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高いほど、相手は油断する

白い月は徐々に明るく冴えてきた。


ヨシノとサキ、そして、シュリは黙々と家路にむかって歩いていた。


踏み固められた足場の悪い道、横には腰の高さまで伸びた草が生えている。


小屋の灯りが見えたところーー草の間からエドガーがぬるりと音もなく現れた。


「失礼します」


「ひっ」

その声を聞いて、ヨシノとサキは声をあげた。


シュリも高鳴る胸の動悸を抑えながら、声をかけた。


「エドガー、どうした」


不安そうに彼を見つめるヨシノとサキに、簡潔に紹介する。


「エドガーは、リチャードの乳母子だ」


ゆっくりと頷くサキとヨシノの視線を浴びながら、

エドガーは口を開く。


「リチャード様が、シュリ様に同行するように、と指令を受けました」


「エドガーと一緒に……西棟へ行くのか?」


「はい。その方が順調に、物事が進むか、と」

エドガーの琥珀色の瞳は、細められた。


隣にいたヨシノが、何か言いたげに口を開く。


シュリは、それを手で制して、わざといつものように明るい声を出した。


「母さん、サキ、行ってくるよ」


「行かれる前に、着替えてもらいます」

エドガーが手渡したのは、簡素な黒い服。


地味だが質の良い物だった。


「今?」


「はい。今」

エドガーが頷く。


外で着替えるのは妙な感じだ。


「……これはリチャードのものか」

シャツを脱ぎながら、シュリは聞いた。


「はい。シュリ様の方が上背はありますが、細身のご様子なので、問題はないか、と」


脱いだシュリの服を、エドガーはヨシノに手渡す。


「こちらはお持ち帰りください」


ヨシノは、怪訝な顔をしながら受け取る。


「参りましょう」

エドガーに促され、シュリは一歩踏み出す。


「……気をつけて」

つぶやくヨシノの顔は、月明かりの下でも青白かった。


「行ってきます」

シュリは小さく頷き、エドガーとともに草の中に身を沈めた。




闇に紛れながら、シュリは西棟へむかう。


前を走るエドガーの動きは、蛇のように滑らかで静かだ。


足音が全くしないことに、シュリは気づいた。


二人は塀の近くにある大きな木の根元に身を寄せた。


「まもなく、兵の交代の時間です」

エドガーが囁く。


シュリは頷く。


交代の時間は、頭に入っている。


エドガーは塀を一瞥した。


「……予想通りです」


「何がだ?」


「低い塀だけ兵が増えている」


「なぜ……そのような事を」


「イーライ様の指示でしょう」

エドガーが、さも当然と言わんばかりに話す。


「……」


黙り込むシュリに、エドガーが微笑む。


「良い対策です。ですが、まだ甘い」


シュリは、思わず息を呑んだ。


イーライの警戒を、甘いと言い切る男がいるとは思わなかった。


「イーライは聡い。なかなか、突破は……」

シュリが口ごもる。


その言葉に、返事をするわけでもなく、エドガーは声をかけた。


「こちらへ参りましょう」


エドガーに促されるまま、シュリは闇夜を走る。


ーーすごい。


夜の闇を駆けるエドガーの動きを見ると、

語らなくても、常人の動きではないとわかる。


腰を落としたまま、無駄のない足運びで音もなく駆ける。


対して、自分はドタバタと無駄な動きをしているような気がする。


「ここから、登りましょう」

エドガーが案内した塀は、通常のものの倍はある高い塀だった。


「ちょ……これは無理だ」

シュリは、思わず反論した。


見上げる高さの塀は、どうみても乗り越えることができない。


「ここが一番、西棟の建物に近い塀です」

エドガーは何食わぬ顔で話し、懐から何かを取り出した。


「無理だ。とても、この塀を飛び越えることなどできない」


エドガーは壁を見上げ、静かに笑う。


「高いほど、相手は油断するのです」


取り出した細い縄の先端には、鉄鉤があった。


