秘密の逢瀬の裏で
黒いマントが夜風に揺れている。
煌々とした月明かりの下、イーライの黒い瞳だけが静かに熱を帯びていた。
西棟の塀へ辿り着く。
松明が周囲を照らし、その一角だけが昼間のように明るい。
護衛の兵たちはイーライの姿を認めると、一斉に頭を下げた。
「異変はないか」
「ございません」
迷いのない返答に、イーライは小さく頷く。
「引き続き、警護を頼む」
それだけ告げると、一歩、二歩と後ろへ下がり、塀をじっと見上げた。
黒い瞳が石壁をなぞる。
足跡はない。
縄の痕もない。
不自然な草の倒れ方も見当たらない。
「……異変はないか」
誰にともなく呟く。
その視線は、ゆっくりと塀を離れた。
後方には、小さな灯りが点々と揺れている。
使用人たちの住居だった。
イーライは一瞬だけ目を細める。
そして、迷うことなく踵を返した。
黒いマントが翻り、その姿は静かに小屋の方向へむかった。
◇ その頃ーーユウの部屋
蝋燭の火は小さくなり、寝室には静かな闇が広がっていた。
ユウは目を閉じたまま、眠っているようにも見えた。
シュリは、その顔をじっと見つめる。
こんなに近い距離で、ユウを独り占めできるのは、この時しかない。
ーー眠るのが惜しいくらいだ。
先ほどは、灼けるような感覚が脳まで走り、目の前のユウが揺らいで見えた。
余裕がなかった。
もっと、優しく触れたいのに。
長い金の髪がユウの頬に張り付いていたので、
それをシュリは、剥がす。
頬に触れる温もりに気づき、ユウがそっと瞼を開く。
シュリが、心配そうな顔で自分を見つめていることに気づいた。
「……大丈夫ですか」
その声は、剣を握る時よりも頼りなかった。
ユウは思わず小さく笑う。
「そんな心配をするなら、手加減してほしいわ」
「……すみません」
シュリは、居心地悪そうに、ユウと距離を離そうとした。
ユウはそっと指先を伸ばし、シュリの胸元に残る擦り傷へ触れる。
「痛まない?」
「これくらい、何ともありません」
「嘘」
ユウが眉を寄せると、シュリは困ったように笑った。
小さく笑い合う声が、静かな寝室に溶けていく。
ユウは、そっとシュリの肩へ頭を預けた。
草木と土を思わせる、幼い頃から知っている香りが静かに漂う。
「……やっぱり、この香りが好き」
小さな呟きに、シュリはユウの白い肩に唇を落とす。
「オレも……ユウの香りが好きだ」
そう囁くと、ユウの首筋がみるみるうちに赤く染まる。
次第に、二人の足は自然と絡み合う。
「シュリ……」
そうつぶやくユウの体を、シュリは再び強く抱きしめた。
◇
ーーその頃、イーライは
西棟を離れるたびに、地面は石畳から土へと変わる。
細い道の両脇には、板を打ちつけただけの小屋が肩を寄せ合うように並んでいた。
ユウの乳母と乳母子でありながら、その暮らしは決して豊かではなかった。
壁板は何度も補修され、屋根には雨漏りを塞いだ跡が残っている。
キヨはシュリを城に置くことを許したが、特別な待遇を与えることはなかった。
イーライは、今にも崩れ落ちそうな扉を強くノックした。
しばらくすると、家の奥に小さな灯りがともった。
やがて扉が開き、ヨシノが角灯を手に姿を現す。
揺れる灯りが、不安げな顔を照らしていた。
「夜分、遅くすまない」
月光が降り注ぐ中、イーライが話す。
「……イーライ様、なんでしょうか」
ヨシノは、無意識に背後の暗闇へ視線を送った。
月明かりに照らされたヨシノの顔は、ひどく強張っていた。
次回ーー明日の20時20分
疑念は消えない。
静かな駆け引きは、まだ続く。




