜かない。
その積み重ねが、彼を王国屈指の重臣へと押し上げたのだろう。
イーライは丁寧に淹れた紅茶をカップへ注ぎ、ガラスの器に盛られた杏のコンポートをユウの前へ置いた。
ユウは紅茶を一口飲み、ふっと微笑んだ。
「……美味しいわ」
「ありがとうございます」
イーライは、それだけを言い、静かにカップへ紅茶を注ぎ足す。
彼の表情はほとんど変わらない。
けれど、その手つきはどこか満ち足りていた。
シュリは、その姿を静かに見つめる。
ーーあぁ。
胸の奥が、わずかに軋んだ。
シュリは知っていた。
イーライは、ユウが「美味しい」と微笑む、その一瞬のために茶を淹れている。
今日もまた、その笑顔を見たイーライの瞳が、わずかに和らいだ。
何度見ても、その静かな喜びだけは慣れなかった。
ユウは紅茶を口にするけれど、
杏のコンポートは口をつけなかった。
思い詰めたような表情をしている。
それは、これからイーライに話すことを思案しているからだ。
「どうされましたか?」
イーライは躊躇いながら質問をした。
「何が?」
ユウは、夢から覚めたように目を瞬かせる。
「この杏は、今年の初物です。お口になさらないのですか」
ユウは、ガラスの器から銀のデザートスプーンで杏をすくい、静かに口へ運ぶ。
甘みのあとに、ほのかな酸味が広がる。
「今年の杏は、とても美味しいわ」
微笑むユウに、イーライは少しだけ表情を緩めた。
「1年分の杏を保存するように、厨房に命じています」
「一年分も用意するの?」
ユウは目を見開く。
「ユウ様は、杏がお好きですから」
イーライはさらりと話す。
ーーそういうことか。
シュリは、イーライの眼差しを見つめた。
5年ほど前に、イーライにユウの好物を質問をされたことがある。
そのときに、「杏と甘いもの」と答えた。
それ以来、年間を通して、杏はお茶の時間に出ている。
ーーイーライは、ユウ様が喜ぶことを、誰より先に用意している。
家臣としての忠誠だけではない。
あの人は、ユウ様を想っている。
「イーライ、あなたの気遣いは素晴らしいわ」
「とんでもございません」
イーライは静かに頭を下げた。
「だから……お願いがあるの」
「なんでしょうか」
イーライは、少し身を乗り出す。
「東の山の奥にある泉に行きたいの」
「東の山……でございますか」
イーライの声がわずかに上擦った。
「ええ。私は子が授からないでしょう?」
ユウは眉を寄せて、悲痛な面持ちをした。
「子は授かりものでございますし……」
イーライは気遣うように話す。
「いいえ。何度も交合を重ねたのに、私は授からないの」
ユウは悲しそうにお腹に手を当てた。
その様子を見て、シュリは顔を上げた。
ユウの言葉は、嘘ではなかった。
少なくとも、キヨとの間に子供ができなくて嘆いたものではない。
自分との子を、授かれないことを嘆いている。
それが伝わった。
イーライは、困惑した顔をした。
ーー子が授からないのは、何もユウが原因ではない。
他の妾も、子ができない。
そう伝えたいが、それだと主に対する不敬になる。
そのタイミングを見計らって、ユウが口を開いた。
「……私の体を清めるためにも、東の山に行きたいの」
イーライは考え込むように目を伏せた。
「そこの泉で体を清めると、子が授かると侍女から聞いたの」
追い討ちをかけるように、ユウが話す。
「そのような伝承に根拠はございません」
「まやかしでもいいの。子が欲しいの」
強情で、迫るような顔つきのユウを見て、
イーライは息を呑んだ。
「……お願い」
ユウは、涙目でイーライを見上げる。
ーーこれは破壊力がある。
シュリはそう感じた。
この言葉に、イーライは逆らえるはずもなかった。
「……承知しました」
イーライは小さく息を吐き、頭を下げた。
「泉へ向かえるよう、キヨ様へお取り計らいいたします」
「ありがとう。あなたは本当に頼りになるわ」
ユウは安心したように微笑んだ。
イーライは静かに頭を下げる。
その横顔を見つめながら、シュリは胸の奥が小さく疼くのを感じた。
ーーあの人に向ける笑顔は、できることなら自分だけのものにしたい。
醜い独占欲だとわかっている。
それでも、抑えられなかった。
ユウ様の何気ない一言が、イーライにとってどれほど嬉しいものか知っている。
そして、ユウ様だけが、そのことに気づいていない。
次回ーー明日の20時20分
子授けの泉を目指し、四人は東の山へ。
果たして、ユウの作戦はうまくいくのか――。