それを塀に向かって投げると、鉄鉤は一度、石をかすめて落ちた。


エドガーは何事もなかったように縄を巻き直す。


二投目。


小さな金属音だけが闇に消えた。


塀の内側に引っ掛かったのだ。


何度か、エドガーは確認し、次の瞬間、縄を伝い塀を猫のように駆け上がる。


塀の上で縄を石柱に結び直し、


「どうぞ」と眼下にいるシュリに囁く。


「……どうぞって」

シュリは戸惑いながら縄に手をかける。


ーー早くしないと見張りの兵が来る。


必死によじ登ったけれど、エドガーのようには登れない。


体を鍛えていたつもりだったけれど、

エドガーには足元にも及ばない。


息を切らしながら、塀の上によじ登る。


差し伸べたエドガーの手がなければ、到底、登り切るのは無理だった。



シュリが塀の上に腰を下ろしたのを見届けたあと、

エドガーは、もう一度、その縄で塀を降り、

壁を布で拭いていた。


「何をしている?」

シュリが息を切らしながら、下を覗き込む。


ーーもうすぐ兵が来る。


「シュリ様の足跡を消しております。痕跡を残したら、次から使えません」

エドガーは淡々と布で足跡を拭う。


「足跡がついていたのか?」

シュリは流れる汗を袖で拭った。


ーーそんなこと、考えもしなかった。


「相手は一度痕跡を見つければ、必ず警備を変えてきます。今回の抜け道は、今夜限りと思ってください」


その呟いた後、軽々と塀の上に戻ったエドガーは微笑む。


「シュリ様は、素晴らしい身体能力です。縄を使っても、この塀は登れない人が多いです」


シュリは無言で首を振った。


息は乱れ、腕は震えている。


ーー同じ乳母子でも、これほど差があるのか。


彼と同じようにはふるまえない。


けれど、足を引っ張ることはしたくない。


二人は、塀を降りた。


もちろん、降りるのは、登ることよりも、シュリにとって大変なことだった。


「ご覧ください」

エドガーが指で示した方角を見ると、

その周辺だけ、妙に明るい。


そこは、本来、シュリが登ろうとした塀だった。


「松明をいつもより、余分に設置しております。

相手も、やりますね。やはり低い塀は読まれていた」

エドガーは、面白そうに口元を緩めた。


シュリは、エドガーの顔を見つめた。


「エドガーがいなければ、オレは今夜諦めていた」


「だからこそ、リチャード様は、私に頼んだのでしょう。

リチャード様は、夜半に何度も城下へ行きますからね」


シュリは、黙って頷いた。


「この城の警備のパターンは、決まっております」

エドガーは、西棟の建物に向かおうとした。


「エドガー」

シュリは声をかけた。


「なんでしょうか」


「その……シュリ様と呼ばなくていい。シュリでいい。

オレとお前は乳母子だ。立場は同じはずだ」


エドガーは静かに首を振る。


「リチャード様は、あなたを守れと命じられました。

私にとって今夜は、それだけです」


戸惑うシュリの顔を見つめ、エドガーは声を顰める。


「さぁ、参りましょう」


シュリは頷いて、ユウがいる部屋にむかった。



◇ その頃ーー執務室では


「イーライ様」

名を呼ばれ、イーライは書類から顔を上げた。


「こちらに署名を」


「あぁ」

万年筆を走らせる。


書き終えた瞬間、隣にいたオリバーが小さく目を見開いた。


「……イーライ様」


「どうした」


「日付が、一日違います」

イーライは紙面を見つめた。


「失礼した」


静かに日付を書き直す。


インクが乾くのを待たず、書類を整えた。


いつもなら定規で揃える端も、今日は半寸だけずれている。


「オリバー、この書類は頼む」


「承知しました」


「館に戻る」

イーライは告げ、上着を羽織る。


動作は普段と何一つ変わらない。


けれど、留めるはずのボタンを一つ飛ばしたまま歩き出した。

次回ーー明日の20時20分


再び、禁忌の夜へ。

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