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もう、逃げない


季節は、誰にも止められない速さで、初夏へ向かっていた。


木々は若葉を濃くし、蕾だった花は次々と開き始める。



その日の夜ーー


ユウは、透ける衣を纏い、ゆっくりと息を整えた。


逃げ出したい気持ちは、今も胸の奥にある。


けれど、その脳裏に浮かぶのは、皆の姿だった。


レイは笑顔でイーライを揺さぶった。


サキは怯えながらも嘘を重ねた。


ヨシノは何も聞かず、静かに支え続けてくれた。


シュリは危険を承知で城を駆け回り、リチャードという新たな味方まで連れてきた。


ーー皆が、自分のために動いている。


それなのに、自分だけが立ち止まるわけにはいかない。


ユウは、ゆっくりと顔を上げた。


背筋を伸ばし、少しだけ顎を上げる。


青い瞳には、今までにはなかった静かな強さが宿っていた。


それは諦めではない。


誰かに従うためでもない。


自分の意志で、この道を歩くという覚悟だった。


ユウが控え室に入ると、イーライが静かに頭を下げた。


「お待ちしておりました」

その黒い瞳の奥には、熱が閉じ込められていた。


複数の蝋燭の熱がこもる部屋で、イーライは静かに話す。


「口を」


果実のような口を開けると、イーライは口内を覗き込む。


その度に、思わず唇を寄せたくなる衝動を押し殺す。


――欲は、任務の敵だ。


そう何度、自分に言い聞かせただろう。


一通り終えて、感情を抑えた声で話す。


「それでは、衣を」


いつもなら、渋々紐を解くユウだが、今夜は躊躇いがなかった。


素早く、紐を解き衣を脱ぐ。


目の前にあるユウの体は、

女性らしいしなやかさが宿っていた。


その様子に、イーライは口をわずかに開けた。


体つきだけではない。

表情も、仕草も、一日ごとに大人びていく。


今のユウの体は、

それこそ一日ごとに花開き、しなやかになっていくようだった。


複数の蝋燭の灯りの下で、

ユウが恥ずかしそうに、体を縮こませると、

イーライは、我に返った。


確認を終えた後、イーライは動揺を抑えるように、

衣を手渡した。


いつものように、声をかける。


「それでは、寝室へ参りましょう」


「……ありがとう」

ユウが、小さな声で呟く。


イーライは、戸惑うように顔を上げた。


確認を始めてから1年以上は経った。


ユウの口から、礼の言葉を言われたことはない。


あるのは、いつも苦痛に満ちた表情だった。


「礼を言われるとは思いませんでした」

思わず溢れた疑問だった。


「あなたも任務を果たしているのでしょう。私も同じよ」

ユウは、イーライを見つめる。


イーライは、少し眉を寄せた。


「自分のやるべき任務を果たすのよ」

ユウは、前をむいて扉を開けるように無言で促す。


ーー任務。


それは子作りのことを指す。


「……なぜ、急に、そのようなことを」


「母上も……そうして生きてきたわ。

想いがない相手と再婚して、私を育んでくれたの。

私も……母上の娘よ」


そう話しながら、言葉と体は裏腹のようで、

今日も、ユウの足は震えていた。


イーライは、静かにそれを見つめていた。


その眼差しに気づいたユウは、イーライを見つめた。


「私は、もう逃げない。

この身に託された役目を、最後まで果たすの」


部屋が静まり返る。


イーライは返事を忘れたように、その青い瞳を見つめていた。


足は震えている。


それでも、視線は逸れない。


五年間見続けてきた彼だからこそ、その違いが分かった。


「……承知しました」


ようやく絞り出した声は、いつもより少し低かった。



ユウは寝室の扉を開き、静かに入っていく。


扉が閉まる音を聞き、イーライはゆっくりと顔を上げた。


ーー彼女の発言は、妾として正しいものだった。


