体は嘘をつかない
西棟の廊下をワゴンを押しながら、イーライは静かに頭を巡らせた。
ーー今朝のシュリの香り。
ほんの一瞬だった。
それでも、間違えるはずがない。
あの方だけが纏う香りだった。
ほのかなラベンダー。
その奥でネロリの柔らかな甘さが静かに揺れ、彼女自身の香りと重なると、眩暈を感じるほど魅惑的だった。
強くはない。
けれど、一度その香りを知ると、もう忘れられなかった。
実際、主であるキヨも、恍惚とした顔で話していた。
「あの香り……あの肌……そして、強い眼差しよ。
一度、抱いたら忘れられぬ」
その言葉に嫌悪と妬みの感情を抱きながらも、
主の言葉は的を得ていると思っていた。
ユウの肌からたちのぼる香りを嗅ぐたびに、
イーライは、頭の奥が痺れていた。
否応なしに、欲望に引きずられそうになる。
必死に自分を保つことで精一杯だった。
ーーあの香りはユウ様のもの。
なぜ、同じ香りがシュリから?
これまで、そのような事はなかった。
ひょっとしてーー
その想像をするだけで、胸がざわめく。
香りだけで決めつけるのは、早急すぎる。
何よりーー証拠を抑えねば。
疑惑を胸に、ユウの部屋の扉の小窓を開ける。
扉を開けると、ユウはいつものソファに座っていた。
イーライは、静かに頭を下げ、ユウを見つめる。
「茶を淹れに参りました」
「イーライ、ありがとう」
いつもと同じ場所、いつもと同じ髪型、けれどーー
隠しきれない美しさが滲んでいた。
彼女と出会って5年。
イーライは、毎日ユウを見つめ続けていた。
疲れると肩がわずかに落ちることも、
怒るときに、顎を上げる癖も、
考え込むと指先が静かに止まることも、
表面は取り繕っても、瞳の奥に強さを宿していることも。
そして、少女らしい細い線が、ゆっくりと女性の線へ変わっていく姿も。
だからこそ、今日の彼女がいつもと違うことだけは、誰よりもよくわかった。
彼女の美しさが、いつもより柔らかく滲んで見えた。
少し目を伏せ、金の髪を耳へかける。
ただそれだけの仕草なのに、人の視線を奪ってしまう。
華やかなユウの姿に、イーライは目が痛むほどの思いがした。
その想いを押し殺し、淡々と茶葉を匙で測り、
なぞるように湯気を手でかざし、湯の温度を確かめる。
彼女の背後に、シュリが剣を携えて立っている。
シュリの表情は、いつもと変わらぬものだった。
ーー今、ここで疑惑を口にするのは愚かなことだ。
香り、美しさ、どれも目に見えぬものだ。
それで、不義を疑っても、誰にも信用などされない。
まず、証拠を集めねば。
いつもと変わらず紅茶を差し出した後に、
テーブルに皿を置く。
「本日の菓子はこちらです」
白い皿の上には、小さな丸いバタークッキーが並んでいた。
表面には、砂糖をまとった薄紫のスミレが一輪ずつ飾られていた。
「まぁ……花が咲いているみたいですね」
ヨシノが思わず声を上げると、ユウが柔らかく微笑んで手に取る。
「キレイなお菓子だわ」
「今だけの菓子でございます」
イーライが静かに頭を下げる。
「美味しい」
ユウは、クッキーの上に咲く薄紫の花を指先でそっと眺め、花がほころぶように小さく笑った。
その顔を見て、イーライは愛おしさが胸元に突き上げる。
ーー彼女が笑ってくれるなら、何もいらない。
しかし、その笑顔を自ら曇らせなければならない。
イーライは、静かにユウの足元に近づく。
その姿を見て、ユウの顔から笑みが消える。
「キヨ様が……本日、お呼びです」
イーライは、声を顰めて伝えた。
クッキーを手にしたユウの手元が、静かに膝の上に落ちる。
「……そう」
その声は、暗かった。
「……お待ちしております」
イーライは、静かに頭を下げた。
◇
その日の夜、ユウは静かに控え室の扉を開けた。
透ける素材の白い衣を纏ったユウの姿に、イーライの喉は無意識になった。
王の寝室に行く前に、武器を所有してないか、
体をくまなく確認する。
それが、イーライの役目だった。
「失礼します」
イーライは、無言でユウの金の髪を触る。
緊張のせいか、汗の滲んだ白い首筋からユウの香りが鼻を掠めた。
無関心を装いながら、確認をした後に、
「それでは……衣を」と掠れた声で告げる。
ユウが無言で、衣を脱ぐと、白い体が灯りの前に晒される。
その姿に、イーライは思わず口を開けた。
まだ堅い蕾のようなユウの体が、一夜で花が咲いたように見えた。
確認をせず見つめるイーライを、
ユウは、躊躇いながら見つめている。
「……イーライ」
その声に、慌てて正気を取り戻す。
「失礼します」
確認のために体を触れるたびに、わずかに熱を感じた。
ーー以前にも、一度だけ同じ変化があった。
やがて元に戻ったはずのものが、今夜は、再び静かな熱を宿している。
再び潤いと熱が帯びたのは。
イーライは、指先にオイルを浸しながら、疑問が胸の奥で広がる。
「……失礼します」
触れた場所は、触る前から熱を孕んでいたことに気づく。
ーーいつもなら、身を守るためにオイルが必要なのに。
今夜は、熱いものがあり、それがゆっくり 溶けていく。
ユウの呼吸が、わずかに乱れ、足が震えていた。
その甘く秘めやかな感触に、イーライは黙って、指を引き抜いた。
ーー体は嘘をつかない。
こんなにも急激に変化をするのは……あの夜なのか。
疑惑が止まらない。
イーライは、何か言いかけて口を閉ざした。
黒い瞳だけが、静かにユウを見つめている。
その視線を受けた瞬間、ユウの胸の奥が冷たく沈んだ。
次回ーー明日の20時20分
イーライの疑念が深まる中、シュリは一人、ある人物を訪ねる――。




