盗み聞き――知らなかった姉
その日の夜、シュリとエドガーはいつものように塀の前の木陰で待機していた。
交代の鐘が鳴る。
けれど、鐘が鳴っても、持ち場を離れない兵がいた。
「なぜだ」
小声でつぶやくシュリに、エドガーは囁く。
「交代の時間が以前より不規則になっております」
二人は這うように塀のそばに近づき、
隙を見て、塀を登る。
シュリは縄を頼りに塀をよじ登る。
先に塀の上にいたエドガーは、月明かりの中、満足そうに頷く。
「前より塀を登るのが早くなりましたね」
「腕の鍛錬を増やした。意味があるか、わからないけれど」
シュリは、そう言いながら、前より楽に塀に登れることに気づいた。
けれど、エドガーのように、しなやかな動きはできない。
それは、筋力を鍛えるだけではなく、
長年、積み重ねた体の使い方だ。
ユウの部屋の灯りが見える。
早く会いたくて、シュリは思わず駆け足になる。
「お待ちください」
エドガーが袖を引いた。
彼は、しゃがみこみ地面をじっと見つめた。
「砂が撒かれております。足跡を残すためでしょう」
その言葉に、シュリは目を見開く。
エドガーは、クスッと笑った。
「イーライ様らしいやり方ですね。
武力で追い詰めないで、逃げ道を一つずつ塞いでいく」
「……どうすればいい」
シュリは困惑した顔で質問をした。
「そのまま歩いてください」
「けれど、足跡がつく」
「大丈夫です」
シュリは、そのままユウのバルコニーに登ろうとすると、
エドガーは、懐から小さな箒のようなものを取り出し、
靴底を丁寧に払った。
「砂が部屋にあれば、すぐに気づかれます」
窓を叩く前に、シュリは振り返る。
エドガーは砂についた足跡を撫でながら、痕跡を消していく。
シュリの目線に気付き、エドガーは囁く。
「明朝には狐の足跡に変えておきます。夜中に獣が歩いたと思わせれば十分です」
シュリは、頷きながら窓を叩いた。
カーテンが開き、シュリは素早く部屋に滑り込んだ。
一緒に、部屋にいたレイは、シュリの様子を見て、
目を丸くする。
シャツには塀をよじ登った跡が残り、袖口は擦れて白く汚れている。
袖は破れ、鳶色の髪には草が何本も絡まっている。
肩で荒く息をし、額には汗が滲んでいた。
「……シュリ」
思わずユウが声を漏らす。
シュリは苦笑いを浮かべた。
「今日は……少し苦労しました」
「座って」
レイが促すと、シュリはほっとしたようにソファに座った。
「兵の数が増えたの?」
ユウが質問をする。
「増えておりません。
兵の増員は、軍事を仕切る重臣が采配します」
シュリは、差し出されたパンを頬張る。
「兵は増えてないのに、ここに来るのが大変なの?」
レイは首を傾げる。
「毎回、警護が違うのです。
イーライ様と知恵比べが続いています」
シュリは、頭を振る。
「そもそも、証拠がないのに、どうしてイーライは疑うのだろう?」
レイがぽつりとつぶやく。
その瞬間、隣に座るユウの肩がわずかに揺れた。
視線を落とし、唇を噛む。
ーー証拠は、ある。
誰にも気づかれない場所に。
イーライは、キヨとの交合前に必ず体を確かめる。
武器を隠してないか。
異物はないか。
そして、長年見続けてきたからこそ、わずかな違いにも気づく。
シュリと夜を過ごしてから、自分の体は違っている。
その変化が、イーライの疑念を深めている。
だから彼は、証拠を求めるように警備を強めるのだ。
レイは、俯く姉を横目に思案していた。
昼間、リチャードは「策がある」と言っていた。
『進言するわ』と話したけれど、
そもそも、具体的な話は何も聞いていない。
それについて、質問をしたいけれど、今ではない。
レイは静かに立ち上がった。
「もう、寝るの?」
ユウが顔を上げる。
「ええ。だって、お邪魔でしょ」
レイは、そう言い衣装部屋に入った。
衣装部屋の扉をほんの少し開けた。
盗み聞きをすることに罪悪感はある。
けれど、何を協力していいのか、わからないのが本音だ。
そっと耳を澄ます。
「ユウ様、このままでは警護は強まります」
シュリが遠慮がちに話す。
「……わかっているわ」
ユウの声は沈む。
「ですので……」
「……」
部屋に沈黙が落ちる。
「やっぱり……そうしないとダメなの?」
「はい……このままだと、イーライ様の手は緩めません」
「それでも、私は嫌なの」
ユウの声が揺れる。
「演技ですので……大丈夫ですよ」
シュリがいたわるように話す。
レイは扉の前で、息を詰めた。
「でも、ベッキーと抱き合って口づけをするなんて」
ユウの声が震える。
「抱きしめますが、口づけはしないです。真似事です」
シュリが言い聞かせるように話す。
ーーなるほど。
イーライに”シュリには別の想い人がいる”と思わせるための芝居なのね。
それを、姉上が嫌がるのか。
レイは、納得した。
静かに扉を閉めようとすると、ユウの拗ねたような声が耳に入った。
「ベッキーと抱き合ったら、シュリは……夢中になってしまうかもしれないわ」
「大丈夫ですよ」
「昔だって、フィルと口づけをしたでしょう」
「……あれは不可抗力です」
「でも、口づけは口づけよ」
「ユウ様……まだ覚えていたんですか」
「忘れるわけがないでしょう」
ーーシュリが他の人と口づけ?
レイは思わず目を見開く。
でも、不可抗力か。
「何年前の話ですか」
シュリは苦笑しながら話す。
「何年前でも嫌なものは嫌なの」
キッパリと言いきるユウの声を聞いて、レイは一人で頷いてしまった。
ーー確かに嫉妬深い。
何年も前の不可抗力の口づけを覚えているなんて。
「オレのことが信じられない?」
シュリの声が、急に甘くなる。
レイは固まった。
これ以上、聞いてはいけない。
けれど、聞かずにいられなかった。
「……そういうわけではないわ。
ベッキーは私と違って、素直で可愛らしいもの」
ユウの声は僅かに強くなった。
「オレは、意地っ張りで気が強い人が好みですから」
その言葉に、レイは思わず口を押さえた。
「……そうなの」
ユウの言葉の勢いが途端に落ちる。
「あぁ。嫉妬深い人も好みだ」
少し笑う気配がした。
次の瞬間、衣擦れの音が聞こえた。
「……ん」
聞いたことがない艶っぽい姉の声が部屋に響く。
レイは、赤面しながら、最大の注意を払って扉を閉めた。
ーーもう、これ以上は聞いてはいけない。
「フィルって誰?」
「シュリが口づけ?」
「ユウが何年も根に持ってる理由は?」
……と思われた方は(笑)
前作
『妾たちの城に嫁いだ母は、娘たちを守り抜く(秘密を抱えた政略結婚)』
ep.219「一度だけの、本気の恋」
にて詳しく描いております。
フィルという女性の、切ない恋のお話です。
ご興味がありましたら、ぜひご覧ください。
https://ncode.syosetu.com/n0514kj/
次回――明日の20時20分
「私がイーライを懐柔する」
ユウが仕掛ける大胆な策が、静かに動き始める――。




