知られてはいけない夜
夜明けの西棟
隠し小部屋から出てきたヨシノとサムは、廊下で顔を見合わせる。
「サム、疲れた顔をしているわ」
ヨシノが力なく声をかける。
「……お互い様だ。もう、若くはない」
サムは腰に手を当てて、伸びをする。
2人は、廊下の突き当たりにある家臣専門の控え室にむかった。
椅子に座るなり、サムはため息をつく。
ヨシノは手元にある帳簿を引き寄せ、
そこに昨夜の記録を書き連ねる。
「サム、サインを」
「あぁ」
サムは懐にある万年筆を取り出した。
「ユウ様が想われ人になって、1年以上が経つな」
「そうですね」
ヨシノは頷いた後に、躊躇うように言葉を続けた。
「……いまだに懐妊の兆候はないです」
サインを書いたサムは、目を伏せ万年筆を懐に戻した。
「せめて、ユウ様が幸せそうであれば良いが……」
その言葉にヨシノは、顔を上げた。
ーーサムも、ユウ様を大事に思っている。
彼も、自分と同じように、かつてグユウ様とシリ様に仕えていた。
ーーそれならば。
ヨシノは慎重に口を開く。
「今の状況を見て、グユウ様とシリ様はどう思うでしょうか」
サムの眉は、切なげに寄る。
その表情を見届けてから、ヨシノは声を低くする。
「サム、お願いがあるの」
「なんだ」
「明後日の夜、イーライ様を少し引き留めてもらえないかしら」
「イーライを?」
サムが怪訝な顔をする。
「ええ。明後日の夜は、ユウ様とレイ様が過ごす日なの」
「承知している」
サムが頷く。
「早い時間だと、イーライ様が部屋に来るかもしれないわ。
……できるだけ姉妹で、ゆっくり過ごしてほしいの」
「そのために、イーライを引き留めて時間稼ぎを?」
サムは、じっとヨシノを見据える。
彼は聡く優秀な重臣だ。
自分の考えが透けて見えそうで、ヨシノは背中に汗が流れるのを感じた。
「……」
沈黙が続いた後に、サムが頷いた。
「承知した」
ヨシノが顔を上げる。
「ヨシノ、何を考えているか知らんが……それでユウ様の気持ちが楽になるのなら、そうする」
「……ありがとう」
ヨシノの声は、少し震えた。
深く追求しないサムの気持ちがありがたかった。
ーーこれで時間稼ぎができる。
◇
執務室に入ったサムは、席に座ると、
イーライが紅茶を差し出す。
「昨夜も……お疲れ様です」
サムは微笑みながら、カップを受け取り、一口飲む。
火傷しそうなほどの一口に目を細め、それでも、もう一口とカップを傾ける。
温もりは喉を通り、胸の奥へ落ちていく。
「イーライ、お前の淹れた紅茶が一番うまい」
その一杯に、労りと気遣いが滲んでいた。
「ありがとうございます」
イーライは静かに頭を下げる。
サンドイッチを食べ終えたサムを見届けてから、イーライは隣の席に腰を下ろした。
「昨夜のユウ様は、悦びを感じられましたか」
低い声で囁く。
サムは顔を上げた。
重臣が、このような質問をするのは好奇心ではない。
子作り=政だった。
しかし、イーライの黒い瞳は、政とは違う熱が滲んでいるような気がした。
「……側から見て、悦びを感じたようには見えないが……
今までとは違う雰囲気でもあった」
曖昧な言葉で濁す。
「それでは……男子は」
「それほどの熱量はなかった。
だが、キヨ様の方は熱があった」
最後の言葉を聞いた瞬間、イーライの顔が少し歪んだ気がして、サムは目を瞬かせる。
けれど、その表情はすぐに消え、
イーライは、いつもの顔と声に戻った。
「左様でございますか」
サムは、イーライをじっと見つめる。
それを察したかのように、イーライは素早く立ち上がる。
「お疲れでございましょう。今日は会議はありませんし、
奥の方で仮眠をとる場所を作りました。
昼過ぎまで、休息を」
そう言って、頭を下げる。
「あ……あぁ。感謝する」
サムは戸惑うように頷く。
胸の中に違和感が広がる。
ヨシノは、イーライを遠ざけるようにとお願いされ、
イーライからは、少し踏み込んだ質問をされた。
何か、関係があるのか?
サムは、ヨロヨロと立ち上がり、
ソファに横たわり、ふかふかのクッションに顔を埋めた。
「……考えすぎか」
そう呟いた途端、瞼が重く下がってくる。
紅茶を飲んだ後なのに、瞬く間に眠りに落ちた。
◇
イーライは、城の西側に向けて足を進めていた。
妾たちが暮らす西棟を過ぎると、道は、急に草に覆われ、
足場が悪くなった。
腰の高さまで伸びた長い草の中、イーライは周囲を見渡した。
視線の先は、西棟を囲む塀。
ーー高い塀だが、乗り越えようと思えばできる。
特に、あのシュリの身体能力なら可能だろう。
後ろを振り返ると、使用人たちが暮らす小屋が見えてくる。
イーライは、顎に手を置き、塀の周辺をくまなく確認をした。
そして、懐から紙片を取り出し、記録にとる。
吹き込む風が、彼の真っ黒な髪を動かしていた。
◇
そして、二日後ーー
空には大きな丸い月が登ってきた。
「それでは、ここで失礼します」
ヨシノとサキが頭を下げ、ユウの部屋を出ようとした。
「気をつけて」
ユウは小さく頷く。
シュリが後ろを振り返り、小さく頷いた。
その眼差しは、少し熱が籠っていた。
ユウは、座りながらも自分の腕で自分の体を抱きしめた。
ーー不安が尽きない。
無事にシュリは、この部屋に来れるかしら。
イーライは、きっと証拠を掴みにくるだろう。
この計画が知られてしまったら、ヨシノも、シュリもサキも無傷ではいられない。
レイが肩に手を置く。
「きっと……大丈夫」
ユウはその手を強く握り返した。
けれど、窓の外で揺れる木々を見つめる青い瞳から、不安だけは消えなかった。
月だけが、
何も知らぬように
静かに西棟を照らしていた。
次回ーー明日の20時20分
潜入開始。
その夜、イーライも動き出す。




