十五歳の駆け引き
シュリが東棟にいた頃ーー
レイは、西棟と本館の間にある庭のベンチに座っていた。
まもなく開花しそうな蕾に、顔を寄せる。
微かに香る花に目を閉じた。
「レイ様、本館の庭園に行かなくてもよろしいのですか?」
隣に立つサキの手には、書状が数枚ある。
どれも、差出人はヘンリーだった。
彼は言い合いの末に、唐突にレイに口づけをした。
それに対して、謝罪をしたいと、昨夜のうちに二通。
そして、今朝も一通。
先ほどにも一通、レイの元に届いた。
「……行きたくないのよ」
レイは目を伏せた。
ーー彼のことが嫌いになった訳ではない。
けれど、あんな事があった後に、どうやって彼と話していいのか、さっぱりわからない。
「それなら、せめてお返事でも……体調が悪いと書いた方が親切です」
サキは眉を下げる。
ヘンリーの行いは、衝動的だった。
その行為は、許せないとしても、彼は国王の甥である。
無碍にできない身分だ。
「今は、姉上のことだけを考えたいのよ」
レイは、唇を尖らせた。
心の中には、ヘンリーがいつも引っかかっている。
けれど、彼のことより姉のことが優先だ。
ーーどうやって、イーライを煙に巻こうかしら。
その時ーー本館の扉から、イーライが颯爽と現れた。
ヒゲだらけの無骨な重臣が多い中、彼の容姿は良い。
黒髪が風に靡き、黒い瞳にスラリとした体型。
容姿は良いけれど、真面目すぎて、融通が利かない。
さらに、身分が低い家の出身の上に、実務能力で若く異例の出世をした彼は、羨望と妬みがついてまわった。
ーーうわ。
イーライの姿を見て、
レイは思わず、ベンチから腰を浮かそうとした。
庭の奥へ逃げようと思った時に、イーライが歩み寄る。
「レイ様、このような所でどうされましたか」
「花を見ていたの」
レイの視線は、少し彷徨う。
イーライは、視線を静かにサキに向ける。
「乳母君に話を伺いたい」
「わ……私に何か」
サキの背中に汗が流れる。
「二日前の夜は、シュリとその母君と一緒に西棟を出たと記録されている。本当に、そうなのか」
イーライの手には帳面を持っていた。
「二日前……?」
サキは、あえてとぼけてみた。
「あぁ。レイ様とユウ様が2人で過ごした夜のことだ」
イーライの黒い瞳は、見透かすようにサキを見つめた。
「その日なら……覚えております。
ヨシノとシュリで、一緒に夜通し話しておりました」
「……どこで、だ」
「ヨシノとシュリの自宅でございます。
普段は、あのように早い時間に帰宅はありません。
レイ様から、手土産を頂き、3人でそれを食べながら昔話に花を咲かせました」
サキは、にこやかに話す。
「なるほど……レイ様は、どのように過ごされたのですか」
イーライは、試すような目でレイを見つめた。
「私?」
レイの声は、いつもより高かった。
「はい。その夜はよく眠れましたか」
何気ない質問。
でも、レイは自分の表情がこわばってしまった。
ーー眠れたわけがない。
隣の部屋では、姉とシュリが過ごしている。
そして、その日はヘンリーと口づけをした。
そう思いながらも、レイは満面な笑みを浮かべた。
「ええ」
「それは何よりです」
イーライは、じっとレイを見つめた。
ーーこの男は手強い。
思わせぶりな眼差し、そして、頭が切れる。
いいわ。
私も、揺さぶる。
レイは、そう感じながらも、無邪気な様子で話す。
「姉上ともっと話したいと思ったのに……それができなかったの」
「……と、言いますと?」
イーライは、わずかに目を細める。
「姉上は昔と違って疲れやすいの。
特に……キヨ様のところに行かれたあとは、ひどく疲れているみたい」
イーライの瞳が、一瞬だけ揺れる。
それをレイは、見逃さなかった。
「それにしても、交合だけで、あんなに消耗するのかしら」
その言葉に、イーライの右の眉は少しだけ上がった。
口を開こうとしているのに、即座に言葉が出ない。
ーーやっぱり。
その表情に、レイは確信を得た。
沈んだ表情で、話す姉の顔が脳裏に浮かぶ。
『イーライに気づかれたわ』
ーー姉上は何も話してないけれど。
イーライと何かがある。
イーライの反応を見たいがために、
レイは意味ありげな眼差しで、彼を見つめた。
その眼差しに、イーライは、不自然に目を逸らしてしまった。
右手の指先が、帳面の端をわずかに強く押さえた。
イーライはわずかに俯いたが、すぐに顔を上げた。
そこには、いつもの整っているイーライの顔だった。
「交合はデリケートなものですから」
そう言って、唇をかたく閉じた。
「そうですよね。今後のためにも……
姉上に、じっくりと話を聞いてみます」
レイは静かな眼差しで、イーライを見上げた。
イーライは静かに頷いた。
「それがよろしいでしょう。
ユウ様のお体を案じる者として、私も安心できます」
その穏やかな声に、レイは思わず息を止めた。
ーーやっぱり、手強い。
一瞬だけ揺れたはずなのに、もう何事もなかったような顔をしている。
この人を言葉だけで出し抜くのは、簡単ではない。
イーライの黒い瞳は、どこまでも静かだった。
揺らしたつもりだった。
けれど、揺らされていたのは自分かもしれない。
その時だった。
静まり返っていた庭に、場違いなほど明るい声が響いた。
「レイ!」
大きな声が聞こえる。
振り返ると、ヘンリーが本館から出てきたのだ。
ーーうわ。
今日は、会いたくない人ばかりに出会ってしまう。
レイは心の中でため息をついた。
次回ーー明日の20時20分
皆が私のために動いてくれる。だから、もう逃げない。




