好きな人の隣にいた女性
「シュリの跡を追ってみるの」
ユウの返答に、ヨシノは目を丸くする。
「なぜ、そのようなことを……」
思わず口を開く前に、ユウは扉を開けて、するりと部屋を出た。
「お待ちください」
ヨシノが慌てて跡を追う。
二人は少し離れた場所から、シュリの跡を追った。
シュリは、西棟を抜け、慣れた足取りで、使用人用の中庭へ足を向けていた。
「こんな場所に……なぜ?」
ヨシノが声を顰める。
ユウは、近くにある柱に隠れてシュリの様子を見つめていた。
井戸の周りでは女中たちが桶を運び、干し場には白いシーツが風にはためいている。
シュリの姿に、何人かの使用人が手を止めて視線を向ける。
その中の一人が足を止めた。
栗色の髪を後ろで結った侍女だ。
「シュリさん!」
ーーあの侍女は。
ユウは思わず息を呑んだ。
以前、パーティー会場でシュリの隣に座っていた侍女だ。
あの時、彼女は、明らかにシュリに好意を寄せているような眼差しだった。
ユウは、じっとその様子を見つめた。
シュリは慣れない様子で、小さく頭を下げる。
侍女は少し頬を赤くしながら、上目遣いでシュリを見つめた。
シュリは、少しぎこちなく微笑んでいる。
ユウは苦い気持ちで、2人を見つめていた。
ーーお似合いだわ。
胸の奥が、じわりと焼ける。
背後にいたヨシノは、落ち着かない様子で立ち尽くしていた。
ヨシノは思わず唇を結ぶ。
ーーこういう場合、どのような対応をしたら良いのだろう。
息子が女性と親しげに話している。
それは、その年頃の者としては普通のことだ。
けれどーー。
ユウ様と夜を共にしたのに。
……とはいえ、二人は公然の仲ではない。
叱って良いのか。
それとも、見逃すべきなのか。
何とも、言えない気持ちが込み上げる。
すると、ユウが腰を屈めたまま、回廊に足を進めた。
「ユウ様、どちらへ」
ヨシノは、囁き声で質問をする。
ユウは、振り向きもせずに話す。
「あの二人の近くに行くのよ。何を話しているのか、聞いてくる」
「そんな……!近くに行くのは……!」
ーーやめた方がいい。
そう言おうとしたが、ヨシノは、その言葉を途中で引っ込めた。
ユウの背中から、静かな怒気が放たれているように感じた。
長年、仕えているからわかる。
ーーこういう時のユウ様は、止められない。
二人は背中を丸めながら、回廊を渡る。
遠かったシュリの顔が少しずつ近づいていく。
ーー何を話しているの?
ユウは慌てて柱の影へ身を寄せる。
その時ーー
扉が開き、イーライが黒いマントを翻して現れた。
イーライは、中庭の隅に、シュリと侍女がいることに、気がつき、無言でその光景を見ていた。
表情は変わらない。
いつもの整った顔のままだ。
けれど、黒い瞳だけが僅かに細められる。
それは考え事をする時の癖だった。
――また同じ侍女か。
一度なら偶然。
二度なら気にも留めない。
だが、これで三日連続だった。
イーライは無言のまま視線を外した。
少なくとも、あの様子であればーー
ユウ様の部屋へ忍び込む余裕などないのかもしれない。
しかしーー長年、同じ女性を見続けていたから、わかる。
シュリがユウ様を見つめるあの眼差しは、自分と同じ熱量だった。
急に、なぜ?
