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初めては、あなただった


「レイ!」

ヘンリーが息を切らしながら、レイのところに駆けつける。


その姿を認めた時、イーライは静かに頭を下げる。


「ヘンリー、どうしてここへ?」

レイは顔を引き攣らせながら口を開く。


「手紙を書いても、返事が一向に来ないから、

直接、話をしようと思って、ここに来たんだ。

……まさか、会えるとは思わなかった」

ヘンリーの顔には、嬉しさと苦さが混じっていた。


「……手紙?」

イーライが顔を上げる。


訝るようなイーライの表情に、レイは心の中で焦りを感じた。


ーー最悪だ。


この人に、ヘンリーとの男女の仲を疑われるのは面倒だ。


イーライは、キヨに近い男だ。


あらぬ誤解は避けたい。


ヘンリーも同じことを思ったようだ。


「たまに話すだけだ」

照れ隠しのつもりか、軽く肩をすくめてみせた。


「……左様でございますか」

イーライは、静かな眼差しで二人を交互に見た。


「イーライ、今日のお茶のお菓子は何?」

レイは話の流れを変えたくて、明るい声で質問をした。


「本日はティーケーキでございます」


「姉上は、干し葡萄が好きではないわ」


「承知しております。本日のティーケーキは干し葡萄ではなく、

干した杏を入れております」


「さすが、イーライね。私も後で食べたいから、一切れ残して」


「承知しました」

イーライは、静かに頭を下げて西棟に向かった。


彼が西棟の扉に滑り込む姿を見届けた後に、レイは肩の力を抜く。


「……油断ならないわ」

小さく呟いた。


「レイ」

重々しい声に、レイは振り返る。


目の前には、ヘンリーがいた。


彼の瞳には、後悔が滲んでいる。


「……あんな事をして悪かった」


ヘンリーは、じっと見つめる。


その瞬間、レイは、心の中で蓋をしていた思い出が溢れる。


あの時ーー

彼の両手は、自分の頰を包んでくれた。


真摯な眼差しに圧倒され、彼の顔が視界いっぱいに広がり、唇をーー


それを思い出して、レイは目を伏せる。


抑えようにも、頬に血が集まるのを自覚してしまった。


何も言わずに俯くレイに、視線を合わせるかのように、ヘンリーは膝を曲げた。


「……許してくれ。本当に悪かったと思っている」


「……」


ーー彼に返事をしなくてはいけない。


けれど、どうやって返答したら良いのかわからない。


しばらく、沈黙が続き、レイは口を開いた。


「別に……大丈夫よ」

目は伏せたまま、答えた。


視線を上げなくとも、ヘンリーの肩の力が抜いたのがわかる。


ヘンリーは何度か口を開いては閉じた。


「……その」


そう言って、沈黙が落ちる。


「何?」

レイは耐えきれず、顔を上げた。


ヘンリーは思い切った様子で質問をした。


「口づけは、前にもしたことがあるのか?」


「ないわ」


ヘンリーは、しばらくレイを見つめていた。


「セージ様とも……」

レイは夫だった人の名前を告げた。


その言葉を聞いた瞬間、ヘンリーの茶色の瞳がふっと柔らかくなった。


口元まで緩みかけて、慌てて咳払いをする。


「……いや……何でもない」


それ以上の言葉は続かなかった。


レイは、口づけの前に、ヘンリーが口にした言葉を思い出した。


『俺は好いた女しか、口づけしない』


その言葉の真意を問う気持ちはなかった。


ーー聞かなかったことにする。


そう心に決めた。


彼の存在は、日に日に大きくなるような気がした。


でも、これが本当に好きなのか、わからない。


自分でも、この気持ちに対応ができない。


「私の方こそ、ひどいこと言ってごめんね。悪いと思っているの」


レイが小さく頭を下げると、


「……あぁ」

ヘンリーも照れたように頷いた。


二人の間に沈黙が落ちる。


けれど、不思議と気まずさはなかった。


晩春の風が蕾を揺らし、その柔らかな香りだけが静かに二人を包んでいた。



その日の夕食の時に、レイは皿の鶏肉をフォークで突き刺しながら話す。


「今日は、イーライにいろいろ聞かれたわ」


レイの言葉に、ユウが顔を上げる。


「何を聞かれたの?」


「姉上と過ごした日は、よく眠れたか?、とか。

隙があれば、いろいろ引き出すつもりだったわ」


「……私には何も言わないわ」

ユウがフォークを置く。


「それは当然よ。イーライは姉上のことをーー」

そこまで言いかけて、レイはやめた。


「何?」

ユウが、不思議そうな顔をしていたからだ。


レイは思わず、シュリに視線を向けた。


シュリは、苦笑いをしながら、少しだけ首を振る。


その意味を悟り、レイは小さく息をついた。


ーー姉上は、イーライの気持ちに気づいていない。


あんなに、彼はわかりやすいのに!


今、それを言う必要はない。


姉上が知らないなら、それでいい。


レイは小さく息をつき、話題をさりげなく変えた。


「……なんでもない。サキも質問をされたわ」


「サキも?」


「はい。それは、もう……困りました。

ヨシノの家にいたのか?一緒に帰ったのか、細かく……」


「相手はイーライよ。一つ答えれば、次を聞かれるの。上手いわ」

レイが肩をすくめた。


「嘘を重ねる相手としては、一番厄介です」

サキは困ったように笑った。


その話を聞きながら、レイは、ケーキを切り分けた。


中から琥珀色の干し杏が顔をのぞかせた。


噛むたびに甘酸っぱさが広がる。


それは、約束通り、イーライが残したものだった。


「私の方では、リチャードを味方にすることにしました」

シュリが口を開いた。


「リチャード? ナノ領の方よね」

レイは、『大丈夫?』と言わんばかりに眉を寄せた。


「彼は大丈夫よ」

ユウが力強く頷く。


「はい。リチャードは、かなり助けになると思います。

これから、様々な打ち合わせを行います」

シュリの言葉に、レイは、少しだけ頷く。


ユウは、そっとフォークを置いた。


レイはイーライを揺さぶり、


サキは問いをかわし、


ヨシノは皆を支え、


シュリは危険を承知で動いている。


皆が、自分のために動いてくれている。


その事実が、胸を熱くした。


逃げるだけでは、皆の想いに応えられない。


ユウは、そっとフォークを握り直した。


「……もう、私だけが守られるわけにはいかない」


誰にも聞こえないほど小さな声だった。


その青い瞳には、静かな決意が宿っていた。


次回ーー明日の20時20分


「私は、もう逃げない」

覚悟を決めたユウを待つ夜。

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