けれど……


「妙だ」


思わず言葉が溢れた。



金色の壁に、蝋燭の光が反射しており、その周囲だけは、昼間のような明るい部屋になる。


ユウが寝室に入ると、薄暗い扉の前で、ぼぅと白い影が浮き出る。


寝台で待機していたキヨは、待ちきれないように手招きをする。


「ユウ、来い」


ユウは、一瞬唇を噛み締めたが、すぐに柔和な表情を作った。


静かに寝台に座ったユウを、キヨはすぐに押し倒し、

衣の紐をほどきながら、ヨダレを垂らさんばかりに微笑む。


首筋に身を沈め、ユウの肌から立ち昇る甘くやるせない香りを吸い込み、ユウの顔を覗き込む。


「ユウよ。今夜も美しいのぅ。わしは幸せ者じゃ」

ため息をつく。


待ちきれないように、硬さを残した胸に顔を埋めた。


いつもなら、嫌悪に引きつった首筋が、今夜は穏やかだ。


妙におとなしい。


キヨは疑問に思い、思わず顔を上げた。


「今夜はどうした?」

思わず言葉が漏れる。


ユウは無言で、キヨを見上げた。


その美しく、強い眼差しで見つめられると、

キヨは、柄にもなく落ち着かなくなってきた。


「どうした。わしが愛おしくなったか?」

ただれた舌を出し、胸元に吸い付く。


「いえ。それは無理でございます」

ユウは、静かに答える。


キヨは鼻を鳴らした。


「相変わらず釣れないのぅ」

そう言って、ユウの足に触れ、広げるように促す。


「けれど、考えを改めたのです」

その言葉に、キヨは動きを止めた。


「何がじゃ」


「キヨ様は、父母を死に追いやった方。

でも、あなたと子を宿せば、セン家の血が国王に流れます」


ユウは静かにキヨを見つめた。


青い瞳には、今までになかった静かな強さが宿っている。


キヨは思わず、唾を呑み込んだ。


「母上が命を繋いだように、私も繋ぎます」


キヨは恍惚とした表情で頷いた。


「……そうじゃ。セン家の血ではなく、モザ家の血もじゃ」

夢見心地に呟く。


ユウは金の髪を寝台に散らばせながら、頷く。


「ならば、その命を繋ぐのが、私の役目です」


ユウの言葉に、キヨはしばらく目を見開いていた。


信じられないものを見るように、その青い瞳を見つめる。


やがて、皺だらけの顔がゆっくりと綻んだ。


「……そうか。ようやく、その気になったのじゃな」


愛おしむようにユウの頬へ手を伸ばす。


貪るようにユウの唇を吸いあげ、

唇を離したキヨは、満ち足りた表情でユウを見つめた。


「わしの子を孕んでくれ」

その声は、喜びに満ちていた。


「はい」

ユウは不自然なほど微笑み、目を閉じた。


ーーお前の子ではない。シュリとの子を宿す。


萎びた背中に腕を回す。


苦痛の嵐の中、死の直前に母が語った言葉を思い出す。


『大事な人……自分を想ってくれる人、守るべき人が周囲にいれば、人は変われるの』


ーー大事な人、自分を想ってくれる人。


キヨの荒い呼吸を聞きながら、母の声が蘇る。


『あなたにもいる。ウイとレイ、ヨシノ……母にエマ、

そしてーーシュリ』


ーー強くなくてはならない。


普段の頑ななユウを知っているだけに、キヨの昂りは収まらない。


肌をこすり合わせながら、年甲斐もなく体が跳ねていた。


狂ったように喜ぶ彼の姿を見て、ユウは耳元で囁いた。


「必ず男子を産みます。トミ家の後継を……産んでみます」


瞳を怪しく潤ませ、キヨを見つめる。


ユウが放つ色香に誘われ、キヨは雄叫びを上げた。


「ユウ……うあぁ」

激しく発作をつづける老人を横目に、ユウは誓った。


――必ず、この計画を成功させる。


母が命を懸けて守った未来を、今度は自分が繋ぐ。


次回ーー明日の20時20分


断ち切れない想いを胸に、イーライは再び城へ向かう。

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