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302/307

……ユウが欲しい

空には雲が多く、月は雲間から時折顔を覗かせていた。


薄い月光の中、シュリはユウがいる西棟にむかって、

ひたすらに走った。


塀の前にたどり着くと、呼吸を抑えながら塀の前の木陰に身を隠す。


午後9時、護衛の兵たちは交代の時間になり、その場を離れる。


ーー早くしなければ、兵が戻ってくる。


僅かな時間を逃さぬように、

シュリは身を低くして、塀のそばににじり寄る。


南の高い空から零れる淡い月光が、石塀の縁だけを白く照らしている。


指先が石の縁を捉える。


腕に力を込めると、身体は軽々と持ち上がった。


片足を縁へ掛け、音を立てぬよう庭へと身を滑らせた。


途中で、何度も周囲を確認しながらーーユウの部屋のバルコニーまでたどり着いた。


こんこん。


軽く窓ガラスを叩く、待ちかねていたかのように、

カーテンが開き、夜の庭に光が溢れた。


緊張した顔のユウが、窓を開け、

シュリは息を切らしながら、明るい部屋へ入った。


「シュリ、大丈夫?」

ユウは、シュリの肩にある葉っぱを摘んだ。


「はい」

そう答え、2人は視線があった。


その瞬間ーー恥ずかしくなりお互いが目を逸らす。


「パン食べる?」

部屋の片隅にいたレイが突然、ワゴンにあるパンとチーズを差し出す。


急にお腹が空いていることに気づいたシュリは、

両手でそれを受け取った。


「座って」

ユウが、ソファに座るように促す。


口に入れたパンは緊張のせいかーー味は感じない。


ユウと同じガウンを羽織ったレイは、シュリが食べ終わるのを見届けてから、たちあがった。


「それでは、私はあちらへ行くわ」

レイの視線の先は、衣装室だった。


そこには、簡易的な寝具が用意されていた。


「レイ、ありがとう」

ユウの声は、緊張のせいか掠れている。


「それでは……明日の朝に……」

レイは、急に言葉を濁した。


逸らした顔の頰は赤い。


ーーこれから、目の前の二人は……。


十五のレイにとって、それは刺激が強いものだった。


「……そうね」

ユウも、それにつられるように頰を赤くした。


シュリは、居心地が悪そうにソファの上で縮こまる。


レイの白いガウンが、衣装室に消えるのを見送って、

ユウは立ち上がる。


「シュリ、行きましょう」

その美しい青い瞳は、少しだけ揺れていた。


彼女のガウンは首元まで、きっちりと覆われていた。


「……はい」

シュリは、熱を帯びた瞳でユウの瞳を見つめ、すぐに立ち上がった。


ユウの背中を見つめながら、シュリは思った。


一度目は勢いだった。


けれど今夜は違う。


互いの覚悟も知っている。


だからこそ、どう振る舞えばいいのか分からなかった。



シュリは、何度も読み返した恋愛手引書を思い出す。


本来であれば、こういう時は、男である自分がリードをするべきだ。


けれど、ユウが相手ならそうもいかない。


頼りにしている恋愛手引書には、

様々な対応方法が書いてあった。


けれど、相手の身分が高い場合については、

記載がなかった。


それもそうだ。


従者が主と結ばれるなんて、あり得ないことなのだ。


手引書によれば、こういう場合は、少し強引な方が好まれるらしい。


ーーできるはずもない。


あの気高いユウ様に、強引な振る舞いなど。


ユウが寝室の扉を開けた。


シュリは一瞬、扉の前で足を止める。


「どうぞ」

ユウが声をかける。


「失礼します」

シュリは、小さく頭を下げ、寝室に入った。


部屋には、ユウの甘い香りが立ち込めており、

その中で、シュリは立ち尽くした。


ーーここから、次の展開に進めるはずもない。


どうしても、部屋の中央にある広い寝台が目に入る。


抑えようとしても、体の奥の方に熱がこもってくるのを自覚した。


ユウが扉を閉めると、防音が施された部屋は静まり返る。


俯きがちなシュリの元に、ユウが近づく。


「シュリ、本当に良いの?」

ユウの静かな声が響く。


顔を上げると、ユウの青い瞳が見える。


「はい」

シュリは、迷わず頷く。


主語がなくても、シュリは、ユウの質問の真意がわかる。


「これから、私たちが行おうとすることは……

反逆罪だわ。見つかったら、処刑される」


その言葉に、シュリは背筋を伸ばす。


「かまいません」

即答だった。


「……本当に?」


「はい。ユウ様が望むのなら」

シュリが返事をすると、ユウは少し躊躇うように、眉を寄せた。


従者としては正しい発言。


けれどーーシュリの心は落ち着かなくなった。


こんな事を、口にしてはいけないのに。


この場において、正直でありたいと思ってしまったのだ。


シュリは静かに口を開いた。


「本当は、報復とか、どうでも良いのです」


その言葉に、ユウの目が僅かに見開く。


「……私が望んでいるのは、あなたが喜ぶ顔なんです」

シュリは目を伏せる。


返事はない。


なので、そのまま話し続けた。


「ユウ様が……笑っている顔を見るだけで……望むものはないのです」


この言葉を伝えることが怖かった。


この場において、勇ましい言葉を口にできない自分が恨めしい。


ユウは、純粋に報復を考えているのに、

自分は彼女しか見えないのだ。


それが、どれほど愚かなことか。


ーー嫌われるのではないか。


呆れられるのではないか。


ユウの表情からは、何もわからない。


「……だからこそ、私はユウ様の報復に乗ったのです」

一気に話した後に、シュリは目を伏せた。


静かな沈黙が落ちる。


「……シュリ」

ユウが声をかけた。


顔を上げると、ユウはガウンの紐を外していた。


そのガウンを脱ぐと、

露わになったのは、白い寝具を身に纏ったユウだった。


抱かれるための装いではなく、いつもの寝間着だった。


けれど、彼女の白い胸元には強く煌めく青い光が放っていた。


ーーそのネックレスは。


シュリは、吸い寄せられるように、青い宝石を見つめた。


彼女の母・シリが、ユウに託したサファイアのネックレス。


「このネックレスはね、

私が嫁ぐときに身につけて欲しいと、母が願ったものなの」

蝋燭の灯りに照らされ、ユウの肌は白く光っていた。


「はい」


「母の手紙には、どんな相手と結婚しても、想いは育まれる、と書いてあったわ」


「……そうでしたね」


ネックレスを、そっとユウは触れてから顔を上げた。


「あの男とは、想いを育むことができなかった。

けれど……育む相手は……ずっとそばにいた」


その言葉に、シュリは思わず喉が鳴る。


その相手はーー勘違いしても……良いのだろうか。


呆然としているシュリに、ユウはゆっくり歩みを進めた。


気づけば、振り返る先にはいつも彼がいた。


「シュリ……あなたが良いの。私と……子を作ってもらえる?」


ユウの言葉に、シュリの心臓は波のように脈打った。


喉が渇く。


何かを言わなければならないのに、言葉にならない。


差し伸べられた白い手を、そっと握る。


「……ユウがほしい」


ずっと胸に抱えていた願いが、唇からこぼれた。


指先が静かに絡む。


ユウは恥ずかしそうに目を伏せ、小さく息を吸った。


「いいですか」


シュリの掠れた声に、ユウは静かに頷いた。


次回ーー明日の20時20分


夢のような一夜は終わった。


幸せを知ってしまったユウ。


けれど、朝は容赦なく訪れる――。

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