イーライは、わずかに首を傾げて、本館へむけて歩き続けた。
「もっと近くに行くわ」
ユウは、シュリたちのいる中庭へ回り込もうとした。
戸惑うヨシノを後にして、ユウは柱の陰でじっと身を潜めた。
イーライの背中が小さくなる。
ーー今だ。
ユウは柱の陰から身を乗り出した。
角を曲がった瞬間、不意に誰かとぶつかった。
後ろへ倒れそうになった体を、太い腕が抱き留める。
「大丈夫か?」
声をかけられ顔を上げると、リチャードが目の前に座り込んでいた。
ーーリチャード。
ユウが驚きの声を上げそうになるのを、リチャードの手が唇を塞いだ。
「姫様、申し訳ない」
リチャードの囁き声が耳元で聞こえる。
ヨシノは、どうして良いのかわからず、後ろで見つめていた。
「あと少しだ」
リチャードの言葉に、ユウは眉を寄せて、リチャードの手を引き離す。
「どういうこと?」
少し顎を上げて質問をする。
「お静かにお願いします」
気がついたら、エドガーが静かに隣にいた。
ーーいつから、この人はここにいるの。
ユウは、突然現れたエドガーを見つめ、目を丸くした。
「もうすぐ、ここを出る」
リチャードが声を顰める。
イーライの足音が遠ざかる。
黒いマントが回廊の角へ消える。
誰も動かなかった。
やがて本館の扉が閉まる音が響き、ようやくヨシノが小さく息を吐いた。
「イーライ様は、ここの回廊を通るのですね」
イーライの姿が消えるのを見届けて、リチャードは小さくガッツポーズをした。
「よし!揺れているぞ!」
「そのようです。後ほど、違う場所で二人を会わせましょう」
エドガーが囁く。
「あぁ、そうだな。あの石頭を騙せばーー」
リチャードの会話は、途中で途切れた。
ユウの鋭い視線を感じたからだ。
「姫様、どうしてこちらに」
リチャードの声は硬い。
「リチャード」
ユウは微笑んだ。
それなのに、誰一人として笑っているとは思えなかった。
「説明してくださる?」
空気を読んだリチャードは、慌てて、背筋を伸ばす。
「姫様、違う。誤解だ」
「何が誤解なの?」
ユウの言葉は短い。
けれど、その代わり圧が強かった。
「……イーライを欺くためだ。
ベッキーとシュリは何もない」
ユウはリチャードから視線を外し、中庭へ目を向けた。
シュリは、ベッキーと呼ばれる侍女に頭を下げていた。
ベッキーは微笑み、シュリの肩にそっと触れた。
その触り方は、気のない男にはしない触れ方だーーユウはそう思った。
「だから、誤解しないでくれ」
リチャードは声だけではなく、顔も引き攣る。
その言葉に、ユウは無言で頷いた。
ーー頭ではわかる。
この逢引きは計画の一つ、だと。
けれど。
あのベッキーの眼差しだけは、本物だ。
次の瞬間、ユウは、にっこりと微笑む。
「リチャード、あなたの協力は感謝しても、足りないくらいよ。
いつも、ありがとう」
「とんでもございません」
リチャードは、そう返事をしたが、背中にツゥと汗が流れるのを感じた。
ユウの言葉には、心からの感謝の気持ちが滲んでいた。
けれど、彼女の目は笑っていなかった。
「あなたも……」
ユウは、エドガーに視線を向けた。
「エドガーと申します」
小さく頭を下げる。
「エドガー、あなたの協力にも感謝をしているわ。ありがとう」
ユウは、そう言って微笑む。
しかし、その目は、よく研いだ剣のように冷たく光っていた。
「……はっ」
エドガーは慌てて目を伏せた。
ユウは、中庭をもう一度見た。
もう、シュリは西棟に帰ったようだ。
すくっと立ち上がった。
「それでは……失礼します」
そう挨拶をした彼女の顎は、少し上がっていた。
残されたリチャードとエルガーは、床に座ったまま動けなかった。
ユウが去ったあと、リチャードはしばらく黙っていた。
リチャードは天を仰ぐ。
「……まずいな」
「イーライ様は騙せる。ですが、ユウ様は騙せません」
エドガーは苦笑した。
リチャードは大きく息を吐く。
「……シュリが気の毒だな」
次回ーー明日の20時20分
隠し事は、意外なところから見つかる――。
初めて揺れるユウの心。
そして、思わぬ誤解が二人の距離をさらに近づける。




