ごめんなさい
夕暮れが城を朱色に染める頃――。
ユウはゆっくりと立ち上がった。
目の前の鏡に映る自分を静かに見つめた。
ーー逃げない。
自分を守ってくれた皆のように、私も皆を守る。
そう心に言い聞かせ、唇を噛み締めた。
「行くわ」
ヨシノは黙って頷き、静かに扉を開いた。
扉を開けると、シュリが廊下で待機していた。
薄い絹越しに浮かぶ身体の線を見て、慌てて頭を下げる。
「……行ってくるわ」
ユウの声は、どこか無理をしているように聞こえた。
シュリは返事ができなかった。
今夜、ユウが向かう相手は自分ではない。
それを誰より知っているからこそ、引き留める資格もない。
――行かせたくない。
胸の奥で叫ぶ声を、シュリは歯を食いしばって押し殺す。
覚悟をしていたのに、いざ送り出すとなると胸が引き裂かれそうになる。
「……行ってらっしゃいませ」
絞り出すように声を出した。
一瞬、ユウがほんの少しだけ立ち止まった。
振り返ることはない。
それでも、ユウもまた何かを堪えているように見えた。
ユウの甘い香りが、廊下に残った。
シュリは、きつく拳を握りしめた。
◇
西棟・控室
「それでは、お支度をお願いします」
イーライの淡々とした声が部屋に響く。
ユウは震えながら、衣の紐を引っ張る。
音もなく、滑り落ちた衣をそのままに、
イーライの手は、淡々と確認をする。
ユウは熱い吐息が溢れそうになるのを堪えた。
イーライは、ただの職務として触れている。
それは、自分にとって憂鬱なのに。
イーライの手つきには、優しさが滲んでいた。
ーーイーライは、そういう人だ。
気を使い、痛くしないようにしているのだろう。
その指先に触れられるたび、優しく抱きしめられた夜を思い出してしまう。
最後に、イーライの手は異物の確認のために足の付け根に及んだ。
触れる寸前に、イーライは指先にオイルを塗ろうとしたが、それをやめた。
静かに確認をした後に、指を引き抜く。
「オイルは必要なさそうですね」
イーライは、指先を見つめて淡々と話す。
その言葉に、ユウは顔を赤らめる。
「潤いが自ずと出るのは良い経過です。
お子を授かりやすくなります」
イーライは、衣を拾い確認しながら話す。
ユウは長い髪で体を隠しながら、曖昧な頷き方をする。
「ただ、気になることがございます」
イーライの声が低くなった。
ユウは、ゆっくりと顔を上げた。
イーライは、机の上にある帳面に目を落としていた。
そこには細かい文字で、何かを書き連ねている。
「このような変化は、1ヶ月ほど前からです」
ーー1ヶ月前。
ちょうど、シュリと夜に逢引きをするようになってからだ。
イーライは、ユウをじっと見つめる。
その黒い瞳の奥は、チラチラと燃えているように熱を孕んでいた。
「何か、あったのですか」
イーライは、一歩距離を詰めた。
「何もないわ」
ユウは、思わず目を逸らしそうになるのを必死に押し留めた。
ーー自分の体の変化で秘密が暴かれることに恐怖を感じた。
これが漏れてしまえば、レイ、ウイ、シュリ、ヨシノ……複数の顔が浮かぶ。
隠し通さなくればいけない。
「……急に体が変わるのは……妙ですね」
「媚薬が効いてきたのだと思うわ」
ユウは視線を逸さなかった。けれど、耳に髪をかける。
「左様ですか」
イーライは静かに頷く。
頷いたものの、黒い瞳から疑念は消えていない。
それに対して、ユウの背中にジワリと汗が滲む。
ーーここで崩れてはいけない。
ユウは心の中で必死に言い聞かせた。
イーライは、賢い。
そして、トミ家で一番忠実な重臣だ。
だからこそ、敵に回したくない。
……それならば。
「私の体が変わったのは、媚薬だけではないの。
気持ちもあるのよ」
ユウは、イーライが差し出した衣に袖を通す。
声が震えないように、必死に保つ。
それは嘘ではない。
本当のことだ。
「前にも伺いました」
イーライは、わずかに首を傾げる。
そして、ユウはじっと見据える。
「お気持ちで、潤いが出るのか、と」
イーライの右の眉毛が上がった。
「ええ。……女はそうよ」
ユウは衣の紐を静かに結んだ。
「どのような……」
「その話をしている時間はないわ。キヨ様が待っているのでは?」
ユウが話すと、イーライは静かに頭を下げる。
「そうでございますね」
イーライは、静かに控室の扉を開けた。
寝室に入ると、キヨが待ちきれないように寝台で待機していた。
「ユウ、遅いぞ」
「お待たせしました」
ユウは、頭を下げる。
「早く、来い。萎えてしまうではないか」
キヨが手招きをするので、ユウは感情を閉じ込めたまま歩き出した。
萎びた腕に閉じ込められ、ユウは目を閉じた。
脳裏にシュリの顔が浮かぶ。
ーーあぁ。
ユウは目をきつく閉じた。
キヨの荒い息づかい耳に響く。
彼の手つきは、自分本位で急かすものだった。
そこには、悦びはなかった。
行為を終えた後、キヨは満足そうにユウを眺めた。
その汚れた眼差しで見つめられるのが耐えきれず、ユウは、
布で自分の体を覆うように手繰り寄せる。
「隠すな」
キヨは、その手を止めた。
そして、目を細めて、夢見るような表情を浮かべながらつぶやいた。
「随分と色っぽくなった」
満足げに呟き、ユウの胸元からウエストをゆっくりと撫でる。
「……」
ユウは目を伏せる。
「こんなにも、色艶が出たのは、わしが女にしたからだ」
キヨは、誇らしそうに再びユウの胸元に唇を寄せた。
悍ましい感触に、唇を噛み締めながらユウは思う。
ーー違う。
この身体を変えたのは、あなたではない。
あの夜、優しく抱きしめてくれた人だ。
夢中で胸元へ唇を寄せるキヨを一瞥し、ユウは静かに目を閉じた。
ーーもし、自分がシュリの立場だったら。
耐えられない。
今さらになって、その痛みが胸に突き刺さった。
あんなにも侍女へ嫉妬した自分が、急に恥ずかしくなった。
ごめんなさい。
心の中で、シュリの名を呼んだ。
次回ーー明日の20時20分
重ねた温もりを胸に、それぞれの覚悟が再び試される――